いつまでも止まない、エホバの証人2世に対する親の束縛

エホバの証人の親と距離を取る

エホバの証人の2世信者たちは、必要の大きな所と呼ばれる僻地へ飛ばされたり、別の会衆へ移籍することで、ようやく狂信的なエホバの証人の親元を離れることができる。やっと、ものみの塔を盾にした親の束縛から自由になれる。

ものみの塔の教理では、親の言うことに従うことは神に従うこと、親という権威は神の是認を受けたモノとされている。エホバの証人組織は、カルトに堕ちるような親に権威を与えてしまうので、子どもにとっては地獄。

カルトの餌食になる、浅はかで短絡的、精神的に未熟な愚かな親には自戒や自省といった感覚が無い。どこまでもカルト=ものみの塔の言いなりで突っ走る。この親から自由になるには、まずは物理的に離れるしかない。

親元を離れたエホバの証人2世が、自らの純潔を保ち、ものみの塔への信仰を守り続けることは難しい。束縛が無くなり、自由を満喫すれば欲望のままに行動したくなるのが人間の性質。

親との距離をとることが、一部の2世信者の覚醒に繋がってはいた。

僻地のエホバの証人2世の性に関する問題

目ざめよ!エホバの証人2世

しかし、エホバの証人の親にしてみると、2世信者の子どもは自分の人生をかけた誇りとも言える存在であり作品。

典型的な失敗作なのだが、親本人はそうは思っていない。”不活発”になって、布教活動や集会をサボり出していないかと心配でならない。

あんなに苦労してお尻を叩いて、エホバの証人2世ロボットに仕上げた。その強制無くして、お利口にエホバの証人活動をしているのかと不安に駆られる。

こうして信者の親は、子どもの動向を出張先の会衆の長老や、知り合いの信者へ探りを入れる。こうしてエホバの証人の親はいつまでも子どもを束縛する。

これは、「常に模範的でなければならない」という2世信者への厳しいプレッシャーにもなる。

エホバの証人の2世信者たちは、いつまでも親に縛られ、親もいつまでも子離れできない。

エホバの証人は、血のつながりもないのに、お互いに兄弟姉妹と呼び合う組織。親子の繋がりも不自然で必要以上に近しい関係が永遠に続く。

エホバの証人の雑誌のタイトルである『目ざめよ!』を、そのままエホバの証人2世に投げかけたい。いい加減に目を覚まして、人生の真実を探すべき。

人生は1度限り、そして短い。親やものみの塔、会衆の長老たちの言いなりになっている時間はない。『目ざめよ』誌を持って駅前で突っ立っている場合ではない。いい加減に、あなた自身が『目ざめよ!』。


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