献身というカルトな儀式
私は、物心つく前からエホバの証人2世として育てられた。その元凶となったのがT姉妹という女性のエホバの証人。エホバの証人はお互いを○○姉妹、○○兄弟と呼び合う。
エホバの証人にとって、兄弟姉妹にあたるのはバプテスマという献身の儀式を受けた人だけ。この献身は世俗のまま出家するようなもので、身も心も全財産すべてをものみの塔に捧げます、と誓うこと。
バプテスマは、汚いプールの水の中に体全体を浸す儀式。カルトに何もかも捧げる覚悟など危険すぎるし有害なのでやめるべき。そして、自分の一生を左右する重大な決断なのに、エホバの証人たちは安直にその道を選ぶ。
信者を献身させ、何もかも奪い取る。これが、ものみの塔の体系化されたマインドコントロールの最終成果。
エホバの証人の財産搾取法についてはあなたの全財産を奪うカルトによる洗脳
私の家族がカルトに汚染された原因
T姉妹が私の家を訪れ、両親をエホバの証人の世界に引きずり込んだ。エホバの証人的に言うと「真理に導いた」ということになる。
このT氏が私の家を訪れていなければ、私は普通の幼少期、少年期を過ごし、私の家族が崩壊することはなかった、”はず”である。もう大昔のことなので、こんなことを言い出しても何も始まらない。
他の、破壊的カルトに捕まって、家族まるごと全滅死していた可能性だってある。カルトに引きずり込まれる人には、ある種の弱さや隙がある。
亡くなったカルト被害者
私の家族にとって元凶となったT姉妹だが、今となってはこのT氏を恨んだり責めたりという気持ちは一切ない。確認したことがないので、知る術はないのだが両親も同様だろう。
理由は、このT氏ですら、ものみの塔によるカルト被害者だから。実は、このT氏は30年以上前に若くして亡くなっている。
幼い私にT氏は優しかった。両親とも仲良くしていたように記憶している。そのT氏は、まだ40代くらいだったと思うのだが、若くして亡くなってしまった。ガンか何かの病死だった。
彼女は動けなくなるギリギリまでエホバの証人だった。報われない、誰のためにもならない不毛な布教活動をしていた。エホバの証人としての活動は有害でしかない。カルトの手先となり被害者を増やしているだけなのだから。
エホバの証人の葬儀
エホバの証人は葬式をしない。キリスト教式でも、日本風の坊さんを呼んでという仏式のどちらの葬式も行わない。葬式は、エホバの証人には異教異端の行事ということで毛嫌いされている。
このT姉妹にしてもそうだった。エホバの証人の集会所「王国会館」で、「お別れの式」と称して、信者だけで故人との別れを悼んだ。
このお別れの式では、香典なども渡されないし、喪服も着ない。信者たちは、通常のエホバの証人の集会に近い服装で参加する。
エホバの証人はもともとが地味な服装で、きっちりした格好をしているので雰囲気としては問題ない。とはいえ、葬式用に黒いネクタイを締めたりはしない。あくまでもエホバの証人様式を貫く。
T氏の夫はエホバの証人ではなかった、2人いた子どもたちは、成人しているかいないかくらいだったが、娘の方は熱心なエホバの証人で、息子はエホバの証人を脱会していた。
家族の中でもT氏の死を巡ってもめたはずだ。夫は通常の葬式を出したかった。信者でない息子にしてみれば、T氏の遺骨を墓にいれ、自宅の仏壇に置きたかった。
葬式なし墓なし遺骨なしのエホバの証人
エホバの証人は墓に埋葬されることを望まない。T氏の願い通りになった。熱心な信者だった片方の娘と、同じ会衆の信者たちが、強引にエホバの証人方式でT氏を送った。遺骨を一切残さず、T氏は火葬された。
T氏の夫は、配偶者の死に際し、血迷った集団と醜く埋葬方法についてもめるのを良しとせず、生前の本人の意思に任せたのだろう。どちらにせよ、エホバの証人たちは簡単には譲らない。
エホバの証人には、人間らしい曖昧な考え方や譲歩、歩み寄りといった美徳はない。ものみの塔の教理のことになると頑固一徹。葬式禁止。墓拒否の一点張り。
エホバの証人の妄想である死者の復活
でも、「T姉妹は楽園で復活するから」と、両親をはじめとした信者たちは言い合う。子供の私もこれを信じて疑わなかった。
T氏は、エホバの証人的には模範的で立派な人だった。だから、近いうちに勃発するハルマゲドンという最終戦争のあと、訪れる楽園に蘇るのだと。
(2023年追記、結局、このときからやがて40年。ハルマゲドンは来ていない。この先も決してハルマゲドンはこない。)
ものみの塔の教理に従っていれば、ハルマゲドンという神の裁きの日を生き残ることができる。そして、その後のエホバの証人だらけの地上の楽園で、永遠の命を緩慢に享受できるというのが、ものみの塔の教理設定。
その地上の楽園には、過去何千年にもさかのぼって、従順で忠実だったエホバの証人たちが復活するという設定。だから、人の死に際して悲しみすぎるのは良くないとエホバの証人たちは言う。
ナンセンスの限り。実際に家族を失い、今まさに悲しみに暮れている瞬間の人にもそう言ってしまう。これも宗教勧誘の手段。家族を失った心の弱みに付け込む戦法。「復活して再会できるかも?」という偽の希望にすがらせる。
百歩、いや10万歩ぐらい譲って、人間の復活があり得るとしよう(書いていてバカバカしいのだが)。しかしT氏が復活すると、どうして一般信者であるお前らが言えるのか?
ものみの塔の教理では、人類の生殺与奪権を握るのは神エホバ。生前のT氏がその神に対して、ものみの塔の戒律に反する罪を犯していなかった保証などない。人には裏表がある。
彼女が本当にエホバの証人の教理を守り抜いていたか、それは本人にしか分からない。エホバの証人的復活があったとしても、T氏がそれに該当するかどうか。判断するのは神。
ものみの塔の教理的に、彼女が忠実なエホバの証人でなかった場合は、今回のT氏の死は、今生の別れであった可能性もある。この辺りのお気楽さ、楽観、命の軽視がエホバの証人の特徴。
エホバの証人が復活することなどあり得ない
T姉妹の死から30年以上経ち、未だハルマゲドンは起こらない。よってT氏の蘇りも起こっていない。そもそも、人間の復活などあり得ない。
人は復活などしない。今の生涯が全て。何かを残したければ、今この瞬間を励むしかない。復活への妄信から生み出されるモノは何もない。
T氏の遺骨は残らず燃やされてしまった。その状態から復活することなど有り得ない。どこからどうやって細胞や脳組織が復元される?聖書にも書いてある。最初の女性は、最初の人間アダムの骨から作られたと。
せめて遺骨だけでも残しておけば、DNAから復元が可能だったのかも知れないのに皮肉なものだ。人は死ねば、一切が消滅する。今の一生で、成すべきことを成すしかない。復活などあり得ないのだから。
※以下、2023年追記。
現在の私には、信者のことを「兄弟姉妹」と呼びあうエホバの証人の習慣に抵抗がある。この記事を書いた6年前は、さほど気にしていなかったのだが・・・。解毒が進んだということなのかも知れない。
この記事も書き直し、T姉妹と表現していたところの大部分をT氏に訂正した。性別が分からなくなるので、T女史とするかとも思ったのだが、「女史」は特定の身分への敬称であるため、やめておいた。
そして、死者であること以外に、このT氏を尊敬できる点など、私には一切ない。
とはいえ、私たち家族にとって、T姉妹はいつまでもたってもT姉妹だな、とも思う。先に死んでいってしまったので、当時のまま。我が家を崩壊させる不幸の伝道者となったT姉妹。金輪際、会うこともないが。せめて安らかに、永遠に眠れ。
“カルト被害者の死、葬式なし墓なし遺骨なしのエホバの証人” への3件の返信