ものみの塔協会の嘘に気付くが、生の貴重さを忘れる
朝日を浴びながら、せめてハルマゲドンで滅ぼされるまで生きていたいと実感した日から10年後、私は3度目の交通事故を起こす。その10年の間に、エホバの証人の教理は全部デタラメだったと気付く。
これはインターネットのおかげ。「ハルマゲドンは絶対に来ない」と、ものみの塔の嘘に気付いた。20才を過ぎたばかりの頃。
青天の霹靂とも言える神の裁きにより、突然死ぬことはないと、私は確信した。しかし、だからといって何をすれば良いのか、何を始めれば良いのか全く解らなかった。
そして、つかの間生きていたいと、朝日を浴びながら実感した感覚を忘れる。急に、命が寿命までの無期限に延長されたため。
元エホバの証人2世が迷う人生の方程式
ハルマゲドンでの突然死がないと知った私は、その後の日々を惰性で過ごす。反ものみの塔的生き方を継続し、自堕落そのもの。
明日にでも天から降る業火で死ぬと怯え、極限まで濃縮された日々を過ごしていたのが、寿命までの命の延長。残りの人生は長い。生き方を決めなければならなかった。
それまでは、エホバの証人の子どもだったゆえに禁じられていたことをやりまくって、満足してハルマゲドンで死ねば、それで良かった。しかし、急に長い人生のプランニングを余儀なくされることに。
どうしていいのかサッパリだったが、とりあえず、ものみの塔に騙され一家離散したことに激しく怒りを覚える。ものみの塔のインチキ教理のおかげで禁止事項の多い、辛く汚れた屈辱的な子ども時代を送ったことにムカつきを覚える。
しかし、一旦それは脇に寄せて、ものみの塔にまつわる記憶を封印する。それは人生の恥部そのモノだったから。そして、反ものみの塔的生き方で後の人生を送ることにする。
反ものみの塔=真面目でクソださいエホバの証人らしくない生き方=無頼
この方程式で人生を歩むことにする。適当に就職していた正規雇用の職も自ら辞し、私は無頼漢として生きていくことを決めた。
この時、このような安易な選択ではなく
反ものみの塔=エホバの証人らしくない生き方=ものごとの本質的価値を見極める生き方
としていれば、いろいろ考えながら20代を歩むことが出来た。しかし、行動あるのみ、後でちょっと反省するだけという性格の私は、無頼な生き方を突き進む。結果、飲酒運転で3度目の交通事故を起こすことに。
元エホバの証人2世が起こす3度目の事故
私が起こした3回目の事故は凄まじかった。結構なスピードが出ていた状態から縁石を飛び越えて民家の外壁をえぐり、それから40mほど車が進んだ所でやっと停まった。車を引き上げに来てくれたJAFの人が
「こんなひどい事故、久しぶりに見ました」と、無傷の私を見て
「鉄人ですか?」と驚いていた。
私はこの時、飲酒運転で無謀とも言えるスピードを出していた。こんなことを続けていたら、「本当にオレは死んでしまうな」と思う。
そして、「自分が死ぬだけならまだしも、そこら辺を歩いているまるで無関係な人の命まで奪いかねない」と、事故を起こしてようやく気付いた。
その無関係な人々の命を、私は心のどこかでハルマゲドンで奪われると信じて疑わなかった命と同じくらいに、軽視していた。
幸い、ケガ人もおらず物的被害だけ。この事故をきっかけに、私はちょっとだけ反省し、生き方を顧みることになった。
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