社会不適合者エホバの証人2世、それでも人間になれ

社会との隔絶を感じ続ける元エホバの証人2世

エホバの証人2世、願いのない子ども

私は生まれたときからエホバの証人2世だった。

エホバの証人2世とは、エホバの証人という宗教の2世信者のこと。2世信者というのは、親の信仰を強要される子ども。エホバの証人は、米国発祥の自称キリスト教系の新興宗教で、日本ではものみの塔聖書冊子協会が組織運営の中心となっている。

エホバの証人2世は、かなりの特殊環境下で成長する。エホバの証人の子どもにとって、人間関係と言えばエホバの証人社会だけ。非信者の友人との付き合いは減らすよう親に言われる。親も、親族や職場の交友そっちのけでエホバの証人活動にのめり込んでいる。

エホバの証人の子どもは、幼い頃から親や大人のエホバの証人信者の顔色を見ながら成長する。大人の信者の間で、その場その場に適応しようとする。不適応状態だと「懲らしめ」という体罰が待っているし、お利口にしていると大人から褒められ、両親の自慢になれるから。

そんなエホバの証人2世は、成長するにつれて自分の意志や主張というものがなくなっていく。少年野球のチームの入りたい、学校の友達とキャンプに行きたい、『魔法使いサリー』を見たい、どうせ全部駄目だと言われるから。

エホバの証人の戒律は特殊かつ異常に厳格で、禁止事項が多い。これがエホバの証人の子どもと一般社会の隔絶をさらに大きくしている。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

親に対して、あからさまに戒律に反した要望をすると、怒られる。ごねたりすれば体罰が待っている。エホバの証人の子どもは先回りして親の考えを読み、次第に自分の願いを押し殺すようになる。

エホバの証人の子どもは、暑い寒い、退屈などに対する忍耐力は人一番高い。

毎週つまらないエホバの証人の集会に数時間も耐え、座っていなければならなかったから。集会中、落ちつきがなければ体罰。

また、屋外での布教活動にも連れ回される。炎天下や吹雪の中での布教勧誘活動に週に3時間以上、小学校に入る前だと週に20時間近くも歩き回らされた。苛酷な天候状況の中、子供が望もうと望まないと屋外を連れ回す行為は完全に虐待。

このように、エホバの証人2世は自分の身の回りの環境に対してはどれだけでも我慢することが出来る。しかし、環境でなく自分の周囲の人間が思い通りに動かないということに、非常に憤りやストレスを感じることがある。

エホバの証人よ、人間になれ

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エホバの証人(JW)の子ども、懲らしめが終わるとき

エホバの証人の体罰をやめさせるとき

エホバの証人の子ども、屈辱的な懲らしめ

エホバの証人(JW)の親は、子どもに対して体罰による恐怖政治を敷いている。この体罰は懲らしめと呼ばれ、いわゆる愛の鞭(ムチ)ということになっている。私も物心ついた頃から、この懲らしめの支配下にあった。

私の家では懲らしめはお尻を叩かれるのが100%。パンツとズボンを脱いでお尻を丸出し。完全にパンツを下げるので股間側も丸出しになる。少年期にはこの恥辱にも耐えなければならなかった。

いつ頃から懲らしめが無くなったのかは覚えていないが、中学生くらいになると、既にお尻を叩かれていなかった気がする。おそらく局部に陰毛が生えてきた頃から懲らしめが無くなったはず。

お尻を叩かれなくなった、両親の前でパンツを下ろさなくて良くなった。これは大きな喜びのはずなのだが、いつ懲らしめが止んだのか、最後の懲らしめがいつだったのか覚えていない。

当時の私はそれどころでは無かった。両親の愛情と、自分の好きなように生きたい、という願いの狭間で苦しむ日々。そして、エホバの証人であるがゆえに変人扱いされる周囲の視線が何より苦痛だった。

エホバの証人の子どもとして被害を受けないよう、日常を取り繕って生きるので精一杯だった。

変態的な懲らしめという児童虐待の犠牲者であるエホバの証人2世

エホバの証人の懲らしめを終わらせる

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エホバの証人の子供に対する判決、そして半ケツのとき

懲らしめという暴力にさらされるエホバの証人の子供

エホバの証人の親が豹変するとき

私は物心ついたときからエホバの証人2世として育てられた。両親ともに狂信的なエホバの証人で、私は教団の戒律を厳格に適用されて14才までを過ごす。

王国会館で開かれる週3回の集会には、14年間ほぼ欠かすことなく両親によって連行された。幼少期は野外を周る伝道奉仕活動(布教勧誘活動)に週に20時間近くも連れ回された。そして、エホバの証人の教理には禁止事項が多く、苛酷な少年時代を送った。

エホバの証人の親は、子どもを懲らしめという体罰で縛り付けている。親の言うことを聞かなかったり、教団の戒律に反したりすると、こっぴどくお尻を叩かれる。

この体罰は、素手だったり皮のベルトだったり手段は様々。私はこの懲らしめがとても怖かった。今となれば、さほど痛くないような気もするのだが、子どもの頃は本当に恐ろしかった。

普段は優しい両親が豹変し、いくら謝ろうが、泣こうが、逃げ出そうが、絶対に規定数を叩くまでは許してくれない。そして、懲らしめが終われば、いつも通りの優しい両親に戻る。子どもは混乱し、親の顔色を伺って生きるようになる。

エホバの証人の半ケツの時、懲らしめの悪影響

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エホバの証人の条件付き限定愛、信者以外は愛さない

幼馴染み、とはいえそれがエホバの証人なら

笑えないエホバの証人2世の子ども

私がエホバの証人2世だった頃の古いアルバム。子どもの自分の目が虚ろ。写真の中の私は、全く笑っていない。居並んだ人々の中で一番端に立ち、ぼんやりと虚空を眺めている。エホバの証人2世だった頃は、世界に現実味が無かった。

エホバの証人というのは、米国発祥の自称キリスト教系の新興宗教。日本では、ものみの塔聖書冊子協会が、組織の指導・運営を行っている。2世というのは、宗教2世。親の宗教を強要される子どものこと。

子どもの頃の私は、「いつかエホバの証人をやめたい」と、そればかり考えていた。エホバの証人である自分を認めることが出来なかった。今の自分は偽物だと感じていた。

そうして私は14才までを成長した。エホバの証人をやめたいと模索し始めたのが10才頃。そのあたりから14才でエホバの証人をやめるまで、楽しいことなど何ひとつ無かった。目に見える景色は灰色だった。

エホバの証人だった頃の楽しい思い出が一切無い、というわけでもない。私は9才のときに両親とともに引越しをしているのだが、そのときに開かれた私の家族の送別会の記憶は残っている。

この送別会は、引っ越す前に所属していたエホバの証人の会衆の信者たちで開かれたもの。

会衆というのは、地域単位にまとめられたエホバの証人の単位のこと。一つの会衆の成員人数が、100名弱に収まるように調整されている。

当時、私の家族が住んでいたのは某大都市の郊外で、引っ越し先に比べるとだんぜんに都会だった。エホバの証人の会衆の規模も大きく、私の家族の送別会は、大きな公民館のようなところを借りて行われた。

エホバの証人の送別会とは・・・

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エホバの証人のハロウィン禁止は危険、子どもに悪影響

ハロウィンはエホバの証人の子供にとって陰惨な日

ハロウィンとエホバの証人

先日10月31日が、ハロウィンということで世間では騒がれていた。仕事でとある大学に行ったところ、仮装している学生がいて「何だろう?」と不思議に思ったのだった。

エホバの証人の2世信者にとって、ハロウィン当日は何とも陰鬱な日になる。

エホバの証人(JW)とは、米国発祥のキリスト教系を自称する新興宗教。2世とは宗教2世信者のことで、親の信仰を強制される子どものことを指す。日本では、ものみの塔聖書冊子協会が組織を指導する立場にある。

ものみの塔協会は、他の宗教に少しでも関係する行事を一切認めない。そのため、エホバの証人はハロウィン禁止(のはず)。

私がエホバの証人2世だった頃には、日本でハロウィンなど行われていなかったので、私はものみの塔のハロウィンに対する立場を知りようが無いのだが・・・。

私がエホバの証人の子どもだった20~30年前は、世間でハロウィンだと言って騒がれることは無かった。無用なイベントが増えて、現役エホバの証人2世信者にとっては良い迷惑だろう。

ハロウィンは古代ケルト人を起源とする祭り。秋の収穫を祝い、悪霊を追い出すという目的がある。元は完全なる宗教行事だったのだが、現在では宗教色は薄れ、仮装パーティーだったり、カボチャをくり抜いてランタンを作ったりとそれだけになっている。

そもそも、日本でハロウィンが定着したのは商業界による戦略であり、宗教行事としての色合いは一切ない。エホバの証人は、それも重々承知で「商業戦略の一環である」という批判までしている。

そこまで分かっているのなら、いちいち禁止せずに個人の自主性に任せれば良いものを。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

無根拠、エホバの証人の格闘技禁止の理由

JWのハロウィン禁止の危険性

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エホバの証人、命がけのものみの塔崇拝と輸血拒否というブラックジョーク

輸血拒否で殺されるエホバの証人の子供

進むも地獄、引くも地獄のエホバの証人2世

私は物心ついた頃からエホバの証人2世として育てられた。エホバの証人とは、自称キリスト教系の新興宗教。米国発祥で世界的宗教組織に発展した。日本では、ものみの塔聖書冊子協会が実質的な組織運営を行っている。

わが家は、両親ともに狂信的なエホバの証人だった。そのため、子どもの私にもエホバの証人の教理が厳格に適用されていた。これが2世、宗教2世被害者。

私の幼少期から少年期は、ものみの塔の言いなりになっていた両親により、極端に行動・生活・思想を制限された。人の考え方を制御し、自由を奪う。この経験から、私はエホバの証人をカルトだと確信している。

また、エホバの証人を世間と隔絶し、カルトたらしめる教理に「輸血拒否」の教理がある。これは自由だけに留まらず、信者の命まで奪う。

私が子どもの頃、腕を骨折してしまった。もう30年も前のことになる。小学校に入る前。骨折の手術に輸血が必要になった。

両親は、当然のように輸血を拒否。私もそれに同意したことにされていたのだが、小学校に入る前の子どもが、両親と違う意見を表明するのは難しい。

しかも死にかけている状態。そんな元気はない。輸血されて生き残ったところで、エホバの証人2世の子どもは、エホバの証人組織から排斥※される。愛する両親から背教者扱いされる。私は両親の言いなりになるしかなかった。
※2023年追記、排斥でなく、自動的に自らエホバの証人を断絶した扱いにされる様子。子どもの私は正規信者ではなかったので、ここまでの処分には及ばないが、親の心情的立場は似たようなモノ。周囲の信者から白い目で見られるのは、両親にとって恐怖。何よりマインドコントロール下にあるので、「神はそれをどう見られるか?」という妄想にとりつかれている

エホバの証人の子どもが、輸血の必要な状態に陥れば、それは進むも地獄、引くも地獄の人生の末路。

排斥とは、エホバの証人的重罪者を組織から破門にする処分のこと。現役信者は排斥者とは接触を許されない。例え家族であっても最低限度の接触しか許されない。
※後日追記。私はバプテスマという儀式を受けた正式なエホバの証人ではなかったので、排斥にはならない。とはいえ、生まれついての生粋のエホバの証人だった私が、自分の意思で輸血を行えば、組織内で排斥同等の扱いを受けるのは目に見えている。
※2023年追記、排斥も断絶も、結果はまったく同じ。

エホバの証人世界と、その信者である両親しか知らない子どもにとって、輸血が必要という診断は死刑宣告も同様だった。

エホバの証人、命がけのものみの塔崇拝

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あれっ?エホバの証人の皆さ~ん、安息日と輸血って何が違うの?

安息日も血の忌避も旧約聖書の掟

エホバの証人の輸血拒否による「無駄死に」

私の両親は熱心なエホバの証人だった。エホバの証人とはキリスト教を自称する新興宗教。ものみの塔聖書冊子協会が日本では組織運営の中心となっている。

私は、物心ついたときには既にエホバの証人の2世信者として育てられていた。2世信者とは親の宗教を強要される子供のこと。宗教2世とも呼ばれる。

私は、子供の頃に腕を骨折したことがあった。今から30年も前の話。小学校に入る前のこと。その骨折の手術に輸血が必要になった。

ものみの塔の教理では、輸血は厳禁。輸血イコール排斥処分となる。排斥とは、エホバの証人組織からの破門のようなこと。排斥処分になるとエホバの証人社会では村八分状態になる。
※2023年追記、輸血した信者は、排斥ではなく自動的に教団を断絶(=やめる)することになる。という理解が正しいようだ。断絶でも、エホバの証人側が信者を忌避する村八分状態になるのは変わらない。

ものみの塔がなぜ輸血を禁止しているかと言うと、聖書に動物の血を食べてはいけないと書かれているから。これは主に旧約聖書に書かれている事項。ものみの塔は、神とイスラエル人の古い契約を、現在の現実に強引に当てはめている。

紀元前の人々にとって、動物の血を食べる、血抜きをされていない生肉を食べるということは、ある種、致命的だった。現在のような冷蔵保存技術や、食肉の加工解体技術がないから。食中毒で一族全滅という事態も充分にありえた。

「無駄死に」を防ぐための施政的な決まり。日本でも明治時代までフグを食べなかった。そんなレベルの話。ものみの塔は、食血という概念をどこまでも飛躍させて医療行為にまで適用。結果、輸血拒否による「無駄死に」信者が発生している。

JWの「輸血しない方が良い3つの理由」が成り立たないワケ

輸血治療の普及を世界中に推進しているエホバの証人

安息日と輸血拒否の違い

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エホバの証人の「終わりの日」という嘘、ハルマゲドンは来ない

宗教本の挿絵で信者の不安を煽るものみの塔

ものみの塔の宗教本、危機感と恐怖心を煽り立てる挿絵

最近、空き家になった実家の整理をしている。旧実家からはおびただしい量のものみの塔の宗教本が出てくる。両親は、20年間を狂信的なエホバの証人として過ごした。その期間に集められたものみの塔の宗教本。

『目ざめよ!』や『ものみの塔』という薄い雑誌状の冊子が山ほど出てくる。それを綴じて製本した年鑑も年代毎に本棚に並べられている。

目にも留めたくないのだが、『目ざめよ!』誌の表紙が容赦なく目に飛び込んでくる。目ざめよ!誌の表紙はおどろおどろしい写真や絵で彩られている。人々の不安感を煽るため。

他の宗教本でもグロテスクなイラストや写真が使われている。薬物中毒に悩む人の顔は歪み、苦悶の表情を浮かべている。

終末が近づいた証として世相が乱れるという、ものみの塔の予言がある。その世相の乱れとして殺人、強盗、疫病、飢饉、戦争と言った事象が写真や絵で表現されている。

私は子どもの頃、ものみの塔の宗教本の挿絵が恐ろしくてたまらなかった。中でも怖くて仕方が無かったのが、目出し帽を被ったテロリストや強盗犯、それと毒ガスを防ぐガスマスクを被った人の絵。

目だけ見えているのだが、その目が虚ろで死んだような目をしている。意思を持たない動物のように描かれており、気持ち悪さ満点。ものみの塔の宗教本の挿絵は、あえて恐怖心を煽るように描かれている。

古臭い写真や挿絵なのだが、とにかく恐ろしい。エホバの証人の子供は、こうして危機感を煽られ、現在がハルマゲドン間近の『終わりの日』であると洗脳される。

エホバの証人の予言する『終わりの日』とは言い難い世界の状況

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元エホバの証人(JW)2世にとっての唯一の特効薬

エホバの証人2世の本質的な癒しとは

エホバの証人2世として思春期を過ごすことの悪影響

最近、空き家になった実家の整理をしている。実家が空き家になった理由は、両親が20年もの期間をエホバの証人として過ごしたから。両親がエホバの証人になったため、私の家族は崩壊した。

私は、ほぼ生まれながらにエホバの証人の2世信者だった。14才のときに自分の意思でエホバの証人をやめる。その後、エホバの証人をやめるタイミングのズレが原因となり両親は離婚。一家離散。

実家整理のついでに、最後に連行されていたエホバの証人の王国会館を見に行った。ふとした気まぐれ。

この王国会館は閉鎖されていた。私は9才のときに引っ越しているので、この最後の王国会館に通っていたのは長くても9才から14才までの5年間。

今の私は37才で、この王国会館にまつわる苦い思い出は37年のあいだの5年間。そんなに長い気もしない。しかし、小学校高学年から中学校2年生までの思春期を、エホバの証人2世として過ごさざるを得なかった。この意味は大きい。

エホバの証人の2世信者であることを強制された思春期は、私の精神や人間関係、対人スキルに大きな悪影響を残している。今でもこの影響から完全に自由になっていない。

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エホバの証人の王国会館閉鎖のための、逆伝道奉仕活動

全国3000のエホバの証人の王国会館を閉鎖する

エホバの証人の王国会館を閉鎖させる逆伝道奉仕活動

最近、空き家になっていた実家整理のため、昔住んでいた田舎へ通っている。

私は両親との3人家族で、両親は、私が生まれた直後に狂信的なエホバの証人に変貌した。私の子ども時代は、エホバの証人2世として厳格にものみの塔の教理を適用された。

私は14才のときに、自分の意思で何とかエホバの証人をやめた。私が20才を過ぎて家を出た後、両親も時を違えてエホバの証人をやめる。この脱会のタイミングがずれたために両親は離婚に至り、私の家族は崩壊。こうして私の実家は現在まで15年も放置されていた。

久しぶりに田舎へ帰ったので、脱会直前まで連行され続けたエホバの証人の王国会館を見に行ってみた。王国会館というのはエホバの証人の集会場のこと。

今までの私なら絶対にしなかったこと。カルトの集会所に近づくなど、危険極まりない行為だし、エホバの証人2世だったことは、忘れ去って封印したい過去だから。

このブログを書き続けることで私は、ようやく自分のエホバの証人2世だった過去を見つめることが出来るようになってきた。私にとって書くことか一つの癒しとなっている。

また、最近決意を堅くしたことが、

ものみの塔を、この世から消滅させるために逆伝道活動を行わなければならないということ。エホバの証人としてカルト被害を被っている人々の解放が、このブログの目的。

パステルカラーの王国会館を、いつまでも避け続けているわけにはいかない。そのための実地調査で、かつて連行されていた王国会館を見に行ったのだった。

王国会館から脱出し真実を見つけよう

エホバの証人の王国会館の閉鎖

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