根幹がエホバという虚しさ

エホバの証人2世のレク

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。両親ともに熱心なエホバの証人で子供の頃から厳格なものみの塔協会の教義を適用されて育てられた。ちょっと遊びに外に出かけたいと言っても今日はエホバの証人の集会があるからダメ、一緒に遊びに行く友達がエホバの証人にとって”ふさわしくない”場合はNGとなる。

このふさわしい、ふさわしくないは親の主観である。近所で札付きのワルとかになるとエホバの証人的には絶対にNGである。エホバの証人の子供は”模範的”でなければならないと育てられるので、ものみの塔協会の規範だけでなく世間的に見てもお利口でなければならないのである。エホバの証人は自分たちの組織に属していない人々をこの世”の人々と、蔑み憐れんでいる。その”この世”の規範に外れているなんてエホバの証人的には有り得ないのである。

私はエホバの証人2世としてちょっと外へ遊びに出るにも制限のある子供時代を過ごした。半年に1回の野外集会、たまにある奉仕活動のあとのリクリエーションが公式に遊ぶことが許される機会だった。1980年代のエホバの証人は何故か遊興のことをリクリエーションだとかレクリエーションという呼び方をしていた。現在でもそうなのだろうか。起源がアメリカ合衆国にある新興宗教だからだろう。英語の出版物をよく考えずに訳しているのでこんな不自然なことになるのである。

全てが無に帰するエホバの証人の親子関係

堂々と遊ぶことが出来る機会がたまにしかないなんて子供には堪らない苦痛である。子供は遊びで成長していくのである。しかしエホバの証人の親にとってはものみの塔協会の奉仕活動や王国会館での集会、家庭での聖書研究の方が優先されるべき事項だった。子供の遊びたい欲求は悪魔サタンの誘惑であると決めつけてかかっていた。ものみの塔協会の洗脳の効果である。

王国会館での集会中や奉仕活動中にぐずればこらしめと称してお尻を泣くまでしこたま叩かれる。カルト宗教に入信した親の常軌を逸した行いである。エホバの証人2世の子供にとっては地獄の日々だった。私は父親に物を投げつけられたこともあった。

果たしてこの両親の教育方針が正しかったのか?彼らが振るった愛のムチは私のわがままや悪事に対してのしつけの一環だったのか?それともものみの塔協会の教義に乗っ取ってのものだったのか?両親はものみの塔協会を常に第一にしていた。私に対しての教育は全てものみの塔協会の教義にのっとったものだった。ならば全てが間違いだということになる。ものみの塔協会が誤りであることは現在の両親も認める所である。根幹が覆った以上両親の施してきた私への教育は全て間違いだったことになる。過去に遡って親子関係の何もかもが無意味になるとは何とも虚しい話である。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。