宣べ伝えることを止めざるを得なかったエホバの証人が示す真実

街頭で見かけなくなったエホバの証人

最近、駅前でエホバの証人が看板と一緒に立っているのを見かけなくなった。これはコロナウイルスの影響かと。コロナ前は夕方などに駅前に立っているのをよく見かけたので。

また、自宅にも訪問して来なくなった。今の住居に引っ越して3年は過ぎたのだが、一度もやってこない。保険とか某乳製品宅配の方がよくやって来る。

エホバの証人がその組織化や影響力の証しとしているのが、勧誘のための伝道活動である。私も子供の頃は、炎天下でも雪の日でも家から家へと呼び鈴を鳴らさせられた。この夢を未だに見る。街頭に出版物を持たされて立たされるという公開処刑の目にも何度もあった。地獄の日々だった。

このエホバの証人特有の伝道活動が、現在では滞っている

聖書の言葉を字義通りに実行するエホバの証人

エホバの証人は聖書の言葉を文字通りに実行する頭の固い組織だ。

彼らはもはや戦いを学ばない

という聖句が聖書にあるだけで、全世界のエホバの証人信者は兵役を拒否する。それだけでなく、信者を親に持つ子どもたちは、柔道から剣道、相撲、果ては騎馬戦まで参加することが出来ない。この時間になると正座して見学という辱めを受けることになる。

エホバの証人は徹底的に聖書の内容を字義通りに守る。まさにパリサイ人。このエホバの証人が、仕事や教育、親戚づきあいなど、何もかもを投げ捨て伝道活動に勤しんできたのは聖書にそう予言されているからだ。

・・・宣べ伝える・・・

という箇所が、エホバの証人の使っている聖書には山ほど出てくる。これに忠実に、まさにパリサイ人のように従い、エホバの証人は家から家へと呼び鈴を鳴らしまくり、街頭に立っているのである。

エホバが真理を語らない理由

この伝道活動が滞っているということは、エホバの証人が真理を保有する組織でないということ。今まで伝道活動に費やしてきた信者の時間は、人生の浪費、無意味だったということだ。

現役のエホバの証人信者は早々に目を覚まし、信者でない家族に詫びを入れるべき。許してもらえるはずもないだろうが、仕方ない。自らまいた種である。詫びて詫びて、それでも許して貰えず絶望せよ。そこからやっと真実の人生が始まる。

ものみの塔協会が語ることは真理ではないので、復活とか永遠の命とかパラダイスとかはありえない。エホバの証人の頭の中がパラダイスなのだ。幻想を見るのを止め、残酷な現実を生きるべき。人生は死ぬまでの一度きりなのだ。自分の人生を取り戻そう。

このまま放っておくとどうなるのかエホバの証人家族の行く末はこちら


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