ものみの塔は、いったい何が言いたいの?
ものみの塔と裁判をしている件。ものみの塔側が山のように私のブログを証拠として提出している。そのうちのひとつが乙47号証「エホバの証人(JW)の大会へ潜入、児童相談所に電話」。
ものみの塔側の証拠説明書より、以下が立証趣旨。原告というのが私のこと。
原告が、有明アリーナで開催されたエホバの証人の大会へ潜入したが、落ち着いて話を聴くつもりはなく、児童相談所に通報したこと
だから、何だって話なんだけど。
児童虐待の疑いに関する通報は、明確に公益目的に基づく行為であり、「嫌がらせ」ではなく「公益通報」に該当する可能性が高い。むしろ、通報を問題視する姿勢こそが、公益性を軽視している。
続いて、ものみの塔側の裁判の準備書面より。被告というのがものみの塔のこと。
被告及び関連団体は、聖書に基づく話を聞きたい人のために大会を開催しているのであり、嫌がらせ目的での立ち入りを許容していない
「落ち着いて話を聴くつもりがない」という点と「嫌がらせ目的での立ち入り」というのを問題視している様子。
誰でも参加可能としている大会において、「落ち着いて聴くつもりがない」ことが、なぜ問題視されるのか。その論理的根拠が不明。落ち着いて聴こうが、ソワソワしながら聴こうが、こちらの勝手。仮に途中で退席したり、違和感を覚えたりしたとしても、それは個人の自由な感受性の範疇であり、違法性や不当性を構成するモノではない。
そして、潜入目的は「嫌がらせ」ではない。エホバの証人による児童虐待の証拠を抑えるという公益性のある行為。
歓迎しておいて、後出し問題視ですか?
そもそも、ものみの塔自身が証拠提出している私のブログ乙47に以下の記載がある。
ネクタイも締めてないし、名札も下げて無いので、部外者丸出しなのだが、とりあえず歓迎される。「ようこそ、いらっしゃいました」と。
カルトTシャツくらい着ていったら、無視してくれるかな。
エホバの証人のことだから、カルトTシャツ着てても、歓迎しかねない気もするんだけど。
「席を案内します」と、次から次に声を掛けられる。次くるときは本当にカルトTシャツ着るか。
無理くり席に案内される
と続く。部外者丸出しの私を歓迎して、席に案内したのはエホバの証人側。それを、後出しで問題視してくるほうがおかしい。
ものみの塔の後出し条件
以下、お蔵入りした私の反論の下書きに適時追加して。
「聖書に基づく話を聴きたいと思う人は、無料で聴講することができる」という被告の主張を否認する。「聖書に基づく話を聴きたいと思う」という条件は後付けである。
これ、「思う」で良いんだから、私も「思っていた」ってことにすれば何とでもならない?「思っていた」けど、身体が受け付けないとか。
大会についての説明はないが、集会や記念式に関する被告の公式サイトの勧誘は次の通りである。
エホバの証人の集会についてから以下引用。
「学校の授業のように,聴衆が参加する機会もあります。参加は自由です。集会の始まりと終わりには歌を歌い,祈りをささげます。エホバの証人ではない方も自由においでいただけます。ぜひお越しください。入場は無料で,寄付集めなどはありません。」
記念式の案内から以下引用。
「誰が行ってもいいの?どなたでも出席できます。友人やご家族と一緒にお越しください。」
参加者の内心の動機を問うような条件の記載は一切なく、「聖書に基づく話を聴きたいと思う人」などという制限は書かれていない。
ここまで、反論下書きと適時追加したモノ。
そもそも今どき、聖書に基づく話を聴きたいなんて奇特な奴はいないだろ。入口で信仰心チェックでもするの?思ってるかどうかは本人しか分からないのに。
まとめ
ものみの塔側が「嫌がらせ目的」と断じる根拠が、乙47号証のブログ記載にあるとすれば、それはむしろ逆効果。ブログには、歓迎されたこと、案内されたこと、そして「カルトTシャツ着ていったら無視されるかも」という皮肉交じりの記述があるのみで、実際に迷惑行為を働いた形跡はない。むしろ、部外者であることを隠さずに参加し、観察した記録を残している点に公益性が見出される。


