『芸能人と新宗教』結局、両者の関係とは何だったのか?

カルトの大いなる搾取

『芸能人と新宗教』の第五章「新宗教はなぜトラブルを起こすのか」より。

お金を出せば出すほど、教団からは信仰が深いと評価され、自尊心が満たされる

エホバの証人の場合は貧乏な信者が多いので(少なくとも私の身の回りでは)、お金でなく時間。時間を差し出せは差し出すほど信仰が深いと評価される。

金や時間が信仰と何の関係があるのか?信仰心など量りようがない。人間の尺度で量れないモノを無理やり評価しようとするのが人間の組織の限界。

そもそも信仰心など量る必要がない。宗教と個人の間の関係に定量的な基準を持ち込むべきではない。

時間だとか献金額で信仰心を見極めようとする団体は、信者の自尊心をくすぐり、信者間で競わせ搾取の度合いをエスカレートさせる。さらに、恐怖心を煽りたて、大いなる搾取に励む。それがカルト。

創価学会にかんしては、世間の受け取り方もだいぶ変わってきました。メディアが昔に比べて創価学会批判をしなくなったことも影響して

いると。長いものにや面倒くさいものにまかれて、国民の主権が失われているのが今の日本。さらに、創価学会は

地域で地道に活動し、みんなが嫌がるPTAの役員や町内会の役員を積極的に引き受けることなどが評価を変化させてきています

これだと、もはや宗教は関係ない。学級委員選挙が近づくと急に親切になる丸尾末男と同じ。宗教活動そのものを評価されると困るので、人の嫌がること引き受けてごまかす。後ろめたいことがあるのでフォローしている。

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コミュニティー信仰は、単なる人恋しさからくる甘え

コミュニティーがあるから棄教できないというのは本末転倒

『芸能人と新宗教』の第五章「新宗教はなぜトラブルを起こすのか」より。本書では創価学会についても触れている。

一部の団地や離島では創価学会員のコミュニティが築かれていることが指摘されている。そのため、

信仰がコミュニティー全体にまで広がっているということは、人間関係がすべてそのなかで営まれるということを意味します。そうなると、信仰を捨てようと思っても、それは同時にコミュニティーを捨てることにつながるわけで、なかなかそこに踏み切ることが難しくなります

言っていることも、信仰を捨てられない気持ちも分からなくはない。親や親類、身の回りの人がエホバの証人で固められた2世信者というのは想像に難くない。

生まれ育ったコミュニティーを捨てるとか、数十年に渡って所属したコミュニティーを捨てる、裏切るというのは困難なことだと思う。

思うのだが、コミュニティーって宗教とか信仰とは関係ない。おまけみたいなもの。というより信仰や宗教にとってコミュニティーとは不必要で余計なもの。宗教とか信仰というのは、神と自分、教えと自分の関係。他人はどうでも良い。つまり、

コミュニティーを捨てることが出来ないから信仰が捨てられないなんていうのは、本末転倒。宗教でも信仰でもない。単なる人恋しさからくる甘え。

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司法により裁かれるべきエホバの証人(JW)組織と統治体

裁きを受けるべきエホバの証人の統治体

『芸能人と新宗教』の第五章「新宗教はなぜトラブルを起こすのか」より。法の華三法行という宗教団体の有罪となった詐欺事件について。

「病気などの悩みを抱えた被害者に『足裏診断』と称する面談をし、衝撃的なことばを浴びせ不安を駆り立てた。修行すれば病気は治るなどと虚言をろうして、法外な金をだまし取った犯行は巧妙悪質だ」

という判決。

エホバの証人の場合は、

「心身や生活に問題を抱えた被害者に『真理』と称する教義を説き、ハルマゲドンや復活などという衝撃的なことばを浴びせ不安や損失回避の感情を抱かせた。ものみの塔組織に献身すれば永遠に生きられるなどと虚言をろうして、人生を圧倒的に損なわせ、時には死に至らせる犯行を100年以上続けているのは巧妙悪質」

となる。さらに法の華の方は以下のように続く。

「『天声』を聞いたり(宇宙エネルギー)の『天行力』を操ったりする能力がないことを誰より本人が認識していた」

とし教団トップを裁いた。この理由は詐欺マニュアルが用意されていたことから。

エホバの証人の場合は、

「統治体メンバーは、油注がれたと天啓を受けたり、神の言葉の中継者となる能力がないことを誰より本人たちが認識していた」となる。

理由としては、統治体メンバーによる教義の決定が多数決会議であることが暴露されているし、予言を常にハズシ続けていることから明らか。

ものみの塔協会の1975年の予言ハズシ、統治体の資質不足

油注がれたという自称が、勘違いで故意による詐称でないとしても罪は重い。エホバの証人の場合は、寄付や布教活動で人生を搾取するだけでなく、教義による輸血拒否や宣教先の海外での事故で死者まで出ている。

勘違いだったとしても、自らが神の言葉の翻訳者だと言って、その誤訳のせいで信者が死んでいる。エホバの証人のトップは裁かれるべき存在である。

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宗教と金の問題、カルト宗教法人には課税すればいい

宗教法人の課税について

『芸能人と新宗教』、第四章。宗教法人の課税について。

課税されないのは、宗教活動をとおして入ってくる収入についてです。あるいは、宗教施設のある土地に対しては固定資産税は課税されません。

ということは、機関誌を月に数回とか宗教本をコンスタントに発行して売り捌くのは課税対象になる可能性がある。

私が子供の頃は、エホバの証人の「ものみの塔」誌とか「目ざめよ!」誌にはきっちりと値段がついていた。その価格設定がある時突然なくなり、以降は雑誌や宗教本の対価は寄付として受け取る形式になった。

エホバの証人の宗教本の定価撤廃は、税金対策だったとも考えられる。

こういった変更を宗教本が見た目上は無償化されるという「素晴らしいお知らせです」のように発表するのがものみの塔方式。商魂たくましく、都合の良い便りしかマインドコントロール下の信者には流さない。

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最優先事項をラーメン屋感覚で勧める奴を信頼するな

重要案件を安易に勧める奴を信頼するな

『芸能人と新宗教』、第四章「芸能人は新宗教の広告塔なのか」。本書では、芸能人は広告塔になりもするが諸刃の剣でもあると述べている。

エホバの証人のように問題だらけのカルトだと、芸能人であろうとなかろうと健全な一般社会との間に必ず軋轢を生む。その際にただでさえ目立つ芸能人であると悪目立ちする。

スキャンダラスに報じられれば、カルトの悪質さが衆目に晒されることになる。世間を欺けずに正しい評価がなされればカルトにとって痛手となる。

芸能人であろうとなかろうと

人は漠然と教えに惹かれて入信するのではなく、信頼できる人に出会って、それを通して入信する

と本書にある。

このことから得られる教訓は、やたらめったら人を信頼するなということ。

カルトの入信を迫る人物など、この世で最も信頼してはいけない人物。そんな怪しげな人間を安易に信頼するから、人生を大きく損ねることになる。

私の母もそうで、訪ねてきたエホバの証人の女性を信頼して人生の大半のモノを失った。その女性が悪人だったわけではなく、同じ被害者。被害者が被害者を増やす。

何でもかんでも猜疑心に駆られるのは良くないけれど、大金を使うとか、継続的に時間を使うことになる案件、人生を左右する問題、例えば宗教とか結婚とか投資とか就業とか。

そういった優先度の高いモノを安易に勧めてくる奴は大概ロクな奴じゃない。それを「あそこのラーメン屋美味しいっすよ」的な感覚で受け止めてしまうと、ほぼ100%失敗する。騙される。

私だけは大丈夫と思っているんだろうけれど、騙された奴は皆、最初はそう思っていたんだよ。

エホバの証人という地獄の沙汰も金次第、JWと芸能人

入信前の幻想と入信後の現実の「ずれ」

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マイケル・ジャクソンとオカルト大好きエホバの証人

マイケル・ジャクソンとエホバの証人のこと

『芸能人と新宗教』、第三章「海外の芸能人も新宗教にハマる」より。

昨日の記事に続いてマイケル・ジャクソンの話。マイケル・ジャクソンもエホバの証人2世であったと本書で明かされている。

「スリラー」の冒頭には、「この映画はオカルト信仰を助長するものではない」という注意書きがわざわざ挿入されています。それも、マイケルが、アルバム『スリラー』ために、エホバの証人が彼を破門しようとしていることを聞いたから

実際にyoutubeで確認してみると確かに。冒頭も冒頭に以下のテロップが出る。

Due to my strong personal convictions, I wish to stress that this film in no way endorses a belief in the occult.

しかも結構長い時間テロップが出る。Google翻訳で訳すと以下。

「私の個人的な強い信念により、この映画は決してオカルトへの信念を支持するものではないことを強調したいと思います」

オカルトを支持しようがしまいがどうでも良くて、そんなもの単なる個人の趣味の領域。

ところが、なぜかこのPVではオカルト不支持を強く訴えている。個人的な強い信念により。この信念というのがエホバの証人の教義に基づくものだったり、エホバの証人組織に対する未練や現役信者である家族に対する気遣いであったり。

歴史的名曲もいっきに興覚め。

実は、オカルト大好きエホバの証人

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エホバの証人という地獄の沙汰も金次第。プリンス、マイケル・ジャクソン

エホバの証人の芸能人

『芸能人と新宗教』、第三章「海外の芸能人も新宗教にハマる」から。

本章によると、プリンスの死には

エホバの証人の信仰が深くかかわっていた

私にしてみると、プリンスって誰?なのだが、カリスマミュージシャンらしい。そのプリンスの死因は鎮痛剤の過剰摂取による中毒死とされている。

鎮痛剤を過剰投与したのは、深刻な股関節の疾患を抱えていたからです。それを治すには手術が必要だったのですが、エホバの証人では輸血を禁じているため、手術ができず、鎮痛剤に頼らざるを得なかった

エホバの証人が命がけで輸血拒否するのは目立ちたいから。これこそ無駄死に。鎮痛剤が大量に必要なほど、まさに痛い話。

もっとも「ふさわしくない」マイケル・ジャクソン

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念仏唱えて人生が好転すれば誰も苦労しない、宿命転換

創価学科の宿命転換とは

『芸能人と新宗教』、引き続き第二章。芸能人の信者が多いとされる創価学会について。私は、学会員とされるタレントが出ているテレビ番組は極力見ないようにしている。個人の主義として。

とはいえ、例のご当地番組は面白いのでたまに見てしまうのだけど・・・スタジオに返ってきたらチャンネル変更・・・。まあほとんどテレビ見ないので実際は関係ないのだが。

創価学会に芸能人が多い理由として考えられるのが、「宿命転換」と言う教えの存在

宿命転換とは、前世の罪として背負った宿命を、現世で功徳を積むことで転換できるという設定のこと。功徳というのは宗教活動を行うことに限定されるのだろう。

道端でゴミを拾ったりとか、他人に親切にしたり、親孝行したりではなく、教団指定の仏壇を買ったり、選挙の応援や新聞の勧誘をしたり。単純に組織的宗教活動に熱心に取り組ませるための設定。どこの新宗教にも似たり寄ったりの仕掛けがある。

エホバの証人の場合は、人類は祖先アダムの原罪を背負わされている設定。原罪のまま罪深く生きると来たるハルマゲドンで神に殺される。その憤死を回避するためにエホバの証人活動という恥ずかしい罰ゲームを行えという仕組み。

街頭に「聖書を無料で学べます」という立て看板と共に立ったり、学校活動で行事ごとの一切を見学したり、輸血拒否して命を投げ捨てたり。

ハルマゲドンを生還すると宿命が転換され、完全な人間になって永遠に生きることができる。それがエホバの証人のおとぎ話。

恥にまみれて永遠に生きるくらいなら、罪にまみれて短い生涯を生きる方が美しい。

英雄的アダム、自由意志を放棄または没収されるエホバの証人

エホバの証人(JW)の地上の楽園設定の矛盾を論破する

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地獄行きの列車で集団現実逃避、それがエホバの証人

新宗教の発展の要因

『芸能人と新宗教』、引き続き第二章。

本書では、高度経済成長期に集団就職で上京した若者を取り込んで新宗教が発展したと推測している。上京した若者は

都会に人間関係はなく、おまけに学歴が低いので、安定した生活が送れませんでした。

そのために不安を抱え、見知らぬ土地で疎外感を味わう。

そうしたとき、職場の仲間などに声をかけられれば、そのままついて行ってしまいます。行ってみると、そこは新宗教の集まり

で、当然、宗教側は勧誘時には良い面しか見せない。宗教で人生が好転すると思わせる。最高にもてなし、帰属意識を持たせるように仕向ける。すると

自分も仲間になってもいい、むしろなりたいと考えるようになり、それが新宗教の入信へと結びついていった

私の両親も同様だった。時代が少し違うし、上京でもないのだが地方から都市部へ出てきた所でエホバの証人に喰われた。「都会は怖い所だべー」と、昔の田舎の人が言っていたのがガチだったということ。

お菓子の家教団に人生フルベット、新宗教と既成宗教の違いとは?

人生の方向を誤らせる宗教

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お菓子の家教団に人生フルベット、新宗教と既成宗教の違いとは?

新宗教と既成宗教の違いとは?

『芸能人と新宗教』、引き続き第二章。

新宗教と既成宗教とを区別する際に、比較的わかりやすい基準となるのが、在家集団であるかどうか

既成宗教には専門の神職が存在する。神主や僧侶、牧師など。この人たちは、当該宗教の専門家となり世俗の生活を捨てる。

しかし、新宗教にはこの専門の聖職者が存在しない。本書では新宗教の

教団の構成員はすべて俗人

であり、

新宗教は俗人によってのみ構成された在家教団である

と書いている。

ややこしい点が、在家教団の新宗教なのに出家者が山のようにいる点。本書では幸福の科学を例にとって説明している。エホバの証人など全く同じ。

幸福の科学のいう出家は、宗教活動に生活のすべてを捧げるというもの

この出家とは、エホバの証人でいうところの献身=バプテスマ。思うところあって、宗教活動に人生すべてを捧げる宣言をしてしまうという愚かな決断。

『芸能人と新宗教』~法の下の無法地帯、宗教法人の認証制度とは

お菓子の家教団に人生フルベット

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