宗教2世の、宗教アレルギー
『宗教2世』、Session3-3より。『2世たちの、その後』から。
宗教を脱会した、当時者の声。
「宗教」という言葉にアレルギー反応がでてしまう。字面だけで体の調子が悪くなるまでとはいかないが、冷静に考えることができない。しかし、信仰を持ちながら健やかに生きている人々を見ると、とてもまぶしく、うらやましく思う。「宗教なんてどうでもいい」となんの感情もなく距離を取れる人もうらやましい
宗教アレルギー。これは私も思い当たる。
私は14才でエホバの証人を脱会したのだが、その後ありとあらゆる宗教を避けていた時期があった。
カルト宗教とそうでない宗教の見分けがついていなかったから。害のある宗教と無害な宗教の見分けがついていなかったから。一緒くたにすべての宗教を毛嫌いしていた。
痛い、信者
「信仰を持って健やかに生きている人が、うらやましいか?」と言えば、No。
現在の日本で信仰を持っていることを明らかにしている時点で、なかなかに痛い。
信仰を持っていることを他人に表明しないといけないのは、「家に神棚がある」とか、「実家は真言宗だ」というのとだいぶ違う。
神棚や先祖代々の墓を大事にする、というのが信仰を持っているというのなら、別に気にもしないし、その人は、当然健やかに生きていると思う。これは信仰を持っているというより、家の宗教を継いでいるだけ。
しかし、信仰の表明をしないといけない状態は、恐らく新宗教、「これこれの信者です」という発言だと考えられる。
これは痛いね。雨後のタケノコのように湧いてきた新宗教に、自身の金なり時間を振り分けている時点で、無駄。
誰かの金儲けに使われているということになる。その新宗教に根拠はなくて、あるのは、言い出しっぺの開祖様の演技力と取り巻きの集客力だけ。
そして、その宗教が献身に近い度を超えた要求や、反社会的教理を掲げていればカルト。痛いというか、信者は、社会に害をもたらす活動に寄与していることになる。
私見ではあるが、今の日本社会で聞きもしないのに「信仰が」とか「宗教が」言い出すのは、痛い。「可哀そう」にという感想。場合によっては危険人物だと私は認識する。エホバの証人はその危険人物の代表格であるので、こうして糾弾している。
宗教なんてどうでもいいモノ
「宗教なんてどうでもいい」状態の人がうらやましいというか、これが正常な状態で、日本人全員がこうなればいい。
宗教なんか、冠婚葬祭、盆と正月にちょこっとだけ関わるくらいで良くて、それ以上は要らない。「それ以上」の割合が濃くなればなるほど、実生活に影響がでる。
そして、一定のラインを超えて、濃く厚く接触を要求する宗教の被害を受けている人が存在する。
彼らの救済のために、私は「宗教なんてどうでもいい」という状態だったが、「宗教なんてどうでもいいモノのために、人生を損ねる人を見逃せない」という状態に至った。
そして、エホバの証人を激しく糾弾している。
“『宗教2世』の宗教アレルギーと、新興宗教の危険性” への1件の返信