エホバの証人の認知不協和
エホバの証人2世の論考集『エビのしっぽ』より。
エホバの証人の年代計算の矛盾を指摘すると必ず言うのが「我々は時に信仰を持っているのではない」
これは
認知不協和
(自分の信念と現実が異なると現実の認知を変える)
であるという。
喫煙者が、タバコで肺ガンになるリスクより、禁煙のストレスの方が大きいと言うのと一緒。ストレスで余命宣告はされないのに、現実の見え方を捻じ曲げている。
人は、自分の見たいもの、自分にとって都合の良いものを見ようとする。そして、現実と異なる見方をする。当たり障りの少ない方へ、変化を生まない方へ、現状を変えない方向へと。
エホバの証人が幾度の預言ハズレや、ものみの塔組織の不義、信者の愛の欠如といった場面に遭遇しても、信仰を捨てないのは、この人間の性質が影響している。
このように、エホバの証人の不思議は、洗脳とかマインドコントロールといった大仰な言葉を使わなくても説明できるというのが、この本の筆者の一貫した主張。
エホバの証人の「時に信仰を持たない」愚かさ
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