「この世」の空気に流されない確固としたエホバの証人が・・・
「昔は学校の先生も体罰を行っていたから、誤った選択の結果、子どもに鞭をしてしまったエホバの証人もいた」
エホバの証人の言いわけ。この言いわけの要点は2つ。
- 学校の先生や時代という空気感に流された
- 鞭は過ち、罪
まず学校の先生や時代の空気で体罰が横行していたのは「躾」。信仰を押し付けての体罰は「宗教虐待」。
例:
- 友達を殴ったら先生に殴られた→「躾」
- エホバの証人の王国会館で居眠りしたら、目覚まし代わりの鞭→「宗教虐待」
学校の先生を貶めるな。宗教虐待者よ。「躾」と「虐待」は違う。そして、その「躾」ですら、現在では体罰が一切禁止されている。
そして、都合のいいときだけ、学校の先生に影響されたとか言うな。エホバの証人は「この世」の者ではないんだろ。エホバの証人様は、「この世」の雰囲気に安直に流されたりしない、確固とした信仰を持っている設定。
エホバの証人は、学校の先生や「この世」の空気や時代感ではなく、ものみの塔の悪影響を受けて、子どものお尻を叩くという残虐な宗教虐待をやっていたんだよ。
学校の先生とか時代という欺瞞は成り立たない。ものみの塔が間違っていたということ。今でも、神聖なるエホバの証人の公式サイトには「体罰は必要」と書いてある。
鞭の覚えのある人は悔い改めないと・・・
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