エホバの証人の統治体がなりすましているモノとは?

例え神でも「白を黒」とは言わせない

『良心の危機』、第12章「最終攻撃」から。

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エホバの証人世界本部を辞した著者だが、エホバの証人組織から追い出される排斥となる。著者が、組織にとっては邪魔で「脅威」であったから。

著者のようないわゆる背教者がエホバの証人組織から排斥になる理由は

組織に対する背教

神やキリストではなく、組織に背いたから。これが、ものみの塔の組織崇拝という本質。

これに関する驚愕エピソードが本書に。とあるものみの塔協会の地域監督が緑色の本を持ってこう言った。

「協会に、この本は緑色ではなくて黒だと言われたら、私はこう言います、『誓って緑色だとは思うけれども、協会が黒だと言うんだから、この本は黒い!』」

信じられない愚かさ。

例え神だろうと「白を黒だ」と言う奴の言いなりにはなりたくない。

近未来の仮想全体主義国家を描いた『1984年』と同じ。国家を統制する党が、「2 + 2 = 5」だと言えば「5」になる。4本の指しか立てていなくても、党が「5本だ」と言えば「5本」になる。

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エホバの証人も同じ、塔が「黒」だと言えば「白」になる。エホバの証人たちは、「塔」に自由意志や判断能力を奪われ、支配されている。家畜以下。家畜でも反抗的だからという理由では殺処分されない。

神になりすます、エホバの証人の統治体

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エホバの証人の天啓とは?たまたま現れたものに「安易」にフルベットする悪癖

カルトな式典、エホバの証人の死の記念式

エホバの証人特有の天啓体験とは?

『良心の危機』、第11章「決心」より。本章では、エホバの証人特有の天啓体験があると書かれている。

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エホバの証人の教理では、

イエス・キリストが仲介者であるのは「油そそがれた」者たちのためだけであって、その他何百万人といるエホバの証人のためではない

という設定。

天に昇り、全宇宙を統治するのは「油そそがれた」者だけ。そのため、末端構成員のその他諸々のエホバの証人は、「油そそがれた」者で構成される統治体に服従しろとされている。

これは、組織統治、支配のために、都合よく作られたものみの塔の独自教理。

それについて、著者は

聖書を見れば、明らかにイエス・キリストはすべての「その他大勢」のために仲介者となって神との間をとりもってくれるとされている。キリストがすべての人のために自らの命を捧げたこと、受け入れる人には誰にでもその贖いの利益を与えること

すなわち、エホバの証人の教えられていることと反対のことが、聖書の福音であると書いている。これはつまり、エホバの証人組織に対しての背教。

この立場で聖書を読むと

他の人には当たり前のことでも、エホバの証人にとっては天啓かとも思われるショックを与えることがある

このショックを受けた元エホバの証人の言葉

「聖書を読みながら聖霊を拒否しているような気がしていました。ずっと読んでいって自分にそれを当てはめていくうち、急に止まってしまうう。あ、これは自分には当てはまらないんだ、油そそがれた者たちだけに当てはまるんだと思う」

こういったその他諸々の末端エホバの証人が

マタイから啓示(黙示録)に至る聖書の内容がまさに自分に向けられたものであり、拡大した「解釈」など不要で、本当に直接自分に当てはまるのだと納得すると、突然数多くの疑問が出てくる。答を求めていながらも敢えて尋ねようとはしなかった疑問の数々

それすなわちエホバの証人から見れば背教思想。

聖書的に見れば素晴らしい気付き。ものみの塔の色眼鏡を通さずに聖書を学べば、カルトから解放される。

たまたま目の前に現れたものに「安易」にフルベットする悪癖

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表面的には羨ましすぎる、エホバの証人の統治体メンバーの豪遊生活

『良心の危機』著者の決心とは?

『良心の危機』、第11章「決心」より。

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著者が、この章でいったい何を「決心」したのかというと、エホバの証人の世界本部をやめること。私としては、エホバの証人をやめて本書のような告発本を書くことかと思っていたので、著者の心情と食い違いが生じていた。

食い違いというか、理解に苦しむというか、マインドコントロール(本書では思い込みと書かれている)下の哀れというか。

組織中枢にいて、そこが間違っていると気付いたら、その組織はもうアウトでしょ。根本から正すか、外に出るかしかない。

著者は、世界本部で全世界の信者の人権を侵害するという悪事に加担するのをやめる決意を固める。その一方でエホバの証人としてはそのまま組織に残るつもり。エホバに祈ることも続けるし、エホバの証人の王国会館にも通い続けると。

エホバなんか存在しないとなぜ気付かぬ?人生をかけて築いた悪習慣からは簡単に抜け出せないということか。

至ってスローペースかつ受け身、しかもマインドコントロール下(本書で言うこところの強烈な思い込みによるエホバの存在肯定)にある著者の決心だが、感心する点もあるにはある。

贅沢三昧、エホバの証人の統治体生活

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『良心の危機』、リーダーは被害者意識で罪から目をそらすな

リーダーが追随者って?

『良心の危機』、第11章「決心」。クライマックスなのか、やたらと長い本章。昨日の記事で書いたように不愉快な所もあるが、読む価値は充分にある。

快不快を含めて著者の人となりが文章だけで伝わるので、筆力はさすが。長年教団の無茶ぶり宗教本を、何とか着地させていただけのことはある。

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著者には悪いのだが、今日も不快な部分から。ある元エホバの証人たちが著者に語った言葉が

「私たちは追随者の追随者だったのです」

「私たちは犠牲者の犠牲者だったのです」

これに対して、著者はこう書いている。

どちらも当たっている。チャールズ・テイズ・ラッセルは、ある人々の言うことに従った結果、「明らかにされた真理」という概念の犠牲となった。以来、歴代のリーダーたちも同じ道をたどり、時としてもとからあった思い込みにさらなる思い込みを付け加えていった。私にはこれについて許せないような気持ちはなく、ただ自分の知っている人たちに対して気の毒だと思うばかりである。私もそういう「犠牲者の犠牲者」であり、「追随者の追随者」だった

おいおい、お前は被害者づらしちゃダメだろ。あと歴代リーダーと創始者ラッセル君も、犠牲者とか追随者では決してない。

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『良心の危機』、著者のものみの塔感覚に対する違和感

ものみの塔は「ふるさと」にはなり得ない

『良心の危機』、第11章「決心」から。著者のたどる経歴は何となく知っていたので、この章あたりから激動するのかと読み進めるも、何となく不快感のある章。

しょうもないものみの塔資料の引用が減ったのは良いのだが、読みながら著者に感情移入したあと、はっと我に返る。すると著者の真意には、ものみの塔に対する僅かな親しみ、のようなものが混じっていて不快感を覚える。

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私は育ったふるさとを捨てたのだが、それはそこで育っているときにエホバの証人の子供であったために、ふるさとが不愉快な記憶に満ち満ちているから。育った場所より、脱会後に住んだ場所の方が長いので、出身地としてそのふるさとの名を上げることもない。

とはいえ、そのふるさとが憎いかと言えばそうでもない。そのふるさとの記憶が忌ま忌ましいのは、そこがコンビニ一軒すらない田舎だからという訳でなく、エホバの証人の子供だった自分自身に由来する。

なので、そのふるさとが嫌いかと言われれば、そうでもなく。あんな田舎には二度と住みたくないけれど、景色は良いし、中には良い奴もいたくらいの感情。

著者のものみの塔に対する感覚もこれに似ている。だから不愉快に感じる。私のものみの塔に対する感覚は違って、ものみの塔が心の底から憎い、嫌い、カルトこそ滅びろと。

結局、現役信者であった頃の著者は、常に受け身で自らの所属するカルトに対して刃を振り上げることもなかった。本人がものみの塔をカルトと認識していないから。著者からは、ものみの塔は完全悪でなく良い面もあるという、微かな懐郷の念を感じる。

不愉快なエホバの証人だらけの環境での永遠は地獄

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1914年、ものみの塔の独創的オモシロ予言解釈3つ

宇宙時代の幕開けが、「終わりの日」の始まり

『良心の危機』、第10章 1914年と「この世代」。1914年の世代が死に絶える前に、ハルマゲドンが勃発するというのがものみの塔の聖書解釈。

ものみの塔は、その「世代」をどこまでも拡大解釈することで予言非実現のごまかしを続けていた。しかし、ネタ切れになり苦し紛れの素案が統治体内で議論される。

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まず一つ目、独創的なオモシロ提案。

太陽は暗くなり、月はその光を放たず、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされるでしょう

という聖書の言葉に関連して、宇宙時代の幕開けとなった1957年、

旧ソ連のスプートニク号が初めて宇宙に打ち上げられた年

を1914年と読み替えようというもの。これは統治体メンバーが本気で統治体全体に対して提案したもの。

時を一気に43年も稼げるし、聖書の言葉と宇宙開発が全くリンクしていないギャグ感が最高なのだが、これは非採用。

いついつまでも増殖する、油そそがれた者

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ものみの塔の希望的妄想、終わらない「終わりの日」

ものみの塔の終わらない「終わりの日」

『良心の危機』、第10章 1914年と「この世代」から。「この世代」が死に絶える前に、世界に終末が到来するというのが、ものみの塔の年代予測。

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「この世代」というのは1914年の世代。エホバの証人にとって、当初は終着地点だった1914年はいつか始まりの年になり、その始まりの解釈も延々と先送りされてきた。

1914年の世代、当初は1914年に壮年だった者の世代、この人たちが最大限長生きしたとして130才になるくらいまでに、この世の終わりが来るとされていた。

これが徐々に延ばされ、第一次世界大戦の終戦のまで世代は引っ張れると、終戦の1918年までの4年間をチマチマと稼いでみたり。

さらに時が過ぎると、1914年生まれでもいいんじゃねと、1914年生まれの赤ちゃんが全員寿命で死に絶えるまでと延長。

現在の設定では、1914年っぽい雰囲気を味わった世代が死に絶えるまでとなっているはず。解釈次第でどこまでも延長できる実質無期限。

1914年だと日本だと大正時代、はいからさんが通るの頃。大正ロマンなんてとうに失われているので、とっくに時間切れ。しかし、ものみの塔に言わせれば、1914年以降の終わりの日が継続中という設定らしい。終わらない「終わりの日」が。

ものみの塔の予言は単なる見解、信ずるに値しないのだが・・・

真理ではない1914年のものみの塔教義

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ものみの塔協会の1975年の予言ハズシ、統治体の資質不足

エホバの証人(JW)、1975年のカラ騒ぎ

『良心の危機』、第9章 1975年「神が行動されるのに適切な時」より。7章、8章で、ものみの塔のもはや伝統芸と化した予言全ハズシからの責任転嫁の実態が暴かれた。そしてもう一度1975年。全く同じパターンが続く。

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ものみの塔のパターンとは、

そもそもの歴史を通じ、まったく同じパターンで歩んできている。年代についての人々の期待感をあおってはそれが裏切られる。そして後に、落胆の責任は書いた側にはなく、すべてそれを受けとって期待しすぎた側にあるのだとする-これがお決まりのパターン

つまり、ものみの塔のお家芸。これに巻き込まれる信者は悲惨。

ある人は店を売り、またある人は仕事を辞め、また家や農場を売り、家族を連れて「より必要が大きいところで奉仕する」ために別の場所に移り、1975年まで何とかなるだけの貯金を頼りとした。
また年配者の中には、保険・証券類を換金した人もいた。千年期が来ればその必要もなくなると考えて手術を受けないことにした人もいた

この悲惨で愚かだった人々に対して、本書の著者にも責任がある。著者は、この1975年フィーバーの際にエホバの証人の最高意思決定機関である統治体メンバーだった。

『ものみの塔の終焉』1975年狂想曲

これは正直に言わねばならないが、私自身も1966年に『神の自由の子となってうける永遠の生命』を読み、ヨベルの千年期の近いことを高らかに謳っているのを初めて目にした時はいささかの驚きと興奮を覚えたし、その後、1975年を中心にして回った宣伝活動にまったく関わらなかったわけでもない

著者は後年、良心の呵責により本書を執筆した功績はあるものの、騒ぎの最中は傍観者に近い。というより、一旦は予言を信じて興奮しちゃった側。

信じちゃうのは仕方がない。子供の頃から、エホバの証人環境を周囲に作られれば、それが本人の全世界であり現実となる。

現代人だって、地球は平らで地平線の端は滝になっているんだと子供の頃から教えられて、大人たちもそう信じていれば、大概は地球が丸いなんて気付かない。これと一緒。ものみの塔の予言は絶対!と周囲の誰もが妄信していれば信じざるを得ない。

しかし、一抹の疑念が生じたのに、そのまま立場に流されたと著者は告白している。この罪は重い。

1975年に向けて、家や土地を売り、保険を解約した愚かで無垢な人々に対する罪。一緒になって騙されていたのならともかく、予言の実現に逃避した信者が圧倒的に人生を損なうのを黙殺した罪。

当時の著者は、軽く警鐘を鳴らしてはいるが、この時点でものみの塔組織を拒絶しなかったのであれば、ものみの塔の偽予言者たちと罪は同罪。

著者が、統治体現役メンバーとして、ものみの塔が予言外すぞキャンペーンなどをメディアを通して1975年にリアルタイムでやっていれば、ものみの塔に大きな打撃を与えられたはず。

そうしなかった、そうできなかったのは、著者が環境や立場に流される人間だったから。自分の倫理・美意識に沿って行動し、環境を変えようとする人間ではなかった。

統治体メンバーも同じ。自分の考えとは関係なく、空気読んで多数決に流されちゃうタイプ。

こういう人間たちは組織の上に立つべきではない。進むべき方向へ舵を切れないので、組織まるごと流されるままになる。ましてや統治など。結果、多くのエホバの証人たちが未だに人生を大きく損ない続けている。


エホバの証人(JW)の統治体、その腐りきった思考回路

安心してものみの塔にいられるように?

『良心の危機』、第5章「しきたりと律法主義」から。

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なぜ、エホバの証人(JW)が従うものみの塔の指針はなかなか変わらないのか?変わるときも、なぜそれまでの方針の過失を認めないのか?

それは教団の方針を決める統治体の考え方にある。

長年にわたって何千という人たちが協会の方針に従うということで投獄をはじめ大変な目にあってきた。今になって方針を変更すれば、ではこれまでの苦労は必要なかったのかということになるだろう。そういった苦難も「義のための苦しみ」として満たされた気持ちで受け入れていたであろうに、ここで変更しては幻滅が生じ、自分の受けた苦しみを他の人は受けずに済むのかという不公平感すら生まれる

というのがエホバの証人の統治体様の考え。私も統治体の立場であれば同じように感じる。エホバの証人活動を苦行かつ罰ゲーム的辱めだと捉えているから。

そもそも苦難を喜びだと感じるマインドコントロール状態にはない。指針を改変して、幻滅・不公平感祭りで信者の脱会が増加するのも良いし、古い指針に固執して時代の流れに即さなくなって叩かれるのも良し。

筆者は逆で

むしろそのように苦しんだ人たちは、もはや自分たちが味わったように苦しみを味わう必要もなくみんなが安心して組織にいられるのだと喜んでしかるべきではないかと感じた

と書いている。本人は

聖書が説く精神

に寄せているつもり。実際そういった清らかな思いなのかも知れないが、カルト組織が安心していられるように変わるのを喜びと感じるのは、やはり脳内お花畑のJW状態。

輸血解禁、子供の信仰は子供の完全選択方式。楽園なし、復活なし、永遠の命なしの3なし実現からのハルマゲドン来ません&油そそがれてません宣言。ここまで膿を出しきってカルト臭消して、ものみの塔は聖書クラブの老人会になりました。安心して聖書を学べますとなったら。

それって喜ばしいかと言われれば、そうでもなく。現状よりは相当にマシなのかも知れないが。私が人間出来ていないのかも知れないけど、カルトはカルトらしくしてくれないと息を吹き返しちゃうかもしれない。

子供の頃に受けた私自身の恨みのためにも、ものみの塔には跡形もなく消滅して欲しい。

現状のものみの塔が体罰をやめている体なのは、無垢の子供が被害を受けなくて良いのかとは思う。しかし、過去について詫びることなく、悪びれることなくというふざけた姿勢。やはり徹底的に叩き破滅させたい。

ものみの塔聖書冊子協会に電凸した話の続き、体罰推奨協会

内部から清浄化されるのではなく、外部から燃やし尽くしたい。

いずれにせよ、内部から清浄化されることなど、腐りきったものみの塔にはあり得ない。たとえ輸血解禁でもしようものなら叩きまくって、死んでいった信者の不公平感を煽るだけ。

ものみの塔が腐っているのは統治体の精神による

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エホバの証人の統治体メンバー「ロイド・バリー君」、再登場

エホバの証人の統治体、いいかげんな決議

『良心の危機』より。昨日の記事では兵役拒否の代替公務、それをエホバの証人が認めるか否か、その変遷があったことを書いた。さらに、代替公務禁止期間に実際に投獄された信者も存在した。

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1978年に統治体内で「代替公務」解禁が議論になった際の詳細も本書に書かれている。

1978年のあの時、一人の統治体のメンバーが意見を変えなかったならば、今挙げた人たちの誰一人監獄行きにはならなかっただろう。

こうした人たちは良心的な理由で監獄行きになったのではない。組織に強制された方針に従ったのである

この意見を変えた統治体メンバーというのはロイド・バリー。本書では「代替公務」議論におけるロイド・バリーの優柔不断エピソードが描かれている。本書の脚注も参考にされたい。

ロイド・バリー君、一旦は代替公務解禁に賛成するものも、休憩を経て「やっぱやめた」となる。これで三分の二を下回り、全世界のエホバの証人が収監されることに。その後の再決議の際には、まさかの離席といういいかげん野郎。

『良心の危機』、エホバの証人(JW)の茶番の数々その1

バリー君、再登場

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