『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』~エホバの証人2世の死生観

元エホバの証人2世の体験コミック

『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』

エホバの証人2世の境遇を描いたコミック。紙書籍版は中古しか販売されておらず(執筆当時2021年1月)。電子書籍版なら端末を覗かれない限り、読んでいるのを知られないので、現役信者の方にもおすすめ。

エホバの証人というのは、自称キリスト教系の新興宗教。2世というのは、宗教2世信者のことで、親の宗教を強要された子どものこと。私も、本書の作者と同じようにエホバの証人2世だった。

エホバの証人組織は、教団外の本を読んではいけないと信者に言うが、それは自分たちの主張を守るための情報統制。マインドコントロールの手段。自分から知ろうとしない限り、真理はあなたの元にはやってこない。

この本は危険でもないし、本ブログのようにエホバの証人組織に対して攻撃的・真っ向から批判しているわけでもない。コミックなので読みやすいし、絵柄も受け入れやすい優しいタッチ。

エホバの証人2世の気持ちを代弁する本

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児童虐待が隠蔽されているエホバの証人の王国会館を通報せよ

児童虐待の王国会館

陰湿なエホバの証人の体罰

警察庁の犯罪統計によると、児童相談所に通告した子どもの数が2019年に過去最多になったとのこと。児童相談所に通告した18才未満の子供の数は10万人弱、そのうち身体的虐待が2万人ほど。

周囲にエホバの証人2世の子どもがいる人は、積極的に子供に通告させる、自ら通告するという行動を取れる時代になった。

エホバの証人の体罰は、子どものお尻をベルトや素手で叩く方式なので身体に証拠は残らない。しかし、子どもたちの心に大きな傷が残る。周りの正常な大人には、それを救う義務がある。

エホバの証人の集会が開かれる王国会館には、”懲らしめ”用の部屋があった。懲らしめというのは体罰、児童虐待に該当する。くだらない自己満足の公開講演がされている間、子どもたちは当然おとなしくしていることはできない。

公開講演というのは、週末の集会で行われる、男性信者による単独の宗教講話のこと。ほとんど自慰行為。

詳しくはこちらの記事で→エホバの証人2世の物的被害

エホバの証人は、懲らしめという体罰で抑えつけて、子どもの心をのっぺりと平らにして洗脳していく。静かに2時間座っている子どもが模範的な良い子ども、神エホバや両親から愛されるのだ、と体罰の恐怖で思い込ませる。

懲らしめ用の部屋は密室になっていて外に音が漏れなかった。私がしこたまお尻を叩かれていた30年以上前でも、教団指導層は虐待を”疑われる”ので、子どもの泣き声を外に漏らさないよう懲らしめを行え、と信者に通達していた。

エホバの証人組織の中では、組織的、伝統的に子どもへの虐待が行われている。私が懲らしめられた部屋には、水道用のホースが設置してあった。緑色のホースで、子どもの私はお尻を思いっきり引っぱたかれていた。30年以上前の光景が、まざまざと目に浮かぶ。

愛のムチとは?エホバの証人の王国会館を通報せよ

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親失格のエホバの証人、帰宅部強制のエホバの証人2世

親失格エホバの証人

エホバの証人2世、蔑まれているという思い込み

私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。両親は2人とも、ものみの塔協会によって完全にマインドコントロールされたエホバの証人だった。

私が両親にようやく抵抗したのが、中学生になってすぐのクラブ活動の選択。

私の通っていたド田舎の中学校では、生徒全員が何らかのクラブ活動に所属する決まりだった。しかも、男子生徒はほぼ全員運動部に入部しており、文化部に入る男は非国民だという風潮があった。

しかし、私の両親は当然のように私を文化部に入部させようとしていた。運動部だと、エホバの証人活動に差し支えるため。これに私は断固抵抗した。

中学生のクラブ活動が文化部だろうと運動部だろうと、今の私にとってはどうでも良いし、周囲と違って運動部に入らないのも個性だと思える。しかし、

この頃の私は、”変人、変わり者、宗教、キリスト”と呼ばれ、学校内で蔑まれている、と思い込んでいた。これ以上、悪目立ちするのは思春期の私にとっては耐えられなかった。

周囲から浮かないように、私はどうしても運動部に入部したかった。

エホバの証人2世の、自意識過剰

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エホバの証人2世、恥にまみれた屈辱的な小学校生活

エホバの証人2世、屈辱的な小学校生活

エホバの証人2世の子ども、灰色の小学校生活

私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人という宗教の2世信者として育てられた。小学校高学年になると、エホバの証人2世という境遇が圧倒的な不運だと思い始めた。

エホバの証人2世である限り、明日は楽しみではなく、日常の景色は灰色だった。

2日か3日おきに抜群に退屈なエホバの証人の集会がある。この日は、放課後に友達と遊ぶことは許されない。集会の予習をしなければならないから。この集会では、1ヶ月に1回程度の間隔で割り当てというモノが回って来る。

エホバの証人の親が子供に勧誘活動をさせるのは虐待

割り当てとは、各信者が宗教勧誘の練習のため、聴衆となる大勢の信者の前で講話や勧誘の模擬練習をすること。これは、神権宣教学校という、ものみの塔の教育プログラムになっていた。

小学生の私は、一番初学の5分程度の聖書の朗読と講話をしなければならなかった。この準備も面倒だった。

エホバの証人の集会の日は友達と遊ぶこともできないし、集会の無い日でもエホバの証人でない友達と遊ぶことに対して、親は良い顔をしなかった。

集会の無い土曜日も、学校が終わった午後になるとエホバの証人の布教活動に出かけなければならなかった。

私が小学生の頃は、土曜日の午前中はまだ学校があった。途中で学校も完全週休2日制になったのだが、私にとって嬉しくも何ともなかった。結局、エホバの証人の布教活動に参加しなければならない時間が増えただけ。

私にとって小学校生活は、楽しみなど何もない灰色だった。

痛みを伴うエホバの証人2世の小学校生活

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エホバの証人の子供に生まれた圧倒的不幸、監視される学校生活

不幸なエホバの証人の子ども

エホバの証人2世の学校生活

私は生まれながらのエホバの証人だった。小学校高学年になった私は、クラスメイトと同じようにクリスマス会に参加したかったし、校歌も国家も普通に歌い、騎馬戦にも出たかった。

しかし、そういった活動すべてはものみの塔の柔軟性のない態度によって禁止されていた。ものみの塔は、他の宗教を全て異教・異端とみなし攻撃対象にしている。本来は自分たちが異端そのものなので、滑稽な話。

クリスマスは普通にキリスト教に関連した行事なのだが、エホバの証人から見ると異端の行事のため禁止。節分や七夕は、当然のように禁止。

私の子どもの頃はなかったのだが、最近騒がれるようになったイースターやハロウィンも禁止。

給食の前の合掌も、日本の神仏への祈りのポーズと同じなのでNG。合掌しないだけならともかく、キリスト教ポーズで祈りを捧げなければなかったので、周囲から見ると明らかな変人。給食は毎日のことなので辛かった。

エホバの証人の子どもには心休まる日は無い。

学校の先生は、小学生の私が何らかの行事に参加しないと言うたびに干渉してきた。この行事は宗教性は無いのではないかと。しかし、小学生だった私がエホバの証人の掟を破ったらどうなっただろうか?

親に怒られるだけでは済まない。エホバの証人の教理に背くということは、狂信的なエホバの証人信者である親との決別を意味する。

親の保護なしには生きられないし、親を捨てる覚悟もない。10才ちょっとでその覚悟はなかなか持てない。親に保護されて生きてきた時間が、人生の総量に占める割合として大きすぎた。いまだ、両親の愛情を必要とする年齢だった。

であれば、親に秘密で学校だけでエホバの証人でない顔をするしかない。しかし、学校の先生はその秘密保持を保証できない。親に黙っていて、後でばれたとき、自己の保身ができないから。

エホバの証人の親は怒り狂いますよ。子どもに異教の行事を押し付けたんじゃないのかと。覚悟も無いのに、仕事だから念のため干渉してくるだけの無能な地方公務員、エホバの証人の子どもだった私は、学校の先生をその程度に捉えていた。

エホバの証人の子供に生まれた圧倒的不幸

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体罰と愛情と恐怖で洗脳される、エホバの証人2世の不幸

不幸なエホバの証人の子ども

体罰と愛情と恐怖によるエホバの証人の洗脳

昨日の記事の続き。

田舎へ引っ込んだ両親は、ますます熱心にエホバの証人活動を行なうようになった。父は、会衆というエホバの証人コミュニティで長老というリーダー的立場に就く。母は、年間1,000時間※をものみの塔の布教活動に従事する正規開拓者になった。
※現在は年間800時間、2022年段階ではコロナ禍で要求時間撤廃中らしく

私も両親に引きずられて、エホバの証人2世としてものみの塔の活動を中心とした、小学校高学年を送ることになった。もちろん強制的に。

内心、非常に嫌だったが、小学生だった私が親に抵抗するすべは無かった。兄弟もおらず一人っ子だったので、自分が動かない限り改善は望めない。

しかし、「今日だけはエホバの証人の集会に行きたくない」、そう言い出すことすらできなかった。懲らしめという名の体罰が待っているから。

体罰の恐怖が、脱会意志を表明できない理由の一つではあったが、

子どもだった私は、ものみの塔のマインドコントロール下の両親からですら愛情を得なければ、物質的にも精神的にも生きていけないという要因もあった。

また、物心ついた頃からものみの塔に洗脳された影響も大きい。天にはエホバという絶対的で愛に溢れた許しの神がいる。しかし、彼のその許しの精神も間もなく限界に達し、自身の創造物すべてを焼き尽くそうとしている。

その大患難を生き残るためには、しこしことエホバの証人の王国会館で開かれる集会に通い続け、終わりの日が近いと布教して回らなければならない。私はそう信じ込まされていた。

田舎のエホバの証人の子どもの不幸

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田舎へ引っ込んだエホバの証人に起こったこと、性的モンスターと仕組まれた予言

見渡す限りの大自然のド田舎エホバの証人2世に起きること

田舎暮らしを強要されるエホバの証人

私が小学校4年生になるときに、家族で田舎へ引っ越すことになった。両親それぞれの実家の中間地点へ。

私はほぼ生まれながらのエホバの証人2世信者で、両親は尋常でなく熱心なエホバの証人だった。

両親は、私が多感な少年期を迎えて、都会にいると”この世”の誘惑に晒されるという思いもあって、田舎に引っ越すことを選んだようだった。

エホバの証人は極端に”この世”的なものを嫌う。この世的というのはエホバの証人組織外のこと、モノ、人。

教団側は、外部の情報が信者の心に届いてマインドコントロールが解けてしまうのを警戒している。そのため、外部情報を避けるよう信者に指導している。組織外の「”この世”の情報は、悪魔サタンの誘惑であるから避けるように」と。

児童への性的虐待の隠蔽、一部の国での建前上の輸血解禁、数多の予言解釈をハズし、教団の方針に従わない者を会衆単位で追い出したり、そういった不都合な真実が信者の耳に入らないようにしている。いったいどちらがサタンなのだろうか?

悪魔サタンの誘惑に打ち勝ち、エホバの証人として正しい振る舞いを続ければ、間もなく訪れる終末ハルマゲドンを生き残ることができる。パラダイスとなった地上で永遠の命を享受させてあげるよ~、というのが、エホバの証人の教理。

エホバの証人は、このご利益をひたすら追いかけ続ける。そして、人生を大きく損なう。私の両親も仕事のキャリアを失い、積み重ねていたモノすべてを捨てて、若くして田舎へ引っ込むことになった。

田舎への引っ越しが、私にとって良かったのか、悪かったのか、今では不明。私は10代半ばになると、見渡す限り田んぼしかないこの田舎町が大嫌いになった。こんな所を離れたいという思いも相まって、エホバの証人を絶対にやめて、早々に親元を離れてやるという強く決意した。

小学校4年生の時のド田舎への引越しが、私が14才になるかならないかの時の、エホバの証人脱会の大きな要因になった。

エホバの証人にも地域性があり、都会の方がわりと教理の適用が緩い傾向があると思われる。そのため、元々住んでいた都会のエホバの証人の子どもたちは、もうちょっと大きくなってからエホバの証人を脱会していた。

幼児に性的虐待を行っているエホバの証人

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エホバの証人2世の子ども、苦痛と恐怖に満ちた少年時代

苦痛を抱えるエホバの証人の少年

行動を大きく制限されるエホバの証人2世の子ども

私は、ほぼ生まれながらのエホバの証人の2世信者で、苦痛に満ちた少年時代を送った。

エホバの証人の王国会館で開かれる集会には、週に3日も通わなければならなかった。

集会というのは、教団出版物の討議や祈り、讃美の歌の合唱などが行われるエホバの証人のミサのようなもの。集会の日には、その予習をしないといけないため、友達と遊ぶことはできない。

この頃、1980年代には土曜日の午前中は学校の授業があった。土曜の午後はエホバの証人の伝道奉仕活動に連れて行かれるので、友達とは遊べなかった。伝道奉仕というのは、エホバの証人の布教勧誘活動のこと。

日曜日も午前中は、エホバの証人の集会で王国会館へ連れて行かれるし、午後はまたまたエホバの証人の布教活動。

両親は、エホバの証人でない友達と遊ぶと良い顔をしなかった。ちょっとやんちゃな友達だと、あの子と遊んではダメだ、と制限される。

何の楽しみもない子ども時代だった。それだけならまだ良いのだが、エホバの証人2世の子どもは、学校に行けば他人との違いをまざまざと感じさせられる。これが一番辛かった。

エホバの証人の集会とは?日程・曜日・服装などまとめ

エホバの証人2世の子ども、苦痛に満ちた少年時代

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元エホバの証人2世の生まれて最初の記憶、最初で最後のバースデーケーキ

誕生日の祝いが禁止のエホバの証人

元エホバの証人2世、最初で最後のバースデーケーキ

私が生まれたのは1980年代初頭。両親の長男として、普通の家庭で育てられるはずだった。しかし、両親がエホバの証人という新興宗教に献身(完全に入信してしまうようなもの)してしまう不運に見舞われ、過酷な前半生を送ることになった。

私は、生まれながらのエホバの証人の2世信者だったと最近まで思い込んでいた。2世信者というのは、親がエホバの証人であるために、当然のようにエホバの証人にされる子どものこと。

しかし、最近発見した昔のアルバムには、ケーキにロウソクを立て、私の1才の誕生日を祝っている家族の姿が写っていた。

エホバの証人は、誕生日を祝うことを禁止しているので、私が1才のときには両親はまだエホバの証人では無かったということになる。この前後の、私が物心つく前に、エホバの証人の不幸の伝道者が我が家を訪れ、両親を入信させた。

元エホバの証人2世の最初の記憶

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体罰全面禁止国のエホバの証人、今でもムチを振るっているのか?

体罰を受けるエホバの証人の子ども

体罰が子どもに与える悪影響

体罰は身体的な痛みだけでなく精神的な痛みを伴う。みじめさや恐怖心は子どもの心の成長に悪影響がある。これは科学的な調査によって明らかになっている。米国で2002年に発表された体罰の研究成果がある。

体罰を受けて育った子どもは、その時には親の言うことを聞くという一時的「効用」がある。しかし、長期的には

  • 攻撃性が強くなる
  • 反社会的行動に走る
  • 精神疾患を発症する

などの副作用があることが分かっている。

私は、エホバの証人2世として懲らしめというを暴力を振るわれて育った。上記の体罰の副作用は、まさにあてはまっている。精神疾患は辛うじて免れていると思いたいが、私は攻撃性の強さと反社会的行動で20代を走り抜けた。

体罰を受けて育った子どもは、言葉や社会性の発達にもはっきりと遅れが見られる。体罰には良いことなど何もない。日本は違うのだが、体罰を法律で禁止している国が世界に52ヵ国もある。(2018年6月現在)

日本も2020年2月に体罰が前面禁止になった。全世界で59番目の国として。この記事を書いた2018年から7か国増えた。エホバの証人の王国会館から、子どもの泣き声が聞こえてきたら通報するべき。これは社会的義務。
※2021年8月9日追記

体罰全面禁止国のエホバの証人、ムチの現在は?

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