自意識過剰なエホバの証人2世

蔑まれていると思い込んでいるエホバの証人2

私はほぼ生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。両親共にエホバの証人だったが中学生になってその両親にようやく抵抗したのがクラブ活動の選択である。私の通っていた田舎の中学校では生徒全員が何らかのクラブ活動に属することが強制されていた。エホバの証人の活動に差し支えるため私の両親は私を当然のように文化部に入部させようとしていたが、これに私は断固抵抗したのである。この頃の私の母校は、男子生徒はほぼ全員運動部に入部しており、文化部の男は非国民といった風潮があった。

中学生のクラブ活動が文化部だろうとスポーツだろうと今の私にとってはどうでも良いし、周囲と違って運動部に入らないというのも個性だと思える。しかしこの頃の私はただでさえ変人、変わり者、宗教、キリスト”と呼ばれ学校内で蔑まれていた、と思い込んでいた

自意識過剰なエホバの証人2

実際、私は成績も良くて10歳までは都会育ちたったので標準語だったしクラスでも女の子にもてた方だった。生意気で田舎者の周囲の生徒を見下しているようなところが私にはあった。そんな私を妬む同性の生徒にしてみると、エホバの証人2世であるという点が私の最大の弱みだった。

田舎者のクラスの生徒のほとんどが成人しても県内から出ることが出来ず、私はこの頃の自身の希望通りに首都圏でホワイトカラーの仕事が出来ている。そもそもの価値観が違うのである。田舎で作業着を着ている奴らに結局バカにされていたというのはただの思い過ごしで、ただのやっかみだったと言えないこともない。それでも私は誰からも自分が”キリスト”、”宗教”とバカにされるのが我慢ならなかった。どこまでも自意識過剰な子供だったのである。何としても文化部に入って自分の弱みを増やしたくなかった私は強引に運動部に入部した。これがエホバの証人だった両親に対して初めて徹底的に行った抵抗だった。13歳の春のことである。

このスポーツクラブへの入部許可は両親にとって最大の譲歩だったが私は厳しい条件をつけられることになった。クラブ活動に参加出来るのはエホバの証人の集会や伝道活動の無い月曜、水曜、金曜だけでそれ以外の日は一切参加不可だった。本番の試合などは土日にあるのでどれだけ練習しても試合に出場することすらままならないのである。子供が熱心にやりたいと言っていることに対して最初から妨害するつもりしかないのがエホバの証人の親なのだ。


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