偽神エホバという偶像を掲げるものみの塔、偶像崇拝者のエホバの証人

エホバ偽神問題

『近現代日本とエホバの証人』、第二章「灯台社の時代」脚注から。

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昨日の記事で、戦前のエホバの証人の反戦行動は決してキリスト教的良心から出たものではないことを本書から紹介した。単純にエホバの証人教義に拡大解釈された偶像崇拝と殺人禁止という聖書原則に従っただけ。

この偶像崇拝について、本書の脚注では以下のように記載。

エホバの証人のいう「偶像」は、必ずしも像の形をとるものではなく、特定の人物や場所など、エホバ神以外の対象に熱狂したり心酔したりする行為は全て偶像崇拝とみなされる

このエホバの証人的「偶像」崇拝の拡大適用によって、エホバの証人は国旗を振ったり、「天皇陛下万歳!」とやらないわけだ。

エホバ神以外への熱狂・心酔が偶像崇拝となる解釈なのだが、まずこのエホバというのが存在しない偽神。その時点でエホバそのものが偶像。

このエホバ偽神問題は後ほど。

エホバの証人が行うものみの塔(=偶像)崇拝

エホバの証人はエホバ以外に熱狂しないはずなのだが、実は熱狂しまくっていて、その時点でエホバの証人は偶像崇拝をしている。

例えば、エホバの証人の大会、集会などの集まり。この場では何度も何度も拍手が起こる。鬱陶しいことに壇上の演者が「・・ではありませんか!」と間を取って拍手を要求する。

拍手が要求されなくても、話が終わる度に拍手が起こるのが慣例。その拍手は誰にしているのか?よく考えてみよう。どう考えても話し手。

その拍手は熱狂ではなくて感謝の現れだとか、神の霊を通じた話し手にしている拍手なので、神に対して拍手しているという詭弁がエホバの証人の反論だろう。

感謝の現れにしては、何千人もが拍手する空間、時には場の空気に飲まれ感極まっている信者もいるわけなのだが、それって「天皇陛下万歳!」と何が違うの?

話し手が、神の組織の任命を受けているという反論、その組織が神につながっている証拠は?ものみの塔=神の伝達経路である証拠など皆無。

状況証拠を集めれば、ものみの塔が偽物であることは明らか。数多の予言ハズシ、時代が過ぎても変わらないのが真理なのに、コロコロと変わる教義の変遷。児童性虐待の温床となるエホバの証人の王国会館。

ものみの塔に不都合な状況証拠は、全て敵対者の罠だとものみの塔は言うが、それが、そもそも信者を騙すための罠。

ものみの塔が唯一の真理の組織であるはずが、真理である証拠は皆無。否定する証拠は山ほど出てくる。これらが示す結論は、ものみの塔が掲げているエホバは偽神、つまり偶像であるということ。

エホバの証人は真実を見ようとしないで、偽神を掲げるものみの塔を支持する偶像崇拝者。組織も統治体も崇拝対象でなく神だけが崇拝対象ならば、ものみの塔に従う必要などない。ものみの塔=神の伝達経路ではないのだから。


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