エホバの証人の偽ボランティア活動で、傷つく子ども

エホバの証人のボランティア活動とは

エホバの証人は、家々を周って新たな信者を勧誘する行為をボランティアと称している。「宗教活動で新たな信者を集めています」と言っても、食い付きが悪いから。

最近のエホバの証人は、駅前などで立て看板と一緒に立っているのだが、かつては文字通り家から家へ、しらみつぶしに回っていた。住宅地図を塗りつぶしながら回る周到さ。

留守の家があれば、時間帯をずらして夕方などに再チャレンジ。これは留守宅訪問などと呼ばれていた。

この布教活動は、野外奉仕活動、伝道奉仕活動などとも呼ばれる。私がエホバの証人をさせられていた、たしか1980年代後半頃、ボランティアと言い出すようになった。

当時は、ボランティアなどという言葉は、日本では定着していなかった。

エホバの証人の世界本部は米国にあるので、日本ではちょっと先進的とも思える言葉を使ってみたり、奇抜とも思える問題を雑誌で取り上げたりしている。

日本のエホバの証人たちは、自分たちが「ちょっと進んでいる」と言い、これを誇りに思ったりもしている。

エイズとか家庭内暴力とか、テロだとか、当時の日本人にとって、興味の無い、対岸の火事のようなことを、わざわざ米国から輸入してくる。

そもそも、エホバの証人という宗教自体が米国から輸入された余計なモノなのだが。

エホバの証人の子どもに傷を残す、カルト勧誘

エホバの証人の自称ボランティア活動には、子どもも連れまわされる。小学校に入る前であれば、幼稚園や保育園に行かせてもらえず、ひたすらこの布教活動に連行される。

小学校に入ったとしても、休みの日はもれなく布教活動に出かけなければならない。

私は、このカルトの布教活動で、近所や同級生の家を周るのが本当に嫌だった。

赤の他人の家へ訪問して、親が話をしている間、私が後ろに隠れているのならまだマシ。

それだけでなく、親と交代で見知らぬ家のブザーを押し、「ボランティア活動で来ました」と、やらなければならないときもある。

これが同級生の家だったりすると最悪。小学生にもなると、こういう活動が恥ずかしくてたまらなかった。親と一緒に出歩いていることや、意味不明な勧誘をしているのを知り合いに見られることが苦痛だった。

布教活動のとき、エホバの証人たちはかしこまった服装をしなければならない。子どもでも同じ。ネクタイを締めて、同級生の家へ押しかけることの不条理さ。

こんな最低最悪の状態にある自分と、同じ目に遭う人を増やすのが、この布教活動。自分のエホバの証人という境遇を恵まれていないと思っているのに、それを同級生の家に押し付けて回る。これって最低な人間のすること。

私は、見知らぬ家の呼び鈴をカルト布教のために押す夢をいまだに見る。この偽ボランティアでできた私の心の傷は、まだ癒えていない。エホバの証人をやめて、既に25年も経っているのに。

エホバの証人の子供に生まれた不幸


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