神社の賽銭とエホバの証人の搾取
『宗教2世』、Session3-3『2世たちの、その後』より。脱会当時者の声。
宗教を信じている人間がこの世の悪に思える
私も洗脳が解けた当初はこう考えていた。新宗教と既成宗教、カルトとカルトでない宗教の違いを考えず、一緒くたにしていた。
見えないモノを存在するとして賽銭やお布施を集めている社寺と、存在しない神エホバを掲げるエホバの証人組織が、信者から金や人生や命を搾取しているのとが、重なって見えた。
神社の賽銭とエホバの証人の搾取、これらは3つの意味で異なる。
- 賽銭で破産しないし人生も損なわないが、エホバの証人組織による搾取は人生が破綻する
- 神社には古来からの祈りのオーラが集っている。エホバの証人にはせいぜい100年くらい
- 神社の祈りは人々の祈りだが、エホバの証人の祈りは恐らく怨念と化している
2と3はいい加減な話だが、あながち外していないと思う。
1は真実。神社に賽銭して、破産したり人生が破綻した人はいないが、カルトだとざらにいる。我が家の両親も、エホバの証人組織に献身して人生の半分を失った。
2はそのままで、新宗教と既成宗教の重みの違い。ホンモノは長く続くしニセモノはじきに淘汰される。
たまたま自分が生きている時代に真の宗教が生まれたりしない。どの時代にも「真の宗教ですー」と、嘘を吐く新宗教が生まれてきた。その中のひとつがエホバの証人。
3は、もしも死後の世界があるとしたら、亡くなったエホバの証人は絶対その辺を彷徨っている。怨霊になって。死んで成仏できなかった瞬間に気付く。エホバの証人に騙されたと。
そういった怨霊がエホバの証人の集会所とかには渦巻いている。エホバの証人に心身を病む人が多い理由のひとつがこれではないかと、私は思っている。というトンデモ話。
元エホバの証人2世の子育て
子を持つ立場になり、子どもの可能性の制限だけはしないように、生きていこうと思っています
これは私も思う。自分が出来なかったことを子どもにして貰いたい。選択の自由と決定する意志を持ってほしい。そして、可能性は無限だと教えること。
エホバの証人の親がしてこなかったことをすればいいのだが、果たして、自分がされていないことを、子どもにできるのか?
自分がされて嫌だった、外部からの干渉による強制や禁止をしない。私の場合の外部はエホバの証人組織だった。して欲しかったが、して貰えなかった子どもの意志の尊重をする。
それで良いのかと自問自答しながら、子どもの顔を見て、声を聞いて、バランスよく情報を仕入れて、エホバの証人の親がやらなかった子育てをしようと。
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