エホバの証人が神権的戦術でお年玉を貰うのはカルトだから

エホバの証人とお年玉

エホバの証人とお年玉

エホバの証人にとって、お正月のイベントはほとんど禁止。門松をたてることも無いし、初詣にも行かない。「明けましておめでとうございます。」とも言わない。しかし、不思議なことに、我が家ではお年玉だけは許されていた。

お年玉の起源に宗教臭が一切ないのかも知れないと考え、ちょっと調べてみた。すると、お年玉は「としだま」のことで「たま」とは魂のことだった。

この段階で、エホバの証人の教理をちょっとかじったことのある人なら、お年玉はNGだと分かる。魂、霊魂などはエホバの証人的には完全なNGワード。

新年を司る年神様への供えた餅玉を、神棚から下げて食べたことから「としだま」と呼ばれるようになったという説もある。年神様とは日本古来の由緒正しい神様。日本古来の神々への信仰や、それに関係することはエホバの証人には禁止。

神棚への供え物には神様の分霊が宿るとされ、それを頂くことで人々は力を得て新たな年を迎える。神棚から力を得るなんて、お年玉はエホバの証人が最も避けなければならないたぐいのモノ。

やはり、お年玉はエホバの証人的には完全にNGイベント。

エホバの証人が貰うお年玉は、王国会館の寄付箱に直行

“エホバの証人が神権的戦術でお年玉を貰うのはカルトだから” の続きを読む


カルトの子どもの危険な遊び、エホバの証人2世ロボット工場

子どもが子どもにカルトを仕込むエホバの証人

エホバの証人2世の危険な遊び

私の両親が、まだエホバの証人の研究生だった頃の話。研究生とは、エホバの証人に勧誘されたばかりの新参信者。正式入信していない仮信者状態。正式信者に、聖書研究という名のマインドコントロールを繰り返し施され、カルトの奈落へいざなわれていく。

父の聖書研究をしていたエホバの証人とは、家族ぐるみの付き合いになっていた。その家は家族全員がエホバの証人という通称「神権家族」。ちょうど私と同じくらいの年齢の子どももいて、父親たちが聖書研究をしている間、私はその子どもと一緒に待っていた。

その子は宇部君という名前で、不確かな記憶ではあるが、父の聖書研究の間、私も宇部君にエホバの証人の教理を教えられていたような気がする。後に、私もその宇部君の立場になったことがある。

父親がマインドコントロールしている研究生の家の子どもに、エホバの証人の教理を教える聖書研究の真似事。子どもが子どもにカルトを仕込む、危険な遊び。

宇部君は、驚くほど穏やかで礼儀正しい子供だった。

「僕はエホバの証人2世ですから」というきれいな言葉使いは、同年代の近所の子どもからは一切聞いたことがなかった。

「一緒にこの本を読んで、お父さんたちを待っていましょうね」などと、まるで大人のような話し方をする。

小学校に入る前の、通常は泥だらけになって走り回っているような子どもがこんな感じ。おそらく2人で読んでいた本は、ものみの塔が子ども向けに発行していた黄色い本。聖書の内容を子ども向けに絵本感覚にしたモノ。

エホバの証人2世ロボット工場

“カルトの子どもの危険な遊び、エホバの証人2世ロボット工場” の続きを読む


ものみの塔を放置できない理由、生き残った者の責任

カルト脱会者だけが語れること

ものみの塔というゴミだるまの焼却がこのブログの目的

前回に続いてメッセージを頂いた件です。
このブログで、私は自身の経験を元にものみの塔協会を糾弾しています。今回お問い合わせを頂いた主題は、「エホバの証人は無害で、本人たちはその活動を生きがいとしているのだから、放っておけば良いのではないか?」ということでした。

これは、何となく私にも思い当たる節があって、何を今さらこんなおせっかいじみたことをしているんだろう、と思うことがあります。

私は、両親にエホバの証人2世として、窮屈で地獄のような子ども時代を強制されました。しかし、その両親に感謝こそすれ、恨みには思っていません。同様に両親をカルトに引きずり込んだエホバの証人たちのことも恨んでいません。彼らもまた被害者です。

そもそも、ものみの塔や統治体への恨みからこんなにも攻撃しているのかと言えばそれも違います。ものみの塔や統治体も悪意の固まりではないからです。おそらく一部の確信犯を除いて。

ものみの塔は、組織を維持拡大することを目的として、無意識的に転がり続けているゴミの雪だるまのようなものです。ゴミは放っておくと腐り、公害の原因になります。誰かがゴミ掃除をして焼却しなければなりません。

ものみの塔はこの世に存在すべきモノではなく、有害なモノなので、私は世界を正当な姿に戻そうとしている。

当ブログを端的に表すとこうなります。また、

人生を棒に振る被害者が出るという点では、一般のエホバの証人は人畜無害でも、ものみの塔という組織そのものは明らかに危険で有害です。誰かが警笛を鳴らし続けなければなりません。

そのために、私はこのブログを書いています。

エホバの証人被害者だけが語れること

“ものみの塔を放置できない理由、生き残った者の責任” の続きを読む


青春のカルト殉教者、最強型のエホバの証人2世ロボット

取り返せないエホバの証人2世の青春

エホバの証人中卒カルトの履歴書

神戸高専剣道実技拒否事件では、5人のエホバの証人2世が剣道実技を拒否したため留年。そのうちの3名は、翌年は一転して剣道授業を受講する。あとの2名は翌年も懲りずに剣道実技の授業を拒否。1名は自主退学、もう1名は再度留年。

2年続けて同じ学年にダブった場合は学校側から退学に出来るという決まりがあり、最後の1名は退学処分になった。

自主退学だろうが退学処分だろうが、どちらにせよ悲惨。高校1年生すら修了していない中卒ということ。ものみの塔という偶像に対する妄信、または親の強制・洗脳のため、そこまで突っ走ってしまった。その悲劇を、彼らは大人になってどう思うのだろうか。

他の高校に入り直したとしても、楽しい学校生活は待っていない。周囲は、危険なカルトのせいで前の学校を退学になった奴という目で見る。

後の人生で、履歴書を書くときに思い出すのは、剣道実技拒否というエホバの証人としては輝かしい過去。ただ、その過去はエホバの証人をやめたあとでは何の栄光でもなく、バカバカしい後悔でしかない。一般的には意味不明な愚の骨頂。

剣道の授業を受けるだけで短大卒の資格まで得られた。学歴は、就職や収入に大きな影響が出る。こういう話をすると、エホバの証人は学歴や収入などは気に留めない、という反論がある。立派で芯がある意見だ。結構なこと。しかし、

エホバの証人をやめたあとに、本当に困るのは若いときを浪費した2世信者たち。洗脳が解けた後、残っているのは中卒カルトの肩書きだけ。最低だ。

最強型のエホバの証人2世ロボット

“青春のカルト殉教者、最強型のエホバの証人2世ロボット” の続きを読む


エホバの証人2世の正体~抱える闇、タイプ分類、社会生活

エホバの証人2世の社会生活

エホバの証人2世の闇

エホバの証人2世とは、エホバの証人という宗教を親から強制される子どものこと。

エホバの証人の子どもは、常に大人の信者の顔色を伺いながら成長する。

古株で歳のいった気難し目な怖い兄弟姉妹(※)は、平気で他人の子どもを怒鳴りつける。自ら手を下すことはほとんどないが、両親はそういった年長者の言いなり。両親はそういった古株信者から、懲らしめという体罰を教唆される。こういった厄介古株は、子どもにとって要注意人物。
※エホバの証人は信者間でお互いを兄弟姉妹と呼び合う

はたまた、王国会館(※)に初めて連れてこられた非信者の人には、部外者として気を使って接さなければならない。私は、親や他の信者の態度から、何となく「エホバの証人の闇を外に見せてはならない」のだと勘付いていた。
※エホバの証人の集会所、KH、Kingdom Hall

信者たちは、闇とは思っていないのだが、明らかに部外者に対しては態度が違う。良い部分だけを見せようと必死になっている。

このような複雑な環境でエホバの証人の子どもは育つ。その間に、周囲に自身を過剰適応させる能力を養っていく。

この適応能力と本人の毒気のなさも影響して、一部のエホバの証人2世は、すぐに会社などの狭い社会環境には馴染んでしまう。

出世や金銭報酬にがめつさを見せないし、忍耐強い特徴は、根気強く真面目に仕事に取り組むと高く評価もされるケースもある。子どもの頃から、ものみの塔の宗教本を散々読まされているので、高等教育を受けていなくとも活字には強い。

しかし、エホバの証人2世は心の内には大きな闇を抱えている。

一例として、その場にいる自分を心から大事にすることが出来ない。ハルマゲドンがくれば全てが終わると洗脳されているため、全てはその場限りの投げやりなモノ。その場だけを取り繕えば良いという安易な生活態度になる。

大人になる頃には、既に精神状態がズタズタというエホバの証人2世も存在する。特殊思想と異常生活の強制、体罰。それらの結晶。環境への過剰適応は大きな疲労となって蓄積されていく。

エホバの証人、親子累々に及ぼす負の連鎖

元JW2世、節分の屈辱の記憶

現役エホバの証人2世のタイプ

“エホバの証人2世の正体~抱える闇、タイプ分類、社会生活” の続きを読む


エホバの証人、命がけのものみの塔崇拝と輸血拒否というブラックジョーク

輸血拒否で殺されるエホバの証人の子供

進むも地獄、引くも地獄のエホバの証人2世

私は物心ついた頃からエホバの証人2世として育てられた。エホバの証人とは、自称キリスト教系の新興宗教。米国発祥で世界的宗教組織に発展した。日本では、ものみの塔聖書冊子協会が実質的な組織運営を行っている。

わが家は、両親ともに狂信的なエホバの証人だった。そのため、子どもの私にもエホバの証人の教理が厳格に適用されていた。これが2世、宗教2世被害者。

私の幼少期から少年期は、ものみの塔の言いなりになっていた両親により、極端に行動・生活・思想を制限された。人の考え方を制御し、自由を奪う。この経験から、私はエホバの証人をカルトだと確信している。

また、エホバの証人を世間と隔絶し、カルトたらしめる教理に「輸血拒否」の教理がある。これは自由だけに留まらず、信者の命まで奪う。

私が子どもの頃、腕を骨折してしまった。もう30年も前のことになる。小学校に入る前。骨折の手術に輸血が必要になった。

両親は、当然のように輸血を拒否。私もそれに同意したことにされていたのだが、小学校に入る前の子どもが、両親と違う意見を表明するのは難しい。

しかも死にかけている状態。そんな元気はない。輸血されて生き残ったところで、エホバの証人2世の子どもは、エホバの証人組織から排斥※される。愛する両親から背教者扱いされる。私は両親の言いなりになるしかなかった。
※2023年追記、排斥でなく、自動的に自らエホバの証人を断絶した扱いにされる様子。子どもの私は正規信者ではなかったので、ここまでの処分には及ばないが、親の心情的立場は似たようなモノ。周囲の信者から白い目で見られるのは、両親にとって恐怖。何よりマインドコントロール下にあるので、「神はそれをどう見られるか?」という妄想にとりつかれている

エホバの証人の子どもが、輸血の必要な状態に陥れば、それは進むも地獄、引くも地獄の人生の末路。

排斥とは、エホバの証人的重罪者を組織から破門にする処分のこと。現役信者は排斥者とは接触を許されない。例え家族であっても最低限度の接触しか許されない。
※後日追記。私はバプテスマという儀式を受けた正式なエホバの証人ではなかったので、排斥にはならない。とはいえ、生まれついての生粋のエホバの証人だった私が、自分の意思で輸血を行えば、組織内で排斥同等の扱いを受けるのは目に見えている。
※2023年追記、排斥も断絶も、結果はまったく同じ。

エホバの証人世界と、その信者である両親しか知らない子どもにとって、輸血が必要という診断は死刑宣告も同様だった。

エホバの証人、命がけのものみの塔崇拝

“エホバの証人、命がけのものみの塔崇拝と輸血拒否というブラックジョーク” の続きを読む


あれっ?エホバの証人の皆さ~ん、安息日と輸血って何が違うの?

安息日も血の忌避も旧約聖書の掟

エホバの証人の輸血拒否による「無駄死に」

私の両親は熱心なエホバの証人だった。エホバの証人とはキリスト教を自称する新興宗教。ものみの塔聖書冊子協会が日本では組織運営の中心となっている。

私は、物心ついたときには既にエホバの証人の2世信者として育てられていた。2世信者とは親の宗教を強要される子供のこと。宗教2世とも呼ばれる。

私は、子供の頃に腕を骨折したことがあった。今から30年も前の話。小学校に入る前のこと。その骨折の手術に輸血が必要になった。

ものみの塔の教理では、輸血は厳禁。輸血イコール排斥処分となる。排斥とは、エホバの証人組織からの破門のようなこと。排斥処分になるとエホバの証人社会では村八分状態になる。
※2023年追記、輸血した信者は、排斥ではなく自動的に教団を断絶(=やめる)することになる。という理解が正しいようだ。断絶でも、エホバの証人側が信者を忌避する村八分状態になるのは変わらない。

ものみの塔がなぜ輸血を禁止しているかと言うと、聖書に動物の血を食べてはいけないと書かれているから。これは主に旧約聖書に書かれている事項。ものみの塔は、神とイスラエル人の古い契約を、現在の現実に強引に当てはめている。

紀元前の人々にとって、動物の血を食べる、血抜きをされていない生肉を食べるということは、ある種、致命的だった。現在のような冷蔵保存技術や、食肉の加工解体技術がないから。食中毒で一族全滅という事態も充分にありえた。

「無駄死に」を防ぐための施政的な決まり。日本でも明治時代までフグを食べなかった。そんなレベルの話。ものみの塔は、食血という概念をどこまでも飛躍させて医療行為にまで適用。結果、輸血拒否による「無駄死に」信者が発生している。

JWの「輸血しない方が良い3つの理由」が成り立たないワケ

輸血治療の普及を世界中に推進しているエホバの証人

安息日と輸血拒否の違い

“あれっ?エホバの証人の皆さ~ん、安息日と輸血って何が違うの?” の続きを読む


僻地のエホバの証人2世(JW)、早々に性に目ざめる!

絶望的な大自然の中へ連行されるエホバの証人2世

僻地に派遣されるエホバの証人2世

私の両親は、狂信的なエホバの証人だった。私も生まれながらにエホバの証人の2世信者であることを強要された。

我が家は、私が小学校4年生に進級するとき、一家でとある田舎の過疎地に引っ越した。1980年代後半から1990年代前半の頃の話。

引越し先は、両親双方の実家の中間地にあたる。しかし、引っ越しの第一の理由は、田舎の方がエホバの証人として必要とされているということだった。

実際に引っ越してからは、エホバの証人にとって必要の大きな所という理由で、住んでいた所からさらに奥地まで、わざわざ布教活動に行っていた。

平和な田舎の住民にしてみれば、カルトの布教者が集団でやってくるのは大迷惑。家族の誰かが騙されて信者にでもなろうものなら、とてつもない悲劇。

エホバの証人がやってきて金を落としていくので、過疎地の経済が潤うといった意見があるのかも知れない。事実、我が家も田舎の過疎地に布教に行っていたときには、民宿に泊まっていた。

しかし、こういった経済的恩恵を直接受けるのは一部の人たちに過ぎない。大部分の人にしてみれば、怪しげな連中がきて家を訪ねて回っているだけ。家族が騙されようものなら目も当てられない。しょせん、カルトはカルト。

しかし、当のエホバの証人たちは至って真剣。良いことをしている、正しいことをしていると信じ切っている。他人の迷惑など顧みない。

また、両親にとっては、自分たちが奥地のいまだものみの塔の真理を知らぬ人々から必要とされている、という思い込みが自尊心をくすぐった。

当時、必要の大きな所と称して、エホバの証人2世の若者たちが僻地の片田舎へ送り込まれていた。仕事も人生も投げ打って。不毛な人生の浪費。

私の父も、大学を卒業して就職した仕事をわざわざやめて、田舎に引っ込んだ。30代にして自らのキャリアを捨てて、エホバの証人活動に従事しようとした。人生お先真っ暗。

カルトのマインドコントロールがいかに危険かということが分かる。もう『ものみの塔』以外のモノは、何も聞こえない、見えないという状態に陥ってしまう。

性に関する目覚めが早い、田舎暮らしのエホバの証人

“僻地のエホバの証人2世(JW)、早々に性に目ざめる!” の続きを読む


インターネットの検索窓に打ち込まれた、「エホバ」という禁断のキーワード

元エホバの証人2世の覚醒

元エホバの証人2世に訪れない「終わりの日」

私は、ほぼ生まれながらのエホバの証人信者だった。俗に言う2世信者。両親はものみの塔協会に異常に忠実なエホバの証人。狂信的なカルト信者だった。

私は14才のときに、自分の意志でエホバの証人をやめる。短い人生の意義は、ものみの塔や神エホバに従うことではないと、考えたから。

脱会以降、エホバの証人の2世信者だったことは、私の人生の恥部となった。この段階では、ものみの塔の洗脳下にあり、神エホバの存在やハルマゲドンの勃発など、主要教理は信じていた。

それでも、エホバの証人2世だったことは私の人生の恥部だった。

  • 永遠の命という希望にすがり、ダサい連中だらけの王国会館に通い続ける美意識の欠如
  • エホバの証人は、人生の価値が一瞬の輝きの中にあるということを、知らない
  • 小学校の季節毎の行事を禁止され、その都度教室の端で見学という罰ゲーム黒歴史
  • 大きな手術を受けることになった5才のとき、輸血が必要に。しかし、両親と共に断固輸血拒否して、不毛にも五分五分の手術に挑んだ
  • そのときに涙ながらに神エホバに救いを祈った
  • 妙にかしこまった服装をして、家から家へとエホバの証人の布教活動を行わされた

こういったことすべてが、私にとって恥ずべきことだった。

エホバの証人を脱会した後も、私はものみの塔の洗脳下にあった。天に神エホバは存在し、神による世界の終末も間近だと思っていた。じきに私は滅ぼされるのだと信じていた。

死ぬまでの短い人生を、いかに充実させて生きるかに集中していた。この頃、20代前半、インターネットで「残りの者」の人数を調べようとした。21世紀になったばかりの頃。

理由は、なかなか終わりが来ないから。ものみの塔の教理では、「残りの者」が全員死んだら、ハルマゲドンが勃発することになっていた。そのため、私は「残りの者」の人数を調べれば、ハルマゲドンの時期が分かると考えた。

避けに避けていた「エホバの証人」という禁断のキーワードを、インターネットの検索窓に打ち込む。そして私は、ものみの塔の抱える様々な矛盾と疑惑がネット上で暴露されていることを知った。

元エホバの証人の、自らがカルト信者だったという「まさか」

“インターネットの検索窓に打ち込まれた、「エホバ」という禁断のキーワード” の続きを読む


神の声より、子供の声に耳を傾けるべきエホバの証人

エホバの証人親子の悲哀

ドメスティックバイオレンス大好きエホバの証人

私は、ほぼ生まれながらのエホバの証人2世だった。小学校に入る前から、両親に連れられてエホバの証人の布教活動に従事した。しかし、子供の私はこの自称「伝道奉仕活動」が大嫌いだった。

しかしながら、「伝道奉仕が嫌だ」と親に言おうものなら、とんでもない懲らしめが待っていた。懲らしめとは単純な体罰。お尻を、ベルトや素手でこっぴどく叩かれる。しかし、私の両親も大多数のエホバの証人の親も、元はDV(ドメスティックバイオレンス)大好きの暴力人間ではなかった。

エホバの証人の親は、深いマインドコントロール状態にある。

子供がエホバの証人の規定に沿わないことを言い出すのは、「悪魔サタンの誘惑に屈しているからだ」と、教団によって信じ込まれている。さらに、「明日にでもハルマゲドンという終末が来る」とも信じ切っている。

その終末、大艱難を親子で生き残るためなら、子供のお尻くらい、何度でも引っぱたく。そこで手加減することこそ、悪魔サタンの誘惑に自分が屈することだと思い込んでいる。

エホバの証人の親は、子どもを悪魔から引き戻すために、懲らしめという暴力行為に及ぶ。最初はそうなのだが、暴力は麻薬。子どもは叩けば言うことを聞く。すると、悪魔云々関係なく、いずれは親の思いどおりに子どもを動かすために手をあげ始める。

エホバの証人の神権的戦術という詭弁

“神の声より、子供の声に耳を傾けるべきエホバの証人” の続きを読む