エホバの証人の寄付という、危険な無限集金システム

ものみの塔の宗教本に価格設定がない理由

ものみの塔協会の宗教本には価格設定がない。1980年代頃までは1冊いくらと値段がついていたのだが、価格は撤廃され、ページ数や装丁に応じて寄付金を募るようになった。

宗教本の場合、実は値段がついている方が健全。価格設定は、最低金額であると同時に最高価格でもある。上限があれば、それ以上金を払わなくて良い。ものみの塔のように、価格がないと寄付金の額はどんどんエスカレートしていく。

私の両親は、ものみの塔の宗教本が届く都度、教団に対して寄付していた。そのため、寄付額は甚だしい金額に達している。

両親は、ひとまず自分たちが手に入れた宗教本相当+毎月の定期分を寄付していた。それから、個別に抱えている信者候補者たちに宗教本を配る。布教活動中も同様に宗教本を配布。その上で寄付金をせびる。「少なくとも印刷代はかかりますから」とか、うまいこと言って。

既に両親は、宗教本に対する寄付を終えているので、印刷代がどうのこうのというのは不実。しかし、エホバの証人たちは、教団のためなら詭弁も構わないという態度。目的のために手段を選ばず。危険なカルト集団。

こうして手に入れた寄付金は、本来は両親が既に立て替え済のもの。しかし、両親はこの寄付金まで教団に上納していた。このようにして、ものみの塔は潤沢な資金を全世界で集めている。

エホバの証人の危険な寄付集金システム

王国会館というエホバの証人の集会所は、全国各地に存在している。その王国会館には寄付箱が用意されており、信者たちはそこに匿名で寄付金を入れる。

寄付金は各地の王国会館を使用している、会衆というコミュニティ毎に集計され、日本支部へ上納。各国の支部でさらに集計、一部は米国にあるエホバの証人の世界本部に上納される。

この多額の上納金は、統治体というエホバの証人のトップに君臨する老人たちの酒池肉林の贅沢三昧や、組織の運営費用に充てられる。統治体の移動行脚はファーストクラス。この金は信者の懐から出ている。

エホバの証人たちの寄付は、あくまで気持ちということになっており、月間いくらなどと決まっていない。これが危険で、信者はすべてをむしり取られることになる。

神社や寺院でも、祈祷一回いくらと決まっているのは守銭奴でも何でもない。施設の運営に必要な費用だから。逆に、ものみの塔のように寄付金を気持ちで要求するのは危険。

教団にマインドコントロールされた信者は、気持ちを求められるとどこまでも突っ走る。全財産を寄付しかねない。事実、私の両親は財産のほぼすべてを寄付していて、何も残っていない。

エホバの証人たちは、ハルマゲドンというこの世の終わりがくれば貨幣制度も存在しなくなると信じている。そのため、貯金など一切せず、財産のすべてをものみの塔に寄付してしまう。

エホバの証人の王国会館とは?


“エホバの証人の寄付という、危険な無限集金システム” への2件の返信

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください