エホバ偽神問題
『近現代日本とエホバの証人』、第二章「灯台社の時代」脚注から。
昨日の記事で、戦前のエホバの証人の反戦行動は決してキリスト教的良心から出たものではないことを本書から紹介した。単純にエホバの証人教理に拡大解釈された偶像崇拝と殺人禁止という聖書原則に従っただけ。
この偶像崇拝について、本書の脚注では以下のように記載。
エホバの証人のいう「偶像」は、必ずしも像の形をとるものではなく、特定の人物や場所など、エホバ神以外の対象に熱狂したり心酔したりする行為は全て偶像崇拝とみなされる
このエホバの証人的「偶像」崇拝の拡大適用によって、エホバの証人は国旗を振ったり、「天皇陛下万歳!」とやらないわけだ。
エホバという偽神以外への熱狂・心酔が偶像崇拝となる解釈なのだが、まずこのエホバというのが存在しない偽神。その時点でエホバそのものが偶像。
このエホバ偽神問題は後ほど。
エホバの証人が行うものみの塔(=偶像)崇拝
“偽神エホバという偶像を掲げるものみの塔、偶像崇拝者のエホバの証人” の続きを読む