僻地のエホバの証人2世(JW)、早々に性に目ざめる!

僻地に派遣されるエホバの証人2世

私の両親は、狂信的なエホバの証人だった。私も生まれながらにエホバの証人の2世信者であることを強要された。

我が家は、私が小学校4年生に進級するとき、一家でとある田舎の過疎地に引っ越した。1980年代後半から1990年代前半の頃の話。

引越し先は、両親双方の実家の中間地にあたる。しかし、引っ越しの第一の理由は、田舎の方がエホバの証人として必要とされているということだった。

実際に引っ越してからは、エホバの証人にとって必要の大きな所という理由で、住んでいた所からさらに奥地まで、わざわざ布教活動に行っていた。

平和な田舎の住民にしてみれば、カルトの布教者が集団でやってくるのは大迷惑。家族の誰かが騙されて信者にでもなろうものなら、とてつもない悲劇。

エホバの証人がやってきて金を落としていくので、過疎地の経済が潤うといった意見があるのかも知れない。事実、我が家も田舎の過疎地に布教に行っていたときには、民宿に泊まっていた。

しかし、こういった経済的恩恵を直接受けるのは一部の人たちに過ぎない。大部分の人にしてみれば、怪しげな連中がきて家を訪ねて回っているだけ。家族が騙されようものなら目も当てられない。しょせん、カルトはカルト。

しかし、当のエホバの証人たちは至って真剣。良いことをしている、正しいことをしていると信じ切っている。他人の迷惑など顧みない。

また、両親にとっては、自分たちが奥地のいまだものみの塔の真理を知らぬ人々から必要とされている、という思い込みが自尊心をくすぐった。

当時、必要の大きな所と称して、エホバの証人2世の若者たちが僻地の片田舎へ送り込まれていた。仕事も人生も投げ打って。不毛な人生の浪費。

私の父も、大学を卒業して就職した仕事をわざわざやめて、田舎に引っ込んだ。30代にして自らのキャリアを捨てて、エホバの証人活動に従事しようとした。人生お先真っ暗。

カルトのマインドコントロールがいかに危険かということが分かる。もう『ものみの塔』以外のモノは、何も聞こえない、見えないという状態に陥ってしまう。

性に関する目覚めが早い、田舎暮らしのエホバの証人

この捨てっぱちの地方移住のため、両親は築20年くらいの古い家をわざわざ片田舎に購入。これは自分たちのエホバの証人活動をさらに充実させるため。また、子育てをするには、田舎の方が誘惑が少ないから、という単純な発想が起点。

この頃の私は10才になる前。両親は、一人息子の私のエホバの証人教育にも気を配った。それも教団の中の誰かの受け売りだろう。田舎のほうが誘惑が少なく、安全と。自分たちで何も考えていないから、こんな無謀な地方移住という暴挙に出てしまう。

実は、田舎暮らしの方がエホバの証人としての信条を守りぬくことが難しい。大人でも子どもでも、田舎暮らしだと、いまだ旧態依然とした地域のコミュニティの一員にならざるを得ない。地域の閉鎖空間で、変わり者のエホバの証人として存在し続けるのには、相当なエネルギーを要する。少年期の私も、この周囲の奇異の視線に晒され、相当に痛めつけられた。

都会暮らしだと他人からの干渉は少ない。よって、人間関係がエホバの証人だけに限定されてしまうことが良くある。隣近所の付き合いがほとんど消滅しているから。そういった人が、エホバの証人コミュニティへの依存を深めると、信者をやめにくくなってしまう。

逆に、田舎だとエホバの証人以外の人々がずかずかと生活に踏み込んでくる。すると、エホバの証人でいることが辛くなるし、自分が異常だということに気付きやすい。

また、子どもにとって田舎の方が誘惑が少ないというのは大人の幻想。遊ぶモノが何もない田舎の子どもの成熟は早い。他にすることがないので、性に関する目覚めが早い。

地域のコミュニティが存在することも大きい。上の世代との繋がりがあるので、良いのか悪いのか、着々と性教育が施される。少年期の私にとって、この性への目覚めは相当な誘惑となっていた。

今回の話を聖書風にまとめるとこうなる。
かつて、エホバの証人たちは、こぞって”僻地”へ伝道活動にでかけた。その結果、彼らの子どもたちは早々に性に目覚めたのだった。

エホバの証人たちは、自分の頭で考えず周囲の信者や教団の言いなりになる。そして、人生や家族を台無しにする。

エホバの証人の地方移住についてはこちら


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