街頭で見かけなくなったエホバの証人
最近(2021年5月)、駅前でエホバの証人が立て看板と一緒に立っているのを見かけなくなった。これはコロナウイルスの影響。コロナ前は夕方などに駅前に立っているのをよく見かけたのだが。
また、自宅にも訪問して来なくなった。今の住居に引っ越して3年は経ったのだが、一度もやってこない。保険とか某乳酸菌飲料の勧誘のほうがよくやってくる。
エホバの証人が組織そのものの正当性としているのが、勧誘のための布教活動。世界中で宣べ伝えていることが、聖女予言の成就と教団の正当性のひとつとされている。
私も子どもの頃は、炎天下でも雪の日でも家から家へと周り、呼び鈴を鳴らさせられた。いまだにこの夢をに見る。街頭で教団出版物を持たされて立たされるという公開処刑にも何度もあった。地獄の日々だった。
このエホバの証人特有の布教活動が、現在では滞っている。
コロナでエホバの証人の布教勧誘活動が止まっていることが示すこと
聖書の言葉を字義通りに実行するエホバの証人
エホバの証人は、聖書の言葉を文字通りに実行する頭の固い組織。
彼らはもはや戦いを学ばない
という聖句が聖書にあるだけで、全世界のエホバの証人信者は兵役を拒否する。それだけでなく、信者を親に持つ子どもたちは、柔道から剣道、相撲、果ては騎馬戦まで参加することができない。この時間になると正座して見学という辱めを受けた。
※騎馬戦にまで適用するかは親次第、地域次第。
エホバの証人は徹底的に聖書の内容を字義通りに守る。まさにパリサイ人。このエホバの証人が、仕事や教育、親戚づきあいなど、何もかもを投げ捨て布教活動に勤しんできたのは聖書にそう予言されているから。
・・・宣べ伝える・・・
という箇所が、エホバの証人の使っている聖書には山ほど出てくる。これに忠実に、まさにパリサイ人のように従い、エホバの証人は家から家へと呼び鈴を鳴らしまくり、街頭に立っている。
エホバが真理を語らない理由
この布教活動が滞っているということは、エホバの証人が真理を伝える組織でないことの証明。聖書の予言と相違し、たかがウイルスで布教活動に支障が出ている。
残念ながら、今まで伝道活動に費やしてきた信者の時間は、人生の浪費、無意味だったということになる。
現役エホバの証人は早々に目を覚まし、信者でない家族に詫びを入れるべき。許してもらえるはずもないだろうが、仕方ない。自らまいた種。詫びて詫びて、それでも許して貰えず絶望せよ。そこからやっとホンモノの人生が始まる。
ものみの塔が語ることは真理ではないので、復活とか永遠の命とかパラダイスとかはありえない。
エホバの証人の頭の中こそがパラダイス。幻想を見るのを止め、過酷な現実を生きるべき。ホンモノの幸福もその先にしかない。人生は死ぬまでの一度きり。自分の人生を取り戻せ。
エホバの証人家族の行く末はこちら
2 Replies to “宣べ伝えることを中止せざるを得なかった、エホバの証人が示す真理”