エホバの証人の子供、まるでロボットかサーカスの動物

ものみの塔の子供を利用した布教方法

エホバの証人の子供たちは、小さな頃からエホバの証人の王国会館という集会所に連行される。それこそ抱っこされているだけの赤ちゃんの頃から。

エホバの証人の王国会館に連行された子供たちは、大人しく座って壇上からされる下らない宗教話を聞かされる。中には注解と呼ばれる、挙手して質疑に対する回答をする子供まで。

エホバの証人の子供たちのお利口さは、非信者の人が見ると驚きを感じざるを得ない。普通ならば数分たりとも大人しく座っていられない年頃の子供だから。

小さな子供を持つ親にとって、エホバの証人は礼儀正しくお利口な子供に育てることが出来る宗教に見えてしまう。ものみの塔は、子供の教育を撒き餌として子育てに不安や悩みを持つ親を新たな信者として獲得している。

非信者の家で行われる家庭聖書研究という場へもエホバの証人の子供が連れて行かれる。この1時間ほどの間、子供たちは正座して静かに大人たちの会話を聞いている。

「こんなにお利口に子供が育つなんて」と信者でない親たちはエホバの証人という宗教に魅力を感じてしまう。ここで、わんぱくで元気、自由奔放な自分の子供と、エホバの証人の子供を比較してしまうとアウト。どんどん劣等感に苛まれることになる。

エホバの証人の子供、表面的にお利口なのは懲らしめという虐待の成果

しかし、実際は懲らしめという恐怖政治によって、エホバの証人の子供たちは何時間でも静かに座っていられるようになっただけ。懲らしめとは体罰のこと。児童虐待。エホバの証人の子供は、少しでも騒ごうものなら体罰が待っている。

その体罰はエホバの証人間では愛のムチと言われ推奨されている。叩く親の手も痛いのだ、それは愛の象徴であるという無茶苦茶な論法が用いられ、子供たちは手の跡が残るほどにお尻を思いっきり叩かれる。

結局、エホバの証人の2世の子供たちは懲らしめが怖くて大人しくお利口にしているに過ぎない。エホバの証人の親たちは、子供をロボットやサーカスの動物に仕上げている。

田舎出身の私の母親は、都会での多忙な子育ての隙を突かれ、この宗教にどっぶりとはまる。きっかけは前述のエホバの証人の王道、子供がこんなにお利口になりますよから。

そして、私を媒介として父までもエホバの証人という病に伝染。理性的な父も、エホバの証人の子供と子供の私を比べて、感情を直接刺激されると、思いがけず心を動かされてしまった。

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