エホバの証人(JW)2世のいじめと二面性、排他的性質

エホバの証人2世の二面性

大人の信者から受け継がれる裏表のあるエホバの証人2世の性格

誰でも、裏表の顔を使い分けている。エホバの証人2世として育てられた人々は、その二面性が顕著だと私は考える。親や大人たちの前で見せる顔と、自分より弱い者に対して見せる顔が全く違う。

両親を含めた大人のエホバの証人たちは、他人の噂や悪口めいた批評を影で言うことが良くあった。私の家庭では会衆内の他の信者についての噂話が絶えなかった。

会衆とは、地域ごとのエホバの証人の集まりのことで、人口密度に応じてある一定の地域をカバーしている。信者数が100人弱になるように会衆のカバーエリアが定めらている(と思われる)。エホバの証人のムラシステム。狭いムラ社会では噂話が絶えない。

会衆内の誰々が「エホバの証人組織を離れた」、「ものみの塔協会の戒律を犯した」。そういった場合には厳しい批判がなされる。こういう大人を見ているため、エホバの証人2世は他人の噂話や影口が大好物になる。

ものみの塔協会そのものが二面性を持つ

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エホバの証人2世のセックス願望、小学校6年生で性欲爆発

性欲爆発、エホバの証人の子供

真似事のものみの塔研究

私の家庭は、両親ともにエホバの証人というカルト宗教の信者だった。私は両親の一人息子で、いわゆるエホバの証人2世信者だった。エホバの証人は自分がエホバの証人であれば、子供を当然のようにエホバの証人として育てる。

子供だけでなく、誰かれ構わず信者を増殖させようとするがエホバの証人。

私が小学校6年生の時の話。エホバの証人の言うところの「聖書研究」のために、私は父親に同行して隣町の家庭へ毎週通っていた。その家庭は両親ともにエホバの証人ではなく、非信者の父親との聖書研究を私の父親が担当していた。

聖書研究と言っても正確には、ものみの塔協会の宗教本の研究。聖書ではなく、日本でのエホバの証人運営の中心になっている「ものみの塔聖書冊子協会」が発行した書籍の朗読・質疑応答をするだけ。

その非信者家庭には、私と似た年頃の子供がいた。父親たちと同じタイミングで、私がその1つ年下の男の子の「ものみの塔研究」の真似事を担当していた。

真似事というのは、私はまだエホバの証人で言うところの「伝道者」になっていなかったから。

伝道者というのはエホバの証人の資格のようなもの。「神権宣教学校」という布教教育用の学校で練習して、資格を得たのちに教団の責任者との面談を経て、伝道者になる。

この頃、私の父は会衆内の長老という立場だった。会衆という地域ごとのエホバの証人グループでの責任者。

私の、エホバの証人組織内での「進歩」はいささか遅かった。それを長老だった父と「正規開拓者」だった母は心配し、何とかしたいと思っていた。正規開拓者とは、1990年代当時は年間1000時間を布教活動に費やす筋金入りの妄信者。

というわけで、父はフライング気味に、小6の私にものみの塔研究の真似事をさせていた。

エホバの証人の聖書研究は体系だったマインドコントロール手法

ものみの塔研究よりもセックスが重要だった小学6年生

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子供にとって悪影響でしかない、エホバの証人というカルト

JW2世の罰ゲーム人生

失われるエホバの証人2世の自尊心

私はエホバの証人というカルト宗教の2世信者だった。2世信者とは、親の1世信者の始めた信仰を強制される子供のこと。

エホバの証人の2世信者の特徴の一つは、他者の視線を必要以上に気にすること。カルト信者として、幼い頃から奇異の視線を浴び続けて育ったことが原因。私自身の経験から、この特徴を考察する。

エホバの証人の子供は、ありとあらゆる学校の行事に参加しないことで、同級生や先生から変わり者扱いされる。親族からも心配され、憐れみの視線を投げかけられる。隣近所にも、子供自ら呼び鈴を鳴らし布教活動をさせられる。

小学校の高学年から中学生くらいになると、同級生の住む地域を布教活動で回るのが何よりも嫌だった。しかし、私の両親は同級生の視線を嫌がる私の信仰が弱いと思い込んでいた。完全にエホバの証人組織のマインドコントロール下にあったから。

子供に信仰心なんか要らねーっつーの。

同級生が住む区域を、強制的にカッターシャツにネクタイを締めて回らされる。完全な罰ゲーム。これは、私が両親に「エホバの証人をやめる」と宣言する中学2年生の秋まで続く。

思春期の多感な時期に、親から嫌がらせにも同義な理不尽な扱いを受けた。

私の自尊心は傷付き、エホバの証人である姿を誰にも見られたくないと強く思っていた。ネクタイを締めて親と一緒に近所を歩き回っている時だけではなく、常にエホバの証人である自分が、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がなかった。

こうして、私は他人からどう思われているか、どのように見られているのかを、必要以上に気にするようになった。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

恐怖、見知らぬ家の呼び鈴を鳴らせ

エホバとキリストから無限に浴びせられる監視の視線

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ものみの塔から受ける悪影響で、ねじ曲がるエホバの証人2世の性格

エホバの証人が子どもに及ぼす悪影響

エホバの証人の子どもたちは、すさんだエホバの証人の大人の世界を早くから覗いて育つ。そのため、大人の信者同様に根深い二面性を持ち、羨望や嫉妬、陰口の多い人格に成長する。

エホバの証人の集会所「王国会館」に溢れているのは、思いやりや隣人への愛情ではなく、特権主義と特権階級に対する妬み。信者たちはお互いに監視し合い、教義を破ったり不適切な行動をした信者を密告しあう。

教団が推奨している信者間の交流の時間は、ただの噂話の時間。その噂話の内容は嫉妬や陰口で、それがエホバの証人の狭い密告社会を支えている。この

人間社会の醜い部分の縮図のようなエホバの証人の王国会館に、エホバの証人の子どもたちは小さな頃から通い続けている。子どもたちに悪影響がでないわけがない。

エホバの証人の子どもたちは、一見大人びて見える。それは丁寧な言葉遣いや礼儀正しい態度に表れるが、同時に子どもらしい純粋さや素直な物言いまでも封じられている。

結果、エホバの証人の子どもたちは小さな頃から陰口を叩き、裏表の多い嫉妬深い性格に育つ。

エホバの証人の王国会館とは?

エホバの証人2世が抱える恐怖、ハルマゲドン

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エホバの証人2世の残虐性や暴力性、法令を軽視する理由

エホバの証人2世が秘めた残虐性や凶暴性

エホバの証人2世信者の子どもたちは、懲らしめという体罰を不条理に繰り返し受ける。不条理というのは、懲らしめの原因がエホバの証人の不可解な教義にあるから。

私の子どもの頃、我が家では、隠れてテレビで『キン肉マン』や『ゲゲゲの鬼太郎』を見ると懲らしめの対象だった。エホバの証人は、暴力的なものや霊的なものを一切禁じているため。

現代であれば、ポケットモンスターがモンスターだからダメ。スポーツブランドのNIKEは、異教の女神サモトラケのニケがロゴのモデルだからダメ。ほとんど粗探し。

自分の家庭がエホバの証人でなければ、しこたまお尻を叩かれることがない。エホバの証人の子どもたちは、自由を制限され、親に暴力を振るわれるという不遇で不運な幼少期を過ごす。

エホバの証人2世の子どもたちは、懲らしめという暴力と厳しい戒律に縛られて成長する。幼少期に繰り返される暴力の影響で、エホバの証人2世の子どもたちの精神は健全には育たない

私の場合、残虐性や凶暴性、暴力を希求する青年期を送ることになった。問題の解決に暴力を使用したり、あえて揉め事が起こるような状態に自分を巻き込んだり。

親が懲らしめという暴力で家庭内の問題を解決するのを、自分の尻の痛みで覚えている。その暴力による解決を、自分が他人に行使できる立場になったときに、行使しようとしただけ。

さらに問題を複雑にするのは、エホバの証人組織は、親たちに子どもを深く愛するようにと教えていること。そのため、エホバの証人2世の子供たちは、親からの愛情の押し売りと懲らしめという、飴とムチ状態にさらされる。このアンバランスで、エホバの証人の子どもたちの精神は蝕まれていく。

罪悪感の薄さへと連結するエホバの証人2世の性に対する欲求

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エホバの証人組織による非信者の父親の攻略法とは・・・

父親までもエホバの証人に堕とされる

エホバの証人2世ロボット

私は、物心ついた頃からエホバの証人の2世信者だった。エホバの証人とは自称キリスト教系の新興宗教。2世信者とは親の信仰を押し付けられた子どものこと。

私の家では、まず母がエホバの証人に興味を示し、幼い私を連れてエホバの証人の集会所に通い始めた。エホバの証人の集会所は、「エホバの証人の王国会館」と呼ばれている簡素な建物。

その後、非信者の父の懐柔が始まる。まずは同年代の似たような神権家族を我が家に送り込んでくる。神権家族とは、両親ともにエホバの証人で、子どもたちもエホバの証人2世として育てられている家庭のこと。

父親たちが「聖書研究」をしているあいだに子どもたちだけで遊ばせる。その子どももちょっと大きくなると、同じく「聖書研究」と称して子ども向けのエホバの証人の宗教本を読ませる。

この「聖書研究」は大人も子どもも同じで、エホバの証人の宗教本の討議を行うだけ。マインドコントロールの一環。

私が初めて、同年代のエホバの証人の子どもに会ったときのこと。それをよく覚えている。衝撃を受けた。近所の子どもたちとは全然違う。大人びていて、言葉使いが尋常でなく綺麗。

「僕と一緒に遊びましょうか」というような話し方。普通に気持ち悪いんですけど。まさに、エホバの証人2世ロボットだった。

家族を崩壊させるものみの塔協会

空虚な目的のために家族を失うエホバの証人

エホバの証人組織による父親の攻略

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エホバの証人(JW)が堕ちるダークサイド、排他性とマインドコントロール

JWが堕ちるダークサイド

エホバの証人の理屈無しの体罰

私の家はエホバの証人で、子供の私も生まれながらにエホバの証人というカルト宗教を強制された。わが家は両親ともに信者、子供も漏れなくであることを強制される。エホバの証人が言うところの通称「神権家族」だった。

エホバの証人の親が子供に対して行なう体罰、「懲らしめ」と呼ばれている。なぜ懲らしめられるのか、しこたまお尻を叩かれなければならない理由を言い聞かされ、子供も表面上は納得の上で刑が執行される。

しかし、懲らしめの理由はエホバの証人の教理ありき。教団の厳しい戒律には、子供の理屈や筋の通った批判は一切通らない。

チャンバラごっこや剣を振るうテレビ番組、魔法が出てくる映画はダメ。そういう親に対して、

「古代イスラエル人は武装して闘っていたし、ペテロだって帯剣していた」と、反論しても議論の相手はして貰えない。

「昔と今は違う」で押し切られる・・・

「じゃあ昔の禁止事項を今に適用するのはおかしいよね?輸血とか」と対抗すると、そのうちに体罰強制執行でねじ伏せられる。

「イエスの奇跡と魔法はどこが違うの?」そんなものを一緒にするなんてと体罰の刑。

エホバの証人の他の家ならOKなことも、わが家ではNG。

「よそはよそ、うちはうち」で押し切られる。子供の私が折れない場合は、懲らしめが発動し強制的に服従させられる。

信者の親は、無感覚にエホバの証人の教理を信じ続け、戒律に反した子供に何の迷いもなく懲らしめという体罰が行使されるそこに理性や理論は皆無。

エホバの証人の懲らしめという名の体罰と児童虐待

変態的な懲らしめという児童虐待の犠牲者であるエホバの証人2世

エホバの証人のマインドコントロール手法

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エホバの証人(JW)の懲らしめという名の体罰=児童虐待

体罰を受けるエホバの証人の子供

エホバの証人の懲らしめという体罰=児童虐待

エホバの証人は王国会館と呼ばれる集会所に集まり、集会と呼ばれる宗教講演や機関紙『ものみの塔』の討議を行う。

この集会には多くの子供も連行される。中には、集会の最中に泣き出したり、ソワソワし始める子供もいる。小さな子供にとって、2時間近くも大人しく座っているというのはなかなかの苦行。

大人しくしていられない子供は、王国会館の外や声が漏れないような別室に連れて行かれる。そこで、懲らしめと称して体罰が加えられる。

たいていの場合はズボンを脱いで、お尻を何回か叩かれる。大人の素手で思いっきり叩かれたり、ベルトで叩かれたりとエホバの証人の体罰の種類は様々。ターゲットがお尻になっているのは、骨折のような怪我をすることもないし、叩いた跡も目立たたないから。

懲らしめはエホバの証人の王国会館だけで行われる訳ではない。エホバの証人の家庭でも日常的に懲らしめと言う名の体罰が行われている。エホバの証人の懲らしめは単純に児童虐待。

世代を超えて、さらに拡大するエホバの証人の児童虐待

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ものみの塔のクリスマス禁止の無根拠を論破する、馬小屋は寒いのか?

JWはクリスマスも禁止

他の宗教の行事すべてを禁止するものみの塔協会

日本の小学校ではクリスマスから節分まで、あらゆるイベントが行われる。最近ではハロウィンも定着しつつある。

穿った見方をすると、消費活動を促すための販売戦略が公共の教育機関にまで伝染しているだけ。好意的な視点で捉えると、仏教の伝来を認めた日本人の異文化への寛容さの証しであるとも。単純に言えば、子供たちの楽しみ。

しかし、ものみの塔教会は他の宗教を認めておらず、冗談のようなイベントでもエホバの証人の子供は参加することが許されない。エホバの証人の子供は、ほんのちょっとでも他の宗教色のイベントは禁止。

エホバの証人の子供たちは、そういった季節毎の行事が行われる度に、先生にその行事に参加出来ない理由を説明しなければならない。そして、行事を見学するという屈辱的な時間を送る。

同級生が行事に参加したり、楽しみにしているのは羨ましい。しかし、それ以上に嫌だったことがある。行事に参加しない理由を同級生に聞かれたり、見学している途中で話しかけられたり、奇異の視線を浴びるのが私にとって何より屈辱的だった。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

エホバの証人の子どもの日常は生き地獄

エホバの証人の子供がクリスマスを禁止されている理由

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恥神エホバ、本当の自分とエホバの証人2世である自分

本来の自分とJWである自分

エホバの証人に試練を課しているのは「ものみの塔協会」

1993年1月にアメリカ合衆国の大統領が改選された。私は小学校6年生だったのだが、大統領選挙のニュースに戦々恐々としていた。

当時、エホバの証人の世界本部はニューヨークのブルックリンにあった。大統領の改選によりエホバの証人への迫害が始まるのではないか。そんなことを子どもながらに恐れていたのを思い出す。被害妄想も甚だしい。

私は生まれながらのエホバの証人信者だった。親ゆえのいわゆる宗教2世。

私は、エホバの証人のことを世間から爪弾きにされている弱い存在であると感じていた。私は信仰を守るというより、無難に何事も無く生きていければと願っている子どもだった。

しかし、エホバの証人の子どもにとってそれは許されない。エホバの証人2世には、簡単に乗り越えられるのだが、自尊心は極めて傷つくという微妙な試練が連続してやって来る。

信仰を試すような機会が、あえてものみの塔の教理には含まれている。それを乗り越えることでエホバの証人組織への未練と執着が強まり、ますます脱会しにくくなる

これがエホバの証人が組織依存してしまう原因の一つ。自ら招いた微妙な試練を、苦労して乗り越える。試練を与えてくると思い込んでいる世界を敵視する。そして、教団の中に逃げ込む。

考えてみれば、信教の自由と個人の尊厳が保障されている日本では、エホバの証人に与えられる試練はそれほど困難なものではない。逆に難しいのは、エホバの証人を思い切ってやめること。

これは深いマインドコントロール状態に無い場合でも同じ。エホバの証人の教理や組織の方針に疑問を感じていても、今までに払った犠牲と時間が惜しまれる。教団外にまともな人間関係を築いてこなかったことも影響する。

変化を恐れるエホバの証人たちは、生ぬるい馴れ合いのエホバの証人の王国会館に通い続けてしまう。

信者たちを組織に縛り付けるために、ものみの塔は、あえてエホバの証人にしょうもない試練を課している。

エホバの証人の王国会館という虚構の世界の架空の友人

エホバの証人の王国会館に流行る病

恥の象徴であるエホバ

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