不自由の民、エホバの証人
昨日の続き。テレビ番組『テレメンタリー2023 輸血拒否誰がために・・・~エホバの子 信仰か虐待か~』から。エホバの証人日本支部の取材への回答。
医療上の選択を自由に行いたいと考えているなら
その人はエホバの証人の宗教信条を受け入れていないので
エホバの証人になることはできません
「エホバの証人は自由の民」とか言っている盲信者がいたけれど、医療上の選択を自由に出来ないのなら、全然自由じゃない。
エホバの証人の宗教信条をすべて受け入れるというのが、自由に意思決定した結果だと言いたいのかも知れないが、生命や人生の主題を決定する指針を、すべて教団にフルベットする妄信状態なので、とうの昔に自由な意思決定を放棄している。エホバの証人は「不自由過ぎる民」。
教義の輸血拒否に従って、命を落とすという愚かな選択ができる時点で、自由意志を放棄。教団への絶対服従。いったいどこが自由の民なのさ?
どんな親でも風邪薬は買ってくる
そして、最後に輸血拒否被害者の元エホバの証人の言葉。子供に輸血拒否を強制し続けたエホバの証人親について、
子供思いなところはあって
ちょっと風邪ひいただけで色々と薬買ってくるとか
そういう面もあった
いやいや、それ普通ですから。親が子供の風邪に際して、胸が張り裂けそうになるくらいに心配するの当たり前だから。周りの弁護団もそこは突っ込めよと思う。
ここまで20分間も、輸血拒否の子殺し親の番組観てるから、感覚がおかしくなってるけど、それは当たり前。子供が風邪をひけば、薬だろうと何だろうと買ってくるし、大ケガしたり大病したら、いかなる手段を持ってしても命を救う。
親ならば。ここで言う親は、エホバの証人や一部の親失格者を除く親、ということ。エホバの証人は、子供の命より輸血拒否なんて冗談みたいな教理を優先している時点で、親失格なんだよ。
失った命も時間も決して戻らない。エホバの証人の親は取り返しのつかない罪を犯している。風邪薬くらいで許される生半可な罪ではない。
エホバの証人の親にも良い所があるとか、エホバの証人の中にも良い人がいるとか、エホバの証人組織にも良い所があるとか、そんな擁護意見があるけれど、エホバの証人の持ち得る美点なんて、全人類共通の美点に過ぎない。
風邪の子をいたわるとか、正直だとか、勤勉だとか、友人と助け合うとか。それってエホバの証人だけじゃない。世界中にそんな美徳を持った人がごまんといる。
私の体感では、エホバの証人よりエホバの証人でない人の方がそんな美点を持っている。教団妄信下にない本来の「自由の民」なので、自分でするべきこと、取るべき態度を、自ら決められるから。