命を粗末にすることで気付いた限りあるゆえ貴重な生

不条理な死を迎えざるを得ないというエホバの証人2世の幻想

私は交通事故で自動車を3台も廃車にしている。それがエホバの証人2世として育てられた過去と何らかの関係があるかと言われれば、特に因果関係は無いのかも知れない。

私は生まれながらのエホバの証人二世信者で、14歳の時に自分の意志でエホバの証人を辞める。しかしものみの塔協会の洗脳は解けず、神エホバの存在とこの世の終末ハルマゲドンの預言は信じ切っていた。

エホバの証人のハルマゲドンと永遠の命という悪い冗談

ハルマゲドンで死ぬのだと、14歳でエホバの証人を辞めてから20歳を過ぎるまで思っていた。どうせいつか不条理に死ぬのだからと、今何かに激突して死んでしまっても構わないとありえないスピードで車を走らせていた

エホバの証人は、輸血拒否の信条で生命を冒涜しているが、形式上は神からの貰い物としている命や身体を大事にするように教えている。その教義とエホバの証人らしさを否定する暴走行為は、反ものみの塔的なものを追い求めていたこの頃の私にとってうってつけだった。

ものみの塔協会は、自身の教義に反しない限りはという条件付きで、一応は上位の権威に服することを信者に要求している。上位の権威とは世俗の権威のこと。あらゆる法律が含まれるため、スピード違反の暴走行為は、この頃の反ものみの塔という私の生き方にマッチしていた。

元エホバの証人二世の夜明けの気付き

一晩中、メーターが振り切れるほどの速度で、片側2車線の国道を走り回っていたことがある。翌朝、ふと考えるとあのスピードで何かに激突すれば死は免れないだろうと思った。

まだ死にたくないと私はそのとき切実に思った。いつか来るハルマゲドンで私はほぼ確実に滅ぼされるのだが、それでもまだ生きていたいと思った命を粗末にすることで、現在の生命が貴重であるとようやく気付いた

これが私が20才になる直前のこと。この時より前に私は2度、交通事故で車を大破させている。その2回とも車の前方部分が完全に潰れるような事故で、私自身が無傷で負傷者が誰もいなかったのは驚きとも言える。

車が全壊して、下手すると死んでいたのだが、それでも私は暴走行為を止めなかった。その根底にはハルマゲドンでの不条理な死がある。どうせ暴君エホバのせいで不条理に死ぬのだから、今死んでも構わないという怖いもの知らずだった。

3度目に車を全損させたのは、夜明けに生きていたいと実感したこの時から10年後。ものみの塔協会の洗脳が解けて、自分の命がハルマゲドンまでの限定的なものではないと知ってからだった。

つづきは3度目の交通事故


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