かつてエホバの証人だったことで失われたモノ
私は生まれながらにしてエホバの証人2世だった。両親は異常に熱心なエホバの証人で、子供の私はものみの塔協会の教義に沿って厳格に育てられた。私は、14歳のときに自分の意思でエホバの証人をやめる。
両親は、その後もしばらくはエホバの証人として活動を続けていたのだが、先に父親がエホバの証人をやめることになる。母親がエホバの証人をやめるまでに、父親は家を飛び出し両親は離婚に至った。
父親は戻らず、そのまま現在に至る。私は20歳を過ぎた頃には、実家を出て一人暮らしをしていたのだが、両親が離婚したことで母親と二人で住むことになった。これは母親の強い要望である。
実家のあった田舎に住むのは私としては懲り懲りだったので、一応は県庁所在地である地方の中核都市で母親と暮らすことになった。この頃には私の母親もやっとエホバの証人をやめていた。
こうして私は住居という意味での実家を失った。家族という意味でも、いつでも戻れるような実家を失った。そんな実家を持たない人も多く世の中には存在する。20歳になるまで両親と一緒に暮らしていたということだけでも、私は恵まれていたとも言える。
しかし日常的に手にしていたものを、ある日突然に失ったのである。ある日突然、父親がいなくなり、帰る家が無くなった。20代前半の私にとってこれは大きな意味を持つことだった。
エホバの証人の住んでいた家
この失われた実家は、私の父親が私の祖父に買って貰ったものである。私の父親にとっては実の父親にあたる。せっかく私の祖父に買って貰った家だが、空き家となってもう15年近く経つ。
両親は離婚し、私も田舎暮らしは嫌なので、このまま放置され続けることになる。この空き家を処分するために、私は久しぶりにこの実家に帰った。
この家にはエホバの証人の子供としての辛い思い出しかない。田舎生活が嫌いという以外に、私がここに住みたくない理由のもう一つがエホバの証人2世だったことを思い出さざるを得ないということ。
また、実家付近は絶望的な田舎で住民のほぼ全員が顔見知りである。私の一家はエホバの証人一家として変質的な有名人になっている。こんな所へ、カルトをやめてまた戻ってきましたと、やり直す気にはなれない。
こうして、何百万円かで購入されたこの家は無用の長物と化したのである。私の一家がエホバの証人として過ごし、エホバの証人の集会まで開かれていたこの家は時間と金と土地の浪費の象徴。
エホバの証人の集会が開かれていた実家
エホバの証人の集会は基本的には「王国会館」という集会所で開かれる。これは100人規模の「会衆」と呼ばれる信者の集まり。ただ平日夜の集会は、「群れ」という会衆の下の単位で開催される日がある。
「群れ」は近所の20人程度の信者の集まりで構成され、「何々の群れ」とローカルな地名が名付けられる。この群れの集会に、私の両親は喜んで自宅を提供していたのである。
火曜日の夜になると、わらわらと信者が私の家に集まって来る。付近は自動車の路上駐車で溢れかえる異常さ。個人宅では讃美歌などは歌われないので騒音は出ないのだが、週に一度、夜になると人がたくさん集まってくる家というのは、相当に不気味だ。
この私の実家は、近所でも有名なカルト宗教一家が住んでいて一家離散したという呪い付きである。そして管理されず、お化け屋敷状態になり今まで放置されていたのである。
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