司法により裁かれるべきエホバの証人(JW)組織と統治体

裁きを受けるべきエホバの証人の統治体

『芸能人と新宗教』の第五章「新宗教はなぜトラブルを起こすのか」より。法の華三法行という宗教団体の有罪となった詐欺事件について。

「病気などの悩みを抱えた被害者に『足裏診断』と称する面談をし、衝撃的なことばを浴びせ不安を駆り立てた。修行すれば病気は治るなどと虚言をろうして、法外な金をだまし取った犯行は巧妙悪質だ」

という判決。

エホバの証人の場合は、

「心身や生活に問題を抱えた被害者に『真理』と称する教義を説き、ハルマゲドンや復活などという衝撃的なことばを浴びせ不安や損失回避の感情を抱かせた。ものみの塔組織に献身すれば永遠に生きられるなどと虚言をろうして、人生を圧倒的に損なわせ、時には死に至らせる犯行を100年以上続けているのは巧妙悪質」

となる。さらに法の華の方は以下のように続く。

「『天声』を聞いたり(宇宙エネルギー)の『天行力』を操ったりする能力がないことを誰より本人が認識していた」

とし教団トップを裁いた。この理由は詐欺マニュアルが用意されていたことから。

エホバの証人の場合は、

「統治体メンバーは、油注がれたと天啓を受けたり、神の言葉の中継者となる能力がないことを誰より本人たちが認識していた」となる。

理由としては、統治体メンバーによる教義の決定が多数決会議であることが暴露されているし、予言を常にハズシ続けていることから明らか。

ものみの塔協会の1975年の予言ハズシ、統治体の資質不足

油注がれたという自称が、勘違いで故意による詐称でないとしても罪は重い。エホバの証人の場合は、寄付や布教活動で人生を搾取するだけでなく、教義による輸血拒否や宣教先の海外での事故で死者まで出ている。

勘違いだったとしても、自らが神の言葉の翻訳者だと言って、その誤訳のせいで信者が死んでいる。エホバの証人のトップは裁かれるべき存在である。

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他人の命を奪うことになる、エホバの証人(JW)の寄付

エホバの証人に定期的な寄付などすべきではない

『芸能人と新宗教』の第四章から。

宗教法人の

宗教活動からの収入は、その宗教法人に所属する信者が出したものです。それを信者自身のために使うわけですから、課税の余地はありません

ここで考えたいことが2点。1つ目は昨日の記事にて。宗教法人が集めた金を給与や手当として組織内の信者に支払っている場合。そこに課税は必要だろうという点。果たして適正に税徴収されているのか?

今日は2つ目。宗教法人が宗教活動で得た収入は信者のために使われるという点。寄付や献金に限ると、この点に信者は矛盾を感じるべき。

そもそも支払った金が自分のために使われるのなら、寄付などせずに当初から自分のために使えばいい。

あと、本当に自分のために使われているのかよく考えてみるべき。組織上層部メンバーのファーストクラスでの移動や彼らの生活費に使われている金。それは決して自分のために使われているとは言えない。

エホバの証人に定期的な寄付などすべきではない

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エホバの証人の統治体メンバー来日、勘違い野郎なのか確信犯なのか?

エホバの証人の生殺与奪権を握る統治体

この週末にエホバの証人の統治体メンバーが来日していて、信者を集めて特別集会を開いている。

統治体というのは、エホバの証人ヒエラルキーの頂点に位置する集団。こいつらの会議でエホバの証人の教義が決められている。

例えば、輸血禁止の教義の場合、成分輸血はOKとするか否かのような細則。この細則を破った信者を破門扱いとするか否かということまで。こういったどうでも良いことが決められるのが統治体の会議。

エホバの証人の破門は排斥と呼ばれる。排斥は信者にとって実質的な死刑宣告であり、家族が現役信者であれば家族内に大きな溝が生じる。排斥者は家族であっても現役信者から忌避される。

排斥というエホバの証人の死刑宣告

エホバの証人の洗脳から解放された私から見ると、排斥になってカルト集団から避けられるというのは好ましい事態。しかし、現役信者にとっては全く違う。周囲の信者に忌避されてもめげずに教団の集会に通い続け、復帰を目指す者もいる。

復帰できなければ、エホバの証人の設定ではハルマゲドンで神に殺されることになっているから。世界中のエホバの証人に適用される排斥の基準を決めるのは統治体。つまり、マインドコントロール下のエホバの証人は、統治体の会議に生殺与奪権を握られている。

そんな教祖様集団の一人が来日している。

確信犯か勘違い野郎の統治体

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エホバの証人の救済、それはエホバの証人を完全消失させること

エホバの証人の日本支部レベルでの「消失」

昨日の記事で、エホバの証人を支部ごと消失させろと書いた。エホバの証人の日本支部レベルで統治体(世界本部)を批判し、除名される。戦前の灯台社の再来。

この段階で情弱な下層信者たちも個人レベルで「消失」できる。末端のエホバの証人は世界本部とか日本支部とか意識しておらず、目の前の指導者の言いなり、目の前の日本語の宗教本の言いなり。

日本支部レベルで方針を転換「ハルマゲドン来ねえっす」「統治体は偽者っす」、さらに日本語JWサイトも正確な情報に書き換える。「世界中でエホバの証人は児童性虐待の温床になっている」「統治体は聖書的に無根拠」と。

こうすれば、一定数の信者も世界本部信仰を「消失」するだろう。目の前の上層信者や日本支部を飛び越えて、「世界本部様~」となる日本人の下層エホバの証人はさほど多くはいない。

操り人形たちには世界本部と連絡を取り合ったり、米国まで行ったり、その能力も経済力も行動力もない。

むしろ、そこまで世界本部を信仰する前に「神と私」「聖書と私」というキリスト教的考えに立ち返れ。日本支部レベルで統治体を糾弾すれば、末端信者にとってはハルマゲドンに等しい世界のリセット状態。原点に回帰できる。

そして、ほとんどの下層信者にとってコミュニティとしてのエホバの証人組織が大事なのであり、コミュニティの管理者が方針を変えればそれに従わざるを得ない。

また、下層信者にとって飴とムチになっているのが「永遠の命というご褒美」と「ハルマゲドンという恐怖」。

「そんなの嘘に決まってんじゃん。あり得ないっしょ。物理的に不可能。それになんつっても児童性虐待組織だぜ。真っ先に滅ぼされるべきがエホバの証人だよ」と、日本人上層部が言ってやる。

すると、ご利益と縛りを消失した下層信者は解き放たれる。

もっとも大事なことはエホバの証人を消失させること

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日本からエホバの証人(JW)を「消失」させるには

個人レベルでエホバの証人を「消失」するには

『近現代日本とエホバの証人』。結章「日本のエホバの証人における<本部志向>とは」より。

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エホバの証人の日本支部における世界本部志向。本部志向には支部レベル、信者個人レベルがあると本書では説く。さらに本書では、本部志向の状態を「従順」、「忍従」、「不確定」、「消失」と4象限に分類している。

目指すは「消失」なのだが、かつて「消失」したのが、戦前のものみの塔の前身である灯台社のとき。

大半の信者が世界本部に対する批判的な公開質問状に賛同し、ワッチタワーの運動から排除される形で灯台社の運動は終焉を迎えることとなった。この時期の<本部志向>の状態は、C象限「消失」に分類される状況となった

かつて、エホバの証人の本部志向が「消失」したことがある。その状態を継続させれば良かったのだが、それがならぬまま現在に至る。

灯台社の除名から判明したのは、エホバの証人であり続けるために必要なのはエホバの証人の

世界本部への忠節

であり、それは

信者たちの信仰自認やエホバ神に対する信仰心、そして他者の救済のための生命を賭した信仰実践など

ではない。と本書は指摘。つまり、

エホバの証人に必要とされるのは、どれだけ盲目的に世界本部の不条理に言いなりになれるかということ。敬虔な信仰心、探究心などは必要なく、どれだけ愚かにエホバの証人世界本部という偶像を崇拝できるかということ。

逆に、ちょっと頭を使って、「聖書と私、神と私の間に米国の新興宗教団体が入ってくるのっておかしくない?」「何で布教時間をお前らにいちいち報告せなあかんのや?」と気付ければ、エホバの証人は終了できる。

エホバの証人世界本部に対する妄信を捨て、「統治体ファック」とつぶやけばいい。そこから先は真の生き方、何者にも騙されず操られない生き方ができる。これが個人レベルでのエホバの証人「消失」。

エホバの証人(JW)の存在しない美しい未来は、日本から

支部レベルでのエホバの証人を「消失」するには

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『ものみの塔』誌が発行されず、エホバの証人組織が存在しない未来に

『ものみの塔』が発行できなくなる未来に

『近現代日本とエホバの証人』より。第一章「エホバの証人の救済観と組織観」後半部分。

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ものみの塔の宗教本(本というか雑誌というか機関紙のアレ)の件。

神の意思は統治体に伝達され、その知識は、ものみの塔聖書冊子協会世界本部が発行する文書によって与えられるとされている

その文書『ものみの塔』誌について脚注から

『ものみの塔』誌は長期にわたって月二回発行されていたが、2008年から月一回に発行回数を減らし、集会で使用するための「研究用」と、布教で配布するための「一般用」に分割された。さらに「一般用」は二カ月に一回発行(2016年~)、年三回発行(2018年~)と徐々に縮減され、これに併行して紙媒体からダウンロード形式に移行し、ページ数も削減されている

神の言葉の唯一の経路という「設定」のものみの塔の文書。これの発行回数の削減、ページ数の削減、遂にはダウンロード形式に変更と。出版費用の削減なのか?インチキネタが尽きたのか?

神の言葉であるはずのものみの塔文書の流通量が減るということは、ものみの塔の化けの皮が剥がれつつあるということ。ものみの塔が神の言葉の唯一経路という設定を守り切れなくなるほど弱体化している。

私がこのカルトを強制されていた頃は、月に2回「ものみの塔」と「目ざめよ!」が発行されていた。忌ま忌ましい宗教誌が月に4冊も。それが年にたったの3回。大幅縮小。だが、まだまだ足りない。

このカルトの勢力を極小にして、新たな文書の発行など一切できなくしたい。もしくは発行禁止に。児童虐待&児童性虐待&マインドコントロールによる人権侵害組織の文書が出回らない未来を、子孫に。

冗談教理に騙される人を見殺しにしない社会に

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エホバの証人の統治体がなりすましているモノとは?

例え神でも「白を黒」とは言わせない

『良心の危機』、第12章「最終攻撃」から。

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エホバの証人世界本部を辞した著者だが、エホバの証人組織から追い出される排斥となる。著者が、組織にとっては邪魔で「脅威」であったから。

著者のようないわゆる背教者がエホバの証人組織から排斥になる理由は

組織に対する背教

神やキリストではなく、組織に背いたから。これが、ものみの塔の組織崇拝という本質。

これに関する驚愕エピソードが本書に。とあるものみの塔協会の地域監督が緑色の本を持ってこう言った。

「協会に、この本は緑色ではなくて黒だと言われたら、私はこう言います、『誓って緑色だとは思うけれども、協会が黒だと言うんだから、この本は黒い!』」

信じられない愚かさ。

例え神だろうと「白を黒だ」と言う奴の言いなりにはなりたくない。

近未来の仮想全体主義国家を描いた『1984年』と同じ。国家を統制する党が、「2 + 2 = 5」だと言えば「5」になる。4本の指しか立てていなくても、党が「5本だ」と言えば「5本」になる。

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エホバの証人も同じ、塔が「黒」だと言えば「白」になる。エホバの証人たちは、「塔」に自由意志や判断能力を奪われ、支配されている。家畜以下。家畜でも反抗的だからという理由では殺処分されない。

神になりすます、エホバの証人の統治体

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表面的には羨ましすぎる、エホバの証人の統治体メンバーの豪遊生活

『良心の危機』著者の決心とは?

『良心の危機』、第11章「決心」より。

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著者が、この章でいったい何を「決心」したのかというと、エホバの証人の世界本部をやめること。私としては、エホバの証人をやめて本書のような告発本を書くことかと思っていたので、著者の心情と食い違いが生じていた。

食い違いというか、理解に苦しむというか、マインドコントロール(本書では思い込みと書かれている)下の哀れというか。

組織中枢にいて、そこが間違っていると気付いたら、その組織はもうアウトでしょ。根本から正すか、外に出るかしかない。

著者は、世界本部で全世界の信者の人権を侵害するという悪事に加担するのをやめる決意を固める。その一方でエホバの証人としてはそのまま組織に残るつもり。エホバに祈ることも続けるし、エホバの証人の王国会館にも通い続けると。

エホバなんか存在しないとなぜ気付かぬ?人生をかけて築いた悪習慣からは簡単に抜け出せないということか。

至ってスローペースかつ受け身、しかもマインドコントロール下(本書で言うこところの強烈な思い込みによるエホバの存在肯定)にある著者の決心だが、感心する点もあるにはある。

贅沢三昧、エホバの証人の統治体生活

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『良心の危機』、リーダーは被害者意識で罪から目をそらすな

リーダーが追随者って?

『良心の危機』、第11章「決心」。クライマックスなのか、やたらと長い本章。昨日の記事で書いたように不愉快な所もあるが、読む価値は充分にある。

快不快を含めて著者の人となりが文章だけで伝わるので、筆力はさすが。長年教団の無茶ぶり宗教本を、何とか着地させていただけのことはある。

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著者には悪いのだが、今日も不快な部分から。ある元エホバの証人たちが著者に語った言葉が

「私たちは追随者の追随者だったのです」

「私たちは犠牲者の犠牲者だったのです」

これに対して、著者はこう書いている。

どちらも当たっている。チャールズ・テイズ・ラッセルは、ある人々の言うことに従った結果、「明らかにされた真理」という概念の犠牲となった。以来、歴代のリーダーたちも同じ道をたどり、時としてもとからあった思い込みにさらなる思い込みを付け加えていった。私にはこれについて許せないような気持ちはなく、ただ自分の知っている人たちに対して気の毒だと思うばかりである。私もそういう「犠牲者の犠牲者」であり、「追随者の追随者」だった

おいおい、お前は被害者づらしちゃダメだろ。あと歴代リーダーと創始者ラッセル君も、犠牲者とか追随者では決してない。

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『良心の危機』、著者のものみの塔感覚に対する違和感

ものみの塔は「ふるさと」にはなり得ない

『良心の危機』、第11章「決心」から。著者のたどる経歴は何となく知っていたので、この章あたりから激動するのかと読み進めるも、何となく不快感のある章。

しょうもないものみの塔資料の引用が減ったのは良いのだが、読みながら著者に感情移入したあと、はっと我に返る。すると著者の真意には、ものみの塔に対する僅かな親しみ、のようなものが混じっていて不快感を覚える。

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私は育ったふるさとを捨てたのだが、それはそこで育っているときにエホバの証人の子供であったために、ふるさとが不愉快な記憶に満ち満ちているから。育った場所より、脱会後に住んだ場所の方が長いので、出身地としてそのふるさとの名を上げることもない。

とはいえ、そのふるさとが憎いかと言えばそうでもない。そのふるさとの記憶が忌ま忌ましいのは、そこがコンビニ一軒すらない田舎だからという訳でなく、エホバの証人の子供だった自分自身に由来する。

なので、そのふるさとが嫌いかと言われれば、そうでもなく。あんな田舎には二度と住みたくないけれど、景色は良いし、中には良い奴もいたくらいの感情。

著者のものみの塔に対する感覚もこれに似ている。だから不愉快に感じる。私のものみの塔に対する感覚は違って、ものみの塔が心の底から憎い、嫌い、カルトこそ滅びろと。

結局、現役信者であった頃の著者は、常に受け身で自らの所属するカルトに対して刃を振り上げることもなかった。本人がものみの塔をカルトと認識していないから。著者からは、ものみの塔は完全悪でなく良い面もあるという、微かな懐郷の念を感じる。

不愉快なエホバの証人だらけの環境での永遠は地獄

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