『てい少年と悪魔サタン』~姑息なものみの塔協会のやり口

未来は僕らの手の中

昨日紹介した『私はこれでカルトをやめました。~人生搾取されたけどまぁいっか~』というAmazonのKindle本の続作。

こちらの『てい少年と悪魔サタン』も、作中では「エホバの証人」とは言及されていないが、明らかにエホバの証人2世信者の話。前作の続きではなく、前作を踏まえて、小説チックに仕立てられている。

タイトルの通り、少年期だけでスパッと終ってしまうのだが、伏線も幾つか回収されていないので、次作に是非期待したい。

作中に『バックトゥザフューチャー』の話がほんの一瞬出てきて(これだけでストーリー内一番の伏線を回収できているのだか・・・)、年代的に同年代40代の著者に大きく共感する。トランプのモデルになったあの人が懐かしい。

あとがきに、面白い面白くないのどちらにしても感想を教えてくれと書いてあったので、感想。

「面白い」

『夢を叶えるゾウ』のような雰囲気があるのだが、それとエホバの証人独特のサタン思想が相まっているという初期設定の段階で秀逸。この設定に乗っかって、子ども時代の辛酸が見事に吐き出されている。

我々カルト2世信者が失いがちな希望と、未来はいつも『今』の先にあり、未来はいつでも自分が握っているという、永遠不滅だが忘れがちな事実が軽いタッチで表現されている。

卑劣なものみの塔のやり口

作中で、主人公は小学校の選挙に選挙に参加できず苦しむ。先生に「証言」して選挙できないと言わなければならないのだが、ものみの塔のやり方は以下。

先生には【親に言われたから】と説明してはならないのである。これはあくまでも自分の意思で決定したという事に仕立て上げるところが、教団の卑劣かつ姑息極まりないやり方

これは選挙云々、学校云々だけの話ではない。ものみの塔に共通の体質。こらしめのムチの話も同様。現在では、親の信者が勝手にやって全国的に虐待していたという体になっている。ものみの塔側は体罰指導をしたわけではないという姿勢。

エホバの証人の王国会館にこらしめ部屋があって、ゴムホースが置いてある。大会ではトイレの前でこらしめの順番待ち。泣き叫ぶ子どもの口を抑えてトイレに連行。トイレの中からお尻を叩く音と子どもの泣き声が聞こえてくる。

その状態を放置していただけでも、宗教組織としては異常。組織内での大々的な体罰を黙認していただけでも重罪。そして、ものみの塔側が体罰を直接指導していないというのは、そもそもが虚言。

むしろ、ベテラン信者や長老・巡回監督と言った指導的立場の人間が体罰を扇動していた。

それ以外に証拠はいくらでも出てくる。

ものみの塔は、「ムチというのは文字どおりの意味ではありません」と逃げるのだろうが、逃がさない。公式ホームページのJW.ORGにも

ここに言及されている「杖」は,親から与えられるさまざまな形の懲らしめを指していますから,もちろん,体罰も含まれます。手で行なうにせよ,ものさしや他の適当な「杖」で行なうにせよ,親は愛を込めて子供たちを訓練する際に,体罰を与える権威を神から与えられています。

と記載。1979年8/8目ざめよ!「子供に体罰を与えるのは正しいことですか」より。

これはどう恣意的に読んでも、体罰推奨している文面。ものさしでやっちゃってということ。

このように確実な証拠が残っている。ものみの塔がそこら中にバラ撒いた宗教本の中に動かぬ児童虐待の証拠が残っている。

世間がLGBT・多様性を認めようという動きになっていて、そのうちものみの塔は

「同性愛が罪だと主張していたのは、文字通りの意味ではありません」とか言い出しかねない。かつて体罰主導していた事実がないと主張しているというのは、これと同じ。

時代が変わって都合が悪くなるとごまかそうとする、姑息なものみの塔体質。

ものみの塔がLGBT認め出す前に、ものみの塔そのものを破壊してしまわなければならない。もう下らない茶番を見るのはうんざり。


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