エホバの証人2世の子どもの心を蝕む、信者の親とその暴力

エホバの証人の子供の悲しみ

子どもには適さない、エホバの証人という宗教

エホバの証人の世界では、子どもの望むたいていのことは禁止されているか、推奨されていない。

エホバの証人の親たちは敬虔なクリスチャンであろうとして、盲目的に教団の教理に従う。そのため、エホバの証人2世の子どもたちは、親から厳格すぎる戒律を押し付けられる。

子どもは、様々なことに興味を持ち、試してみて将来を夢見る。ところが、エホバの証人の子どもは、その希望をもつ前に親の妨害を受ける。

それでもエホバの証人の子どもは親を愛していて、親の愛と是認を得ようとする。これは当然のこと。

子どもは、親がいなければ経済的に自立する力が備わっていない。親の承認を得て、生活全般の保護を受けなければ、生きていくことが出来ない。

また、無力な子どもが保護者の愛情を必要とするのは当然のこと。説明するまでもない。もはや本能レベル。

父親に褒められたいというエホバの証人2世の叶わない願い

エホバの証人2世の子どもの苦痛に満ちた少年時代

親の顔色を伺うエホバの証人2世

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父親にほめられたいという、エホバの証人2世の叶わない願い

哀しいエホバの証人親子

はかない人生の、本当の意味とは

私はほぼ生まれながらにエホバの証人の2世信者として育てられた。幼稚園や保育園で幼児教育を受けることなく、母に教団の布教活動に連れ回される幼児期を過ごす。

幼児期に体を動かしたり歌ったりという機会が無かったため、私は運動が全くできず、音楽的な才能も皆無だった。集団生活にもなじまないまま小学生になる。

音痴でスポーツが全く出来ないということが、私は嫌で仕方がなかった。思春期になればなおさら。自分がエホバの証人2世であることと同じくらい、体育や音楽が出来ないこと、絵が尋常でなく下手なことが嫌だった。

しかし、熱心なエホバの証人だった両親は、そんな私の悩みなど気にも留めなかった。スポーツがダメでリズム感が皆無でも良い、エホバの証人の活動さえしっかり行っていればいい、と考えていた。

理由は、教団の言いなりになることで、ハルマゲドンを通過し楽園で永遠の命を得ることが出来ると信じていたから。心の底からただの一つも疑うことなく。これがカルトによるマインドコントロールの最終形態。

この世の終わりが近いのなら、やらなければならないことはエホバの証人活動などではない。自分の心に沿って本当にやりたいことをやらなければならない。それが、限りある命に意味を持たせる方法。エホバの証人だらけの世界で、だらだらと永遠に生き続けることには、なんの価値もない

私は14才のときにこの考えに至り、エホバの証人をやめた。

悲しいエホバの証人の親子関係

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音痴なエホバの証人2世、幼児教育を受けない子どもたち

エホバの証人2世の制限生活

運動音痴なエホバの証人2世

私はエホバの証人2世として物心ついた頃から育てられた。

エホバの証人とは、自称キリスト教系の新興宗教。世界中に信者がおり、日本ではものみの塔という名前でも知られている。2世とは、宗教2世のことで、親の信仰を押し付けられる子どものこと。

私の幼児時代は、母に毎日のようにものみの塔の布教活動へ連行された。そのため、私は幼稚園や保育園といった幼児教育を一切受けていない。

ものみの塔的には、世俗の幼児教育など必要ないというスタンス。エホバの証人の王国会館という集会所に連れて行くことや、家庭での聖書研究(実際にはものみの塔の宗教本研究)が何よりの情操教育だというのが、エホバの証人の親たちの言い分。

私は運動が苦手で、リズム感が無く絵も下手な子どもだった。両親いわく、幼稚園だか保育園で、幼い頃にそういった練習をしていないからだろうということ。その代わりに本を読むことや文章を書いたりするのは得意で、小学校でも体育や音楽、図工以外の成績は良かった。

小学校の主要科目で私の成績が良いのは、幼児の頃からものみの塔の出版物に慣れ親しんでいるせいだと、両親は常々自慢していた。運動ができなくて音痴でも構わない。そんなモノは、エホバの証人に必要ないというのが両親の考えだった。

父は、高校のときにインターハイに出るほど運動神経が良かったのに、私にはその血は受け継がれていなかった様子。また、全く運動やお遊戯をしなかった幼児期の影響も大きい。

好きこそ物の上手なれと言うが、できないモノを好きになるのはとても難しい。水泳で50mのノルマを泳げるようになったのも、クラスで最も最後のグループだった。

スポーツを禁止されるエホバの証人2世

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エホバの証人2世の野球、たった一球でのゲームセット

たった一球でのゲームセット

エホバの証人の野外集会

私はほぼ生まれながらにしてエホバの証人の2世信者として育てられた。父は会衆の長老で、母は正規開拓者。エホバの証人の言うところの神権家族。筋金入りのマインドコントロール家庭だった。

とあるエホバの証人の野外集会のときの話。エホバの証人の集会という集まりは、ほとんどが王国会館という建物で行われる。ただ半年に一度だけ、週末の集会が”レクリエーション”を兼ねて屋外で行われることがある。これが野外集会。

この野外集会を、エホバの証人の子どもたちは心から待ちわびている。普段は羽を伸ばして遊ぶことが全くできないから。

短縮版のものみの塔誌の討議が終わると、持ち寄った昼食を食べて午後からは”レクリエーション”の時間。この日だけは午後からの布教活動もお休み。

我々エホバの証人の子どもたちは、集会が終わった瞬間に野球を始めた。他の信者が昼食の準備をしている、ほんの僅かな時間が待ちきれなかった。

そのプレイボールの第一球目を私がジャストミート。

ボールは大きく飛んでいき、昼食の準備をしていたエホバの証人信者たちのど真ん中に突き刺さった。とある女性信者の頭をかすめるのが遠目にも見えた。ホームランとはそういうモノ。運良く誰にも当たらなかったのだが、軟球とはいえ、命中していたら多少の怪我は免れなかったようにも思われた。

打ち砕かれるエホバの証人二世の子供の楽しみ

エホバの証人の野外集会の思い出

エホバの証人2世の子どもの本当の願い

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エホバの証人2世のホームラン、カルトな野球大会とは・・・

エホバの証人の野球大会とは

カルトの野球大会

エホバの証人の週末の集会で、半年に一度の間隔で野外集会と呼ばれる屋外での開催があった。大きな公園や河川敷などで”レクリエーション”を兼ねて開かれる集会。

とある野外集会のとき。ものみの塔誌の討議も終わり、大人の信者たちが昼食の準備を始めた。父はこの会衆の長老だったので、昼食の準備を仕切る形になっていた。

エホバの証人2世の子どもにとって、野外集会の日だけは存分に遊ぶことが出来る。楽しみにして待ちわびた野外集会。昼食前に我慢しきれなくなった子どもだけで野球を始めた。

エホバの証人の親は、子どもが一般の子どもと遊んだり、野球をしたりすることに良い顔をしない。そして、集会のある日や布教活動に出かける日は、友達と野球をすることなどは許されなかった。

食後には、大人も交えて”レクリエーション”が行われる。それは野球だったりサッカーだったり、子供たちの望む流行のスポーツ。エホバの証人の子どもたちはこの日を楽しみに待ち望んでいた。

激しく敵意をむき出しにしたり、露骨な応援などはエホバの証人的にNGだが、一応スコアはつけるし、競技の面白みを損なわない程度に本気でボールを投げたりする。カルト教団の野球大会と言ってもその辺は普通。

エホバの証人の集会とは?日程・曜日・服装などまとめ

エホバの証人2世のホームラン

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エホバの証人(JW)2世の子どものハードスケジュール

エホバの証人の子供は一体いつ遊ぶんだ?

エホバの証人布教活動のため、ノーゲーム

私の両親は、エホバの証人という宗教に完全にマインドコントロールされており、私は生まれながらにエホバの証人の2世信者であることを強要された。

エホバの証人とは通称JW。自称キリスト教系の新興宗教。

2世信者とは親の宗教を押し付けられる子どものこと。

私は、小学校4年生になるときに引越しを経験した。田舎の小学校に転校。転校先で私にできた最初の友達は、無論エホバの証人では無かった。

土曜の午前中の学校が終わり、その子に誘われて2人で野球をした。当時は、まだ土曜日の午前中に学校の授業があった。1990年代前半のこと。

ちょっと離れた場所にある公園まで2人で自転車を走らせて、野球の試合をすることに。2人でどうやって野球の試合をしたのか、今となっては疑問なのだが、とにかく2人で野球の試合をした。

しかし、土曜の午後には、私にはエホバの証人の布教活動が待っていた。エホバの証人が言うところの奉仕活動。繁華街や駅前で教団の雑誌をもって街宣したり、見知らぬ家の呼び鈴をもれなく鳴らして周ったりする、ほぼ罰ゲーム。

野球を始めて30分もすると、母親との約束の帰宅時間になる。帰って布教活動に出かけなければならない。つかの間の野球対決に決着はつかず「さようなら」ということに。

急いで帰らないと、母に怒られる私のために、その子は自転車でバットを運ぶのを手伝ってくれた。

ど田舎の小学校だったので、1学年につき1クラスしかない。その小学校にエホバの証人の子どもが入ってきたのは私が初めて。よく分からない怪しげな奉仕活動とか言っている奴のために、バットを運ぶのを手伝ってくれたその子は朴訥で良い子だった。

こうしてできた貴重な友人との時間は、エホバの証人の布教活動のせいで打ち切り。

普通の子どもであれば、楽しい土曜の午後の時間が始まったばかり。そのタイミングで、子どもの私はカルトの世界へ戻らなければならなかった

エホバの証人の勧誘のための伝道奉仕活動

エホバの証人2世の子どものハードスケジュール

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エホバの証人の野外集会、一瞬で終了する子どもの楽しみ

楽しいことなど皆無、エホバの証人の子ども

エホバの証人の野外集会とは・・・

エホバの証人の週末の集会だが、半年に一度ほど野外集会と称して大きな公園や河川敷などで行われることがあった。レジャーシートが敷かれ、いつもより短い1時間弱の集会が開かれる。

公開講演という単独の宗教講話は無く、ものみの塔誌の討議だけで終わる。私の父は会衆の長老だったので、この野外集会の際にもリーダーシップをとって会場の設営などを行っていた。

野外集会の日は、ものみの塔誌の討議も省略版になる。通常は節ごとに朗読された後、欄外に書かれている質問を司会者が読み上げる。続いて挙手した信者が回答するという手順。

ところが、野外集会の際には朗読が省かれ、いきなり質問が読み上げられる。そして、予習してきた信者が挙手して回答する。これはぐんぐん進むので、子どもにとっては遊べる時間が刻一刻と近づいてくる。

もうこれだけなら、一切宗教系の要素は抜きにして、ひたすら遊べば良いと思うのだが。とはいえ、

エホバの証人2世の子どもたちにとって、この短縮版ものみの塔討議は画期的な素晴らしいシステムだった。いつもの長くて退屈なだけの公開講演は無いし、朗読がない分、ぐいぐい進んでいく。

天気の良い日にレジャーシートを敷いて、近くには持参した野球道具などが置かれている。信者たちが手作りして持ち寄った弁当やおかず、飲み物も豊富に用意されている。

簡単なものみの塔誌の討議が終わると、持ち寄った料理や飲み物などで昼食をとる。信者たち全員が協力し合って、準備から後片付けまで行われる。その後で”レクリエーション”の時間となる。

エホバの証人2世の子供に対する餌と罰

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元エホバの証人2世が奪われた、取り返しのつかない時間

失った時間の大きさに唖然とするエホバの証人2世

元エホバの証人2世、楽しい病気の記憶

エホバの証人の子どもが強要される集会とは

私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人の2世信者として育てられた。週に3回もあるエホバの証人の集会には、毎回必ず連行されていた。

集会とは、普通のキリスト教で言うところのミサのようなもの。信者の個人宅や、王国会館と呼ばれる、エホバの証人にとっての教会のようなところで開催される。

エホバの証人は、この集会への参加を非常に重要視している。熱心なエホバの証人だった両親も同様。

体調が悪くても、よほどの高熱が出ているような状態でないと集会を休ませてもらえなかった。ちょっとした風邪くらいではそのまま連行された。

そのため、私の記憶では、集会を休んだことはほとんどない。学校を休んだ回数の方が圧倒的に多い。子どもの頃の私は、本当に数えるほどしかエホバの証人の集会を休んだことが無かった。

テレビの熱を冷ますエホバの証人の子ども

両親が集会で家を空けて、高熱の自分が家で留守番をしている。この状態が、子どもの頃の数少ない幸せな記憶として、まざまざと思い出すことができる。

エホバの証人の集会に行かずに、好きなだけテレビを見れるのが嬉しくてたまらなかった。しかし、寝ないでこっそりテレビを見ていたのが両親にばれると、後でひどく怒られる。

両親が帰って来る30分前には、テレビを消して布団に潜り込んでいた。テレビの熱を冷ますため。昔のブラウン管型のテレビは、電源の熱が冷めるのに時間がかかった。

私は、14才のときに初めて、集会に行かないと両親に告げた。もうエホバの証人をやめてやるということ。

この日、両親が集会に出かけ、一人で家に残った時の激しい喜びは、人生においてこれ以降感じたことがない。これからはこの時間を自分のために使えるのだ!

マインドコントロールに使われるエホバの証人の集会とは

退屈かつ過酷なエホバの証人の集会

エホバの証人の集会は退屈で仕方がなかった。しかし、そういったことを顔に出すわけには行かない。集会で不真面目な態度を取れば、待っているのは懲らしめという体罰。エホバの証人の社会では、児童虐待が常態化している。

児童虐待が隠蔽されている王国会館を通報せよ

懲らしめが怖いので、集会には真面目に参加するしかない。注解という、挙手してコメントする回数は親に決められていた。その回数は手を挙げ、さらに真面目な顔で講演のノートを取ったりという日々。

エホバの証人のマインドコントロール集会

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お年玉が寄付箱へ流れる、エホバの証人の集金システム

エホバの証人がお年玉を禁止しない理由

エホバの証人がお年玉を禁止しない理由

エホバの証人は教理にのっとるのなら、お年玉の受け渡しをしてはいけない。しかし、なぜか私の家ではお年玉が許されていた。親も親戚の子どもに渡していた。お年玉袋ではなく、わざわざ子ども用の封筒を使っていたが。

私の両親は異常に熱心なエホバの証人だった。そのため、親族の葬式で焼香はしなかったし、読経の際にはわざわざ席を外していた。私も、エホバの証人の教理に従い、ありとあらゆることを禁止された。

それにも関わらず、お年玉の受け渡しだけはしていたのは、教団が特別にお年玉を禁止していないから。

エホバの証人は、お年玉の起源が何であるかも調べず、単純に教団の言いなりになっているだけ。この際、しっかりと自分でお年玉の由来について調べることをお勧めする。

ついでに、エホバの証人初代会長ラッセルの私生活や、エホバの証人が国連NGOに加盟していたことなども調べてみてはどうだろうか。

自分で何も調査せず、何も考えずという状態は良くない。その思考状態で「聖書研究」など出来るわけがない。

お年玉の”たま”は魂のたま。その魂は年神様という神道の神様のもの。自称キリスト教徒のエホバの証人としては明らかに異教のイベント。

エホバの証人がお年玉を禁止しない理由、それは子どもが貰ってきた現金が回りまわって教団の資金になるから。組織としては、1月にお年玉のあがりが寄付として多く集まるのは都合が良い。

そのため、特にお年玉を禁止だとは言わない。年賀状が禁止だったのは、信者が送りあったところで、単に時間の無駄だからだろう。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

お年玉は、エホバの証人の寄付箱へ

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エホバの証人が神権的戦術でお年玉を貰うのはカルトだから

エホバの証人とお年玉

エホバの証人とお年玉

エホバの証人にとって、お正月のイベントはほとんど禁止。門松をたてることも無いし、初詣にも行かない。「明けましておめでとうございます。」とも言わない。しかし、不思議なことに、我が家ではお年玉だけは許されていた。

お年玉の起源に宗教臭が一切ないのかも知れないと考え、ちょっと調べてみた。すると、お年玉は「としだま」のことで「たま」とは魂のことだった。

この段階で、エホバの証人の教理をちょっとかじったことのある人なら、お年玉はNGだと分かる。魂、霊魂などはエホバの証人的には完全なNGワード。

新年を司る年神様への供えた餅玉を、神棚から下げて食べたことから「としだま」と呼ばれるようになったという説もある。年神様とは日本古来の由緒正しい神様。日本古来の神々への信仰や、それに関係することはエホバの証人には禁止。

神棚への供え物には神様の分霊が宿るとされ、それを頂くことで人々は力を得て新たな年を迎える。神棚から力を得るなんて、お年玉はエホバの証人が最も避けなければならないたぐいのモノ。

やはり、お年玉はエホバの証人的には完全にNGイベント。

エホバの証人が貰うお年玉は、王国会館の寄付箱に直行

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