節分、屈辱の記憶
今日は節分で、豆をまいて「鬼は外、福は内」とやるのが日本の習慣。私が小学生だった頃には、学校でもれなくこの行事があった。かれこれ30年以上前。息子の幼稚園では今でも豆まきがあるので、廃れずにこの伝統が継承されている。
とはいえ、子ども私は、豆まきができなかった。理由は、私がエホバの証人というカルト宗教の2世信者だったから。エホバの証人というのは、自称キリスト教系の新興宗教。私の両親がエホバの証人信者だったので、当然のように私も2世信者として育てられた。
エホバの証人は、戒律が厳しい原理主義で、キリスト教以外の宗教に由来する行事の一切が禁止。大人から子どもに至るまでもれなく。
節分、七夕、七五三、日本古来の行事は全てNG。クリスマス、イースター、バレンタイン、一見キリスト教っぽい行事も宗派が違うので禁止。
他には、輸血を拒否して死亡する信者がいたり、兵役拒否、武道の禁止、選挙や投票の禁止、国歌斉唱しない、国旗掲揚時に着席するなどの不敬意。
エホバの証人は、国家の法は厳守する立場を取りつつも、法より教団の戒律を優先する。エホバの証人は、そんな危険なカルト団体。
かつて子どもに体罰を推奨し、日本中で子どものお尻を叩きまくるも、時代の変化に合わせて体罰は隠蔽傾向にある。また、一部の地域では、児童性虐待の温床にもなっている。
つまり、エホバの証人は最低最悪な宗教団体。しかし、
2世信者の子どもの日常で辛いのは、学校行事への不参加だったり、給食前に合掌せずにエホバの証人スタイルで祈らなければならないこと。要は、クラスメイトや教師からの「変り者」という視線が痛い。深く傷つく。これが毎日のことなので、傷は深く深く、痛みは蓄積されていく。
皆が楽しそうに豆をぶつけあっているのは、もちろん羨ましい。一緒にやりたい、という気持もあるのだが、それ以上に、一人見学している恥ずかしさ。
「早くこの時間、過ぎてくれ」と、私はいつもそう思っていた。これがエホバの証人2世の子どもだった私の辛い屈辱的な記憶。
禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ
救いのない宗教、エホバの証人
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