元エホバの証人2世の陥る非エホバ・反ものみの塔という罠

元エホバの証人2世の強迫観念

私は物心がついた時から14才になる直前まで、エホバの証人というカルト宗教中心の生活を強制された。両親が狂信的なエホバの証人信者だったので、私もほぼ生まれながらにエホバの証人の2世信者だった。

私の子ども時代は、ものみの塔の厳しい戒律に縛られ、親による懲らしめという体罰や、ハルマゲドンで神に殺されるという恐怖のもとにあった。ものみの塔の洗脳状態での成長は、私の人格形成に多大な悪影響を及ぼした。

1994年、中学2年生の秋に、私は自分の意志でエホバの証人をやめた。これは、尋常でなく熱心なエホバの証人だった両親との決別を意味した。

エホバの証人脱会以降の私は、非エホバ的生き方をすることに重点を置いてきた。しかし、その生き方をすればするほど、エホバの証人的思考に陥っていくという矛盾をはらんでいた。

独善的で自己中心的、目的のためには手段を選ばず欺瞞に満ち、私は他者の生命をも軽んじていた。他人の血が流れることに対しても怖れを抱かない、残虐的な大人にならなければならないと考えていた。

これは表面的には穏やかで善良なエホバの証人の裏返しとして。

反エホバの証人として、暴力的な生き方が望ましいと、私は思い込んでいた。

独善的なものみの塔とエホバという残虐な暴力神

一見、反ものみの塔的なこういった考えも、元を正せばエホバの証人2世として育てられたことを起源としている。

独善的で自己中心的な考え方は、ものみの塔の思想から派生したもの。ものみの塔は他の宗教を一切認めず全否定している。政府などの国家権力を、一応は認めるが、それも神の下に置いている。

エホバの証人信者でない人は、将来ハルマゲドンで全員死ぬ設定。なんとも自己中心的な態度。

また、教団を追い出された排斥者に対しては、挨拶すらしないという愛の欠如。

残虐さや暴力的思考は、ハルマゲドンで人類のほぼすべてを一掃しようとしている神エホバの残虐態度そのもの。エホバという神は、紀元前の頃から敵対する民族を海の底に沈めたり、世界がどうにもならなくなると、地球まるごと水没させてしまう癇癪持ちの厄介神。

元エホバの証人2世が陥りがちな、非エホバという罠

エホバの証人2世として縛り付けられてきた状態から解放され、羽を伸ばしてどこまでも好き放題したくなるのは良い。しかし、

いかにエホバの証人らしくなく振る舞うかを重視しすぎたり、反ものみの塔的行動をしなければならないという思い込みは罠

エホバやものみの塔にまつわるモノを、逆説的とはいえ意識し過ぎた状態になるから。それではものみの塔から自由になっているとは言えない。

そもそも○○らしい、○○しなければならないという強迫観念は、ハルマゲドンという幻想に怯え、極端に厳しい戒律に縛り付けられているエホバの証人的思考そのもの

エホバの証人はハルマゲドンを生き延びるために、信者としてふさわしい行動をしなければならない、という強迫観念に囚われている。

人間はもっと自由で良い。かくあらねばならないなんてことはない。人に迷惑をかけない、人に親切にするとか、最低限をカバーしておけば、その時々に思いのままに生きればいい。

『解毒』~地球の人間になれないかぐや姫

エホバの証人2世のできなかったこと


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