ものみの塔の宗教本は毒
連日、ツッコミをいれているエホバの証人の『あなたの家族生活を幸福なものにする』という宗教本。
「体罰必要」だって、21世紀の今も声を大にして言ってみろよ、ものみの塔。
昨日の続きを読んだのだが、全然頭に入ってこない。時おり、当たり前なことをさも特別な知識のようにぶっこんでくる。全否定できれば楽なのだけれど。
とはいえ、子どものウソを許さない、テレビを見せすぎない、子どもとの時間をとるなんて、当たり前なことばかり。そんなことはどんな子育て本にも書いてある。
ものみの塔の宗教本は、こういう当たり前なことのなかに危険なカルト思想を紛れ込ませてくる。
輸血拒否とか終末思想とか、家族より教団内信者や神との関係を優先しろ、何もかもを捧げて献身せよ、なんてのも同じ方法でねじ込んでいるのだろう。
水道水に毒を混ぜれは、その水は毒になる。ものみの塔の宗教本はまさに毒。
ものみの塔が推奨する精神的児童虐待
とりあえず、今回は子どもに与える罰について。
10章「愛をもって懲らしめる価値」29節
クリスチャン会衆では、悪行者に恥ずかしいという気持ちを起こさせる一つの方法として、親しい交わりを禁じます。
子供たちの場合も、少しの間家族から仲間はずれにするのは、おしりをたたくよりも効果的なことがあります
ものみの塔の宗教本は、少しの間とはいえ、子どもを家族から仲間はずれにすることを推奨している。ものみの塔は、子どもを家庭内で村八分にするという精神的虐待を教唆している。
子どもだけでなくその前の部分、クリスチャン会衆では・・・の箇所も異常。
クリスチャン会衆というのは、エホバの証人の会衆のこと。
「これは1世紀のクリスチャン会衆のことなんですよー」という白々しい言い逃れが返ってくるかも知れないが、現代のクリスチャンを自称するエホバの証人は初期クリスチャンに倣っている設定。言い逃れは厳しい。
というか、エホバの証人には、悪行者と親しい交わりを禁じる「排斥」というしきたりが存在するのは事実。
悪行者の基準がカルト基準なのもツッコミどころ。カルトが人を裁くなと。
排斥者はエホバの証人の会衆からのけものにされ、口をきくことも禁じられる。排斥者と口をきけば、自分まで排斥になる可能性が高い。
子どもじみた下らない決まりなのだが、信者にとっては精神的に大きなダメージ。ものみの塔は献身を要求するので、信者のエホバの証人たちは組織外に居場所がない。その唯一の居場所から村八分にされるのはキツイ。
さらに真面目にエホバの証人なんてバカバカしいことをやってる人たちは、ものみの塔のマインドコントロール下にある。マインドコントロール信者にとって排斥は死刑宣告に等しい。
ものみの塔は、この村八分教理を家庭内で子どもにも適用しろ、と言っている。激しい精神的な児童虐待に違いない。
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