自己保身のために弱者を見殺しにする、組織崇拝者「エホバの証人」

アメリカのエホバの証人世界本部へ向かう排斥者たち

北海道のエホバの証人広島会衆の集団排斥事件の資料。資料へのリンクは、エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)

著者たちはエホバの証人組織から排斥になりたくないばかりに、世界本部のあるニューヨークへ向かう。渡航するまでの熱意の対象がカルトとは何とも虚しい。しかしながら、この時点ではものみの塔=カルトとは本人たちは知る由もなく。

とはいえ、疑いの目を向ける必要はあった。ものみの塔を盲信した末のカルト被害。簡単に真理、真実を知るのは我々ですという人、集団を信じてはいけない。そういう独善的な組織や人物は1000%ウソつき。詐欺師。

ニューヨークの世界本部に異議申し立てするも相手にされず。門前払いされる。親身になってくれた日系信者もいたのだが、

「僕言われました。『これ以上関わりを持つと兄弟の組織に対する忠誠が試されます』と。何度来ても同じだと思います。恐らく駄目でしょう」。彼は震えていた。

親切だった日系信者も上層部に脅され、手を引かざるを得なくなる。

『組織に対する忠誠が試される』という脅し文句。矛盾が満載。以下に3つの矛盾点を示す。

  1. エホバの証人が忠誠を保つのは組織ではなく、神であるべき
  2. 組織に対する忠誠と、自分の抱くべき親切心、誠意を比較すべき
  3. 試されるってなんだよ

順番に説明する。

エホバの証人のベテル・日本支部・世界本部とは

1.エホバの証人が忠誠を保つのは組織ではなく、神であるべき

これはこのブログの初期のテーマにもなっていて、食傷感満載なのだが繰り返す。エホバの証人とものみの塔が間違っている理由、エホバの証人が今すぐに脱会すべき理由にもつながる。

エホバの証人が組織に対する忠誠を求められる時点で、組織崇拝、ものみの塔崇拝を行っている。それはエホバの証人的には偶像崇拝にも等しい重罪。

信仰は自己と神の問題、組織(ものみの塔)は関係ない。信者が忠誠を示すべきは神。組織崇拝、組織への忠誠を求めるものみの塔は、信ずるに値しない。

2.組織に対する忠誠と、自分の抱くべき親切心、誠意を比較すべき

目の前に困り果てている人がいるのに、助けない。施さない。神の目から見てどうなの?神以前の問題。「神は死んだ。エホバはクソ野郎」って言っているオレの目から見ても、目の前の弱者を切り捨てる姿勢は許しがたい。

自分の抱いた親切心を切り捨てるよう要求する組織ってなに?「親切やめろ!その誠意STOP!」って言ってくる組織ってなあに?それこそ悪の組織「ものみの塔」。

正義の味方にやっつけて貰いたいものだ。

3.試されるってなんだよ

「あなたの組織に対する忠誠が試されます」とか偉そうに言われたら、瞬間「その組織ファック!」だけど。組織って何様?「ものみの塔、どんだけ偉そうなんだ」と。ふざけんなという感じ。

こんなふざけた物言いされたら、その場で机ひっくり返してやるんだけど、世界本部で働いていた日系エホバの証人はそれが出来ない。上の顔色を伺い続け、自身の良心に従った行動ができなくなっている。

これのどこが宗教なのか?良心を欠如させることがエホバの証人の目的なのか?

この場で逆らって、組織に対する忠誠なしと判断されれば、目の前の困っている人と同じ境遇に遭う。それが怖くて行動できない。

目の前の人のように排斥されれば、世界本部から追い出され路頭に迷うし、ハルマゲドンで死ぬ。エホバの証人の家族に顔合わせできない。世界本部で働くという、”特権”を得るために行ってきた努力がすべて水の泡。

それって全部、自己保身。つまりは、

自己の利益のために、目の前で苦しむ人を見殺しにできるのが、組織崇拝者エホバの証人。


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