各家庭バラバラのものみの塔基準、親の顔色を伺うエホバの証人2世

幽霊・モンスターの類はエホバの証人には禁止

家庭によって違うエホバの証人2世の育てられ方

私はほぼ生まれながらにエホバの証人として育てられた。エホバの証人とはキリスト教系を自称する新興宗教。日本ではものみの塔聖書冊子協会が中心となって組織の維持運営を行っている。

私は、ものみの塔協会の教理により様々なことを禁止され、抑圧された幼少期を送った。

空手を習いたい、キョンシーの映画を見に行きたい、ゴーストバスターズの映画を見に行きたい。全て禁止。友達とキャンプに行きたい、魚釣りに行きたい、昆虫採集に行きたい。相手次第でほとんど禁止。

親には、何をするにしても「ものみの塔協会の許していること、許さないこと」を第一に考えろと言われた。エホバの証人の集会がある日に外で遊ぶことは許されず、一般の友達と長い時間を過ごすことも禁じられた。

キャンプ、魚釣り、昆虫採集は、行為そのものには問題が無い。しかし、熱中しすぎてエホバの証人活動に支障をきたすのはNG。遊びに行くにしても、エホバの証人でない子供と行くのは推奨されない。

遊び相手を選ぶという微妙なラインは、信者の親の独断で、基準が各家庭でバラバラだった。

エホバの証人の集会の無い日なら、放課後に遊びに行くことが認められていた。週に3日だけ。

ちなみに、帰宅しても父親は仕事、母親もエホバの証人の布教活動に出かけていて、家には誰もいなかった。小学校低学年の頃から私は鍵っ子だった。

どうせ親はいないので、集会の日だろうと黙って遊びに行けばいいのだが、あとでバレると懲らしめという体罰が待っている。子どもの私は、暴力で支配されていた。

泊りがけのキャンプのようなものになると、非信者の子供と出かけることを、両親は許してくれなかった。これは家庭によって厳格さが違った。片親がエホバの証人でなかったりすると、意外なほど簡単に許される。

誰々の家は許されている、というような話を両親にすると、うちは誰々の家とは違う。誰々の家は誰々の家、うちはうちだと言われるのがオチだった。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

無根拠、エホバの証人の格闘技禁止の理由

親の顔色を見ながら成長するエホバの証人2世

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オカルト禁止のエホバの証人が、異常な教理に振り切れる不思議

墓参り禁止のエホバの証人

エホバの証人の占いと墓参り

エホバの証人というのは、ものみの塔聖書冊子協会を指導的役割とする自称キリスト教系の新興宗教。私は、両親がエホバの証人だったために、この宗教を押し付けられた。いわゆる2世信者。

ものみの塔の教理では、占いや墓参りは禁止。そのため、私は現在に至るまで一度も墓参りに行ったことがない。両親もかつては狂信的なエホバの証人だったので、自分が入る墓というものを用意していない。

私の一家はどこの墓に入ることもなく死んでいく。墓参りも墓の掃除・手入れしたこともない親族の墓に入れてくれというのは、今さら言い出せない。

今でもお彼岸の時期になって、ちょっとした会話の節々に墓参りの話が出ると、エホバの証人2世だった自分と他人との違いについて、まざまざと感じざるを得ない。

(※2023年追記。一昨年、墓参りデビュー済)

ものみの塔は星占いを占星術と呼び、信者たちに禁止している。当然、星座占いだけでなく、生まれ年や血液型による占い一切が禁止。

他愛ない占いのすべてがエホバの証人には禁止されている。私も子供の頃に、占いの本やテレビの占いについて、学校の友達についていけず寂しい思いをした。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

墓参りはもっと厳格に禁止されていて、墓参りしたことが見つかるとエホバの証人組織から追い出される排斥処分になる可能性がある。今でも、私は墓地に近づくとちょっとした違和感を覚える。子供の頃から仕込まれた習慣は簡単には抜けない。

高齢化が進むエホバの証人たちには入る墓がない。身体を燃やし尽くされておしまい。一生を捧げたものみの塔という偶像は、老後の保障も死後の保障もしてくれない。

エホバの証人のまま死んでいく人は、ものみの塔という偶像に搾取されるだけの無駄な一生を送ったことになる。後に何も残らない虚しさ。いや、家族には、カルトにハマった奴という恨みが残る。

逆オカルト状態のエホバの証人

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エホバの証人という虚構の世界、ニセモノの友人関係

エホバの証人の友人はすべて架空の存在

限定的友情しか持たない、薄情なエホバの証人

エホバの証人は、職場では変な奴、怪しい奴と思われる。そのため、同僚と友好な関係を作るのは難しい。むしろ教団側もそれを勧めている。”この世”の友人は持たず、深い交友を行わないように勧めている。

私のような生まれながらのエホバの証人2世信者は、大人になってエホバの証人をやめたときに、自分がいかに友人を持たないかということに否応なく気付かされる。

エホバの証人の交友関係は、自分がエホバの証人である間だけという条件付き、限定的友情エホバの証人をやめた人の元から、信者たちは去って行く。困っていても積極的に助けの手を差し伸べることはない。そこまでの関係。

いざ何らかの助けを求めたとしても、現役エホバの証人たちは脱会信者に対して、まずは教団への復帰を促すことを最優先にする。復帰した後であれば経済的援助であれ、何であれ、多少は助けになってくれるかも知れない。

エホバの証人感覚での友人とは、真の交友関係ではなく、教団を通じての関係。相手がエホバの証人である限り、という条件付きの友情。

エホバの証人組織からの脱出

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相互監視下にあるエホバの証人に真の友人はできない

エホバの証人の友人関係

エホバの証人2世の子どもに友達はいない

エホバの証人の2世信者が大人になった時に愕然とすることが、エホバの証人の世界以外に友達がいない、できない、作れないということ。

子どもの頃から、エホバの証人以外の友人と遊ぶと親は良い顔をしない。ゲームやテレビなどを禁止されるため、一般の子どもと共通の話題もない。結局、困ったときに助けてくれる人はエホバの証人しかいない。

しかし、その信者が同年代であるとしても、心から打ち解けた話はできない。その同年代の子どもは、親のスパイだから。

本人たちにその気はなくとも、エホバの証人は互いに監視しあっている。たいていの話は親に筒抜けになってしまう。気になる異性の話なんかは絶対にできない。

そのため、同年代のエホバの証人との友人関係は、形式的なモノになりがち。

また、親の大人世代からは、同年代のエホバの証人の子どもどうしは比較対象にされる。「あの子はもう伝道奉仕者になった」、「誰々は次の大会でバプテスマを受ける」と、聞かされる。

私が連れて行かれていたエホバの証人の会衆にも、洗脳が進んでイカれ具合が激しい2世信者の同級生がいた。

その子は、中学生にしてバプテスマという洗礼の儀式を受けていた。バプテスマというのは、「何もかもをエホバの証人組織に捧げます」と誓いを立て、洗礼の儀式をうけること。私は両親から、その子に対して劣等感を抱くよう仕向けられていた。

エホバの証人2世の子どもたちは、相互監視と互いに比較され競わされるライバル関係にある。こんな環境で本来の友人関係を築くことは不可能。

そもそも、騙されて集められてきた人だらけのエホバの証人の王国会館に、素敵な人間関係が待っているはずがない。洗脳が解ければ、恥の過去。消したい過去。屈辱の歴史。そんな連中とつきあい続けたいとは、私には思えない。

形式的で表面的な人間関係しか築けないエホバの証人

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エホバの証人2世の正体~抱える闇、タイプ分類、社会生活

エホバの証人2世の社会生活

エホバの証人2世の闇

エホバの証人2世とは、エホバの証人という宗教を親から強制される子どものこと。

エホバの証人の子どもは、常に大人の信者の顔色を伺いながら成長する。

古株で歳のいった気難し目な怖い兄弟姉妹(※)は、平気で他人の子どもを怒鳴りつける。自ら手を下すことはほとんどないが、両親はそういった年長者の言いなり。両親はそういった古株信者から、懲らしめという体罰を教唆される。こういった厄介古株は、子どもにとって要注意人物。
※エホバの証人は信者間でお互いを兄弟姉妹と呼び合う

はたまた、王国会館(※)に初めて連れてこられた非信者の人には、部外者として気を使って接さなければならない。私は、親や他の信者の態度から、何となく「エホバの証人の闇を外に見せてはならない」のだと勘付いていた。
※エホバの証人の集会所、KH、Kingdom Hall

信者たちは、闇とは思っていないのだが、明らかに部外者に対しては態度が違う。良い部分だけを見せようと必死になっている。

このような複雑な環境でエホバの証人の子どもは育つ。その間に、周囲に自身を過剰適応させる能力を養っていく。

この適応能力と本人の毒気のなさも影響して、一部のエホバの証人2世は、すぐに会社などの狭い社会環境には馴染んでしまう。

出世や金銭報酬にがめつさを見せないし、忍耐強い特徴は、根気強く真面目に仕事に取り組むと高く評価もされるケースもある。子どもの頃から、ものみの塔の宗教本を散々読まされているので、高等教育を受けていなくとも活字には強い。

しかし、エホバの証人2世は心の内には大きな闇を抱えている。

一例として、その場にいる自分を心から大事にすることが出来ない。ハルマゲドンがくれば全てが終わると洗脳されているため、全てはその場限りの投げやりなモノ。その場だけを取り繕えば良いという安易な生活態度になる。

大人になる頃には、既に精神状態がズタズタというエホバの証人2世も存在する。特殊思想と異常生活の強制、体罰。それらの結晶。環境への過剰適応は大きな疲労となって蓄積されていく。

エホバの証人、親子累々に及ぼす負の連鎖

元JW2世、節分の屈辱の記憶

現役エホバの証人2世のタイプ

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社会不適合者エホバの証人2世、それでも人間になれ

社会との隔絶を感じ続ける元エホバの証人2世

エホバの証人2世、願いのない子ども

私は生まれたときからエホバの証人2世だった。

エホバの証人2世とは、エホバの証人という宗教の2世信者のこと。2世信者というのは、親の信仰を強要される子ども。エホバの証人は、米国発祥の自称キリスト教系の新興宗教で、日本ではものみの塔聖書冊子協会が組織運営の中心となっている。

エホバの証人2世は、かなりの特殊環境下で成長する。エホバの証人の子どもにとって、人間関係と言えばエホバの証人社会だけ。非信者の友人との付き合いは減らすよう親に言われる。親も、親族や職場の交友そっちのけでエホバの証人活動にのめり込んでいる。

エホバの証人の子どもは、幼い頃から親や大人のエホバの証人信者の顔色を見ながら成長する。大人の信者の間で、その場その場に適応しようとする。不適応状態だと「懲らしめ」という体罰が待っているし、お利口にしていると大人から褒められ、両親の自慢になれるから。

そんなエホバの証人2世は、成長するにつれて自分の意志や主張というものがなくなっていく。少年野球のチームの入りたい、学校の友達とキャンプに行きたい、『魔法使いサリー』を見たい、どうせ全部駄目だと言われるから。

エホバの証人の戒律は特殊かつ異常に厳格で、禁止事項が多い。これがエホバの証人の子どもと一般社会の隔絶をさらに大きくしている。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

親に対して、あからさまに戒律に反した要望をすると、怒られる。ごねたりすれば体罰が待っている。エホバの証人の子どもは先回りして親の考えを読み、次第に自分の願いを押し殺すようになる。

エホバの証人の子どもは、暑い寒い、退屈などに対する忍耐力は人一番高い。

毎週つまらないエホバの証人の集会に数時間も耐え、座っていなければならなかったから。集会中、落ちつきがなければ体罰。

また、屋外での布教活動にも連れ回される。炎天下や吹雪の中での布教勧誘活動に週に3時間以上、小学校に入る前だと週に20時間近くも歩き回らされた。苛酷な天候状況の中、子供が望もうと望まないと屋外を連れ回す行為は完全に虐待。

このように、エホバの証人2世は自分の身の回りの環境に対してはどれだけでも我慢することが出来る。しかし、環境でなく自分の周囲の人間が思い通りに動かないということに、非常に憤りやストレスを感じることがある。

エホバの証人よ、人間になれ

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エホバの証人(JW)の子ども、懲らしめが終わるとき

エホバの証人の体罰をやめさせるとき

エホバの証人の子ども、屈辱的な懲らしめ

エホバの証人(JW)の親は、子どもに対して体罰による恐怖政治を敷いている。この体罰は懲らしめと呼ばれ、いわゆる愛の鞭(ムチ)ということになっている。私も物心ついた頃から、この懲らしめの支配下にあった。

私の家では懲らしめはお尻を叩かれるのが100%。パンツとズボンを脱いでお尻を丸出し。完全にパンツを下げるので股間側も丸出しになる。少年期にはこの恥辱にも耐えなければならなかった。

いつ頃から懲らしめが無くなったのかは覚えていないが、中学生くらいになると、既にお尻を叩かれていなかった気がする。おそらく局部に陰毛が生えてきた頃から懲らしめが無くなったはず。

お尻を叩かれなくなった、両親の前でパンツを下ろさなくて良くなった。これは大きな喜びのはずなのだが、いつ懲らしめが止んだのか、最後の懲らしめがいつだったのか覚えていない。

当時の私はそれどころでは無かった。両親の愛情と、自分の好きなように生きたい、という願いの狭間で苦しむ日々。そして、エホバの証人であるがゆえに変人扱いされる周囲の視線が何より苦痛だった。

エホバの証人の子どもとして被害を受けないよう、日常を取り繕って生きるので精一杯だった。

変態的な懲らしめという児童虐待の犠牲者であるエホバの証人2世

エホバの証人の懲らしめを終わらせる

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エホバの証人の子供に対する判決、そして半ケツのとき

懲らしめという暴力にさらされるエホバの証人の子供

エホバの証人の親が豹変するとき

私は物心ついたときからエホバの証人2世として育てられた。両親ともに狂信的なエホバの証人で、私は教団の戒律を厳格に適用されて14才までを過ごす。

王国会館で開かれる週3回の集会には、14年間ほぼ欠かすことなく両親によって連行された。幼少期は野外を周る伝道奉仕活動(布教勧誘活動)に週に20時間近くも連れ回された。そして、エホバの証人の教理には禁止事項が多く、苛酷な少年時代を送った。

エホバの証人の親は、子どもを懲らしめという体罰で縛り付けている。親の言うことを聞かなかったり、教団の戒律に反したりすると、こっぴどくお尻を叩かれる。

この体罰は、素手だったり皮のベルトだったり手段は様々。私はこの懲らしめがとても怖かった。今となれば、さほど痛くないような気もするのだが、子どもの頃は本当に恐ろしかった。

普段は優しい両親が豹変し、いくら謝ろうが、泣こうが、逃げ出そうが、絶対に規定数を叩くまでは許してくれない。そして、懲らしめが終われば、いつも通りの優しい両親に戻る。子どもは混乱し、親の顔色を伺って生きるようになる。

エホバの証人の半ケツの時、懲らしめの悪影響

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エホバの証人の条件付き限定愛、信者以外は愛さない

幼馴染み、とはいえそれがエホバの証人なら

笑えないエホバの証人2世の子ども

私がエホバの証人2世だった頃の古いアルバム。子どもの自分の目が虚ろ。写真の中の私は、全く笑っていない。居並んだ人々の中で一番端に立ち、ぼんやりと虚空を眺めている。エホバの証人2世だった頃は、世界に現実味が無かった。

エホバの証人というのは、米国発祥の自称キリスト教系の新興宗教。日本では、ものみの塔聖書冊子協会が、組織の指導・運営を行っている。2世というのは、宗教2世。親の宗教を強要される子どものこと。

子どもの頃の私は、「いつかエホバの証人をやめたい」と、そればかり考えていた。エホバの証人である自分を認めることが出来なかった。今の自分は偽物だと感じていた。

そうして私は14才までを成長した。エホバの証人をやめたいと模索し始めたのが10才頃。そのあたりから14才でエホバの証人をやめるまで、楽しいことなど何ひとつ無かった。目に見える景色は灰色だった。

エホバの証人だった頃の楽しい思い出が一切無い、というわけでもない。私は9才のときに両親とともに引越しをしているのだが、そのときに開かれた私の家族の送別会の記憶は残っている。

この送別会は、引っ越す前に所属していたエホバの証人の会衆の信者たちで開かれたもの。

会衆というのは、地域単位にまとめられたエホバの証人の単位のこと。一つの会衆の成員人数が、100名弱に収まるように調整されている。

当時、私の家族が住んでいたのは某大都市の郊外で、引っ越し先に比べるとだんぜんに都会だった。エホバの証人の会衆の規模も大きく、私の家族の送別会は、大きな公民館のようなところを借りて行われた。

エホバの証人の送別会とは・・・

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エホバの証人のハロウィン禁止は危険、子どもに悪影響

ハロウィンはエホバの証人の子供にとって陰惨な日

ハロウィンとエホバの証人

先日10月31日が、ハロウィンということで世間では騒がれていた。仕事でとある大学に行ったところ、仮装している学生がいて「何だろう?」と不思議に思ったのだった。

エホバの証人の2世信者にとって、ハロウィン当日は何とも陰鬱な日になる。

エホバの証人(JW)とは、米国発祥のキリスト教系を自称する新興宗教。2世とは宗教2世信者のことで、親の信仰を強制される子どものことを指す。日本では、ものみの塔聖書冊子協会が組織を指導する立場にある。

ものみの塔協会は、他の宗教に少しでも関係する行事を一切認めない。そのため、エホバの証人はハロウィン禁止(のはず)。

私がエホバの証人2世だった頃には、日本でハロウィンなど行われていなかったので、私はものみの塔のハロウィンに対する立場を知りようが無いのだが・・・。

私がエホバの証人の子どもだった20~30年前は、世間でハロウィンだと言って騒がれることは無かった。無用なイベントが増えて、現役エホバの証人2世信者にとっては良い迷惑だろう。

ハロウィンは古代ケルト人を起源とする祭り。秋の収穫を祝い、悪霊を追い出すという目的がある。元は完全なる宗教行事だったのだが、現在では宗教色は薄れ、仮装パーティーだったり、カボチャをくり抜いてランタンを作ったりとそれだけになっている。

そもそも、日本でハロウィンが定着したのは商業界による戦略であり、宗教行事としての色合いは一切ない。エホバの証人は、それも重々承知で「商業戦略の一環である」という批判までしている。

そこまで分かっているのなら、いちいち禁止せずに個人の自主性に任せれば良いものを。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

無根拠、エホバの証人の格闘技禁止の理由

JWのハロウィン禁止の危険性

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