人生を無駄遣いするエホバの証人
北海道の広島会衆で起きたエホバの証人の大量排斥事件の記録『事件簿』。10年以上前に読んでいたのだが、今回また再読。エホバの証人に関わったが最後、信者の末路は似たような悲惨なモノになる...
『事件簿』はエホバの証人 – STOPOVER(途中下車)から。
傷つき、人生を大きく損なう。マインドコントロールを施し、盲信・盲従を強制してきた組織に裏切られる。悲惨だが、生きているあいだに「自分」を取り戻すことができればまだマシ。
死ぬまでマインドコントロール直下のエホバの証人としてすごした人はもっと悲惨。輸血拒否で死んだ信者も悲劇。本人たちは、最後の最後まで信仰を守り抜いたので、復活できると思い込んでいるだろうが、
残念ながら人間は復活などしない。人生のすべてをカルトに捧げるという人生の無駄遣いをしてしまったにすぎない。命を投げ捨てた無駄な人生。今の人生が全て。一度限りのこの人生が全て。すべてのエホバの証人が、生きている間に「自分」を取り戻すことを心から願う。
油注がれた残りの者と統治体成員はビョーキ
さて、北海道広島会衆の『事件簿』。話も終盤になり、著者たちもようやくマインドコントロール状態から覚醒する。
いかに残りの者といえども聖霊を取り去られてしまえばただの人、いかに統治体といえども聖霊を取り去られてしまえばただの人間の組織にすぎない
「残りの者」とは「聖霊を浴びた」と自称している人々。以下のどれか。
- 地位を得るために、確信犯的に油注がれたとウソをついている
- 思い込みで光を浴びちゃった
- 精神を患っている
いずれにせよ、統治体も油注がれた残りの者もただの人。人類を2つに分ければ残念な方に入る(それでも人生はどこからでもやり直せる)。1.地位を得るための確信犯はドロップキックで良いのだが、2.思い込みと3.病は見分けがつかない。
2.思い込みは、「自分がこんなにも組織に尽くしたのだから」という固執から油注がれちゃってるので自己責任。自分でまいた種。生暖かい目で見捨てるしかない。
3.精神病の場合は、本人の罪ではないので病院を勧めるしかないのだが、それでも「ものみの塔が存在を主張するエホバに選ばれました」と言っている以上は、何らかの手段でものみの塔に絡んでいるということ。
自分で選んだ結果なので、必要以上に慈悲を示す必要もないのだが、親がエホバの証人というパターンもある。親がエホバの証人で子どもが精神を病んだ。これは普通にあるパターン。非常に多いケース。
エホバの証人の子どもは、懲らしめという体罰を受ける。鞭をふるうたびに親は変貌する。そんな毒親に鞭打たれていると、私のように根っからの楽観主義(バカ?)でない限り、精神を病む。
学校で奇異の目に晒され続けるのも非常にキツイ。過剰な自意識が養われ、行動が雁字搦めにされる。
エホバの証人2世で精神を病み、油注がれちゃったと言っている人は、本質的な被害者。
いずれにせよ、私のようにものみの塔壊滅を目論む人間が敵対視すべきなのは、ものみの塔という組織であって、エホバの証人個々人ではない。自称油注がれた残りの者とか統治体の成員であっても愛を示すべき。というわけで、
統治体メンバーとか油注がれた残りの者を見かけたら、病院へ行って治療することを勧めましょう。なぜなら、彼らは「天から聖霊浴びている」と自称している霊能者。完全にビョーキだから。病院行った方が良い。
エホバの証人の老婆の悲しい妄想~油注がれちゃったという勘違い
“エホバの証人の統治体や14万4千人の残りの者を病院送りに” への2件の返信