エホバの証人の兵役拒否、代替公務に対する認否の変遷

エホバの証人が厳守するのは聖書でなくものみの塔基準

昨日の記事で、エホバの証人はものみの塔という鳥かごの中の人生と書いた。教義やら信者や信者家族のしがらみ、恐怖心に自らの精神までが捕らわれているということ。

『良心の危機』5章では現実に収監されたエホバの証人の話題が出てくる。

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国民に兵役が課せられる国の話。エホバの証人は兵役はもちろん武道など一切を拒否する。理由は聖書のどこかに「彼らはもはや戦争を学ばない」と書いてあるから。

それにしてはキリストの一番弟子ペテロは武装していて、キリストが捕まる直前に斬撃で応戦している。エホバの証人に言わせれば、それとこれは訳が違うということになるんだろうが。

であれば、聖書に書いてあること一部始終を厳守する必要はない。時代が違うんだから。現在の日本でペテロみたいに帯剣してる奴がいないように、血をタベナイーって聖書に書いてあるからって、それをどこまでも拡大解釈して輸血拒否するのもおかしい。

そもそも聖書なんか現代日本人にはどうでも良くて、単なる異文化のベストセラーに過ぎない。これを言うとおしまいなので、エホバの証人は聖書厳守しているつもりで、結局はものみの塔基準を厳守しているというのが今回の主旨。

ものみの塔が聖書をつまみ喰い&脚色した独自教義を厳守しているのがエホバの証人。ペテロの帯剣は無かったことにして、戦いを学ばないだけを徹底フル適用。そして血をタベルナを超拡大適用。

そして、兵役を拒否する代わりの「代替公務」。聖書には兵役の代わりに政府が用意した「代替公務」を避けろなんて書いてある訳がない。

エホバの証人の兵役拒否、「代替公務」の認否の変遷

しかし、「代替公務」もダメなんですーと勝手に決めたのがものみの塔。それを以下時系列で。

  • 第二次世界大戦中、1940年代?
    代替公務に服するものがあれば、これは「妥協した」ことになり
    「血の罪を負う」
    とされ、破門扱いというのがものみの塔の公式見解
  • 1978年-1979年
    「代替公務を行うか否かは良心の問題」という声が各国エホバの証人から上がり、統治体内部でも同意見が過半数を占める。しかし、統治体の必殺三分の二ルールで却下。現状規則維持の結論。つまりは世界中の兵役が課せられる国の信者を見殺し。
    必殺の三分の二ルールについては『良心の危機』、エホバの証人(JW)の茶番の数々その1
  • 1996年
    突然、「代替公務OKよ」となった

1978年に方針が変わっていたら、

十六年間に何千というエホバの証人(主に若い男性)が兵役の代わりに公務を行うことを拒否したばかりに刑務所暮らし

をせずに済んだ。

このようなことは一切不必要だったのだから、これは価値ある年月の大変無駄である。組織の権威によって強制された、聖書的権威のない方針の結果

そして、私に言わせれば古くさい聖書的権威にすら従う必要はない。聖書内のエッセンスとか随所に見られる知恵とか(があれば、もう忘れたが)を人生の多少の参考にすれば良いだけで全幅の信頼を置いちゃダメだって。

そしてその聖書的権威を笠に着て、組織の権威を乱用するものみの塔がいかに腐っているか。こんなもんに一切の信頼を置いちゃダメ。ものみの塔の腐り具合は1996年の代替公務解禁の通達の際に見てとれる。

半世紀以上にわたって強制してきた誤った方針の生んだ結果について反省のかけらも見られない。なぜそれほどの年月、間違った方針が厳しくとられ続けたのかという説明すらない。ただ文が二つか三つ並んで変更が知らされている。まるで上からの勅令といった趣

ちっとは反省しろよ。と言ってもムダか。


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