宗教擁護のために「常識」すら捨てるとは・・・
「日本のエホバの証人公式ウェブサイト」の専門家の意見書。「宗教虐待Q&Aに関する専門家の意見書」というページに、長崎大学教育学部の池谷という准教授の意見書が掲載されている。
宗教虐待Q&Aの
ガイドラインは常識に反し
常識????輸血拒否と体罰の宗教エホバの証人に肩入れしちゃう人の「常識」ってなんですか?
そして、エホバの証人も顔負けのへ理屈の連打。
通常3食なのに親の都合で2食にしたらネグレクトなのか、片親で仕事に出なければならず、午前中だけ15歳の娘に7歳の娘の世話を頼んだらネグレクトなのか
児童虐待かどうかというのは日常の事象に当てはめれば、非常に曖昧な点が多い
多くないって。曖昧じゃねぇよ。アホな宗教の擁護のために、苦しむ子どもを見殺しにしようとするな。
親の都合がカルトという有害なモノならネグレクト、子どもの養育のために必要な仕事の都合ならネグレクトではない。この場合、宗教とカルトの線引きは簡単。子どもの養育を疎かにさせる宗教か否か?
このくらいの判断は人間として最低限の「美意識」や「常識」で判断できるのだが、それも「常識」を擁さない人にはムリな話なのか。
エホバの証人も真っ青なへ理屈の連打
子どもが宗教を拒否する権利を、何でも子どもの自由意志に任せることだと拡大解釈し、
今後、一般の親に対しても、「子供の意思に反する判断はしてはならない。」という判断を国がするようになるかもしれない。そうなれば例えば、3歳の子供が 「ご飯は食べたくない。お菓子しか食べたくな。」と言ったら、子供の身体に悪いと思いながらも、親がお菓子しか与えることが出来ないのか
おバカなへ理屈。ほとんどエホバの証人。
マトモな「常識」という最低限の「美意識」があれば、必要な栄養素と輸血拒否の宗教を同列に並べたりはしない。この池谷氏、何とも残念な人だ。
児童を叩くことは親の側に正当な理由があったとしても、身体的虐待であるとする。しかし、言葉が通じない2歳の幼児が、車道に飛び出す等、危ない行為をした場合、「それは、やってはいけない行為だよ!」と分からせる為に、腕を軽く引いたり、はっきりとした声で叱るかもしれない。そのような行為まで身体的虐待や心理的虐待とされてしまっては、親は一切しつけなど出来ないのである
ほんとに何言ってんの?ついには、へ理屈さえ成立しなくなっている。
「そのような行為まで虐待とされる」って、「そのような行為」ってのは、「腕を軽く引いたり、はっきりとした声で叱る」と池谷氏ご自身で書いている。宗教虐待Q&Aが身体的虐待と定義しているのは「叩くこと」。直前で自分でそう書いているね。
「腕を引く」「声で叱る」のいったいどこが「児童を叩くこと」なのか?叩いていないモノが虐待になるわけがない。
“エホバの証人も真っ青のへ理屈の連打。そして、へ理屈さえ不成立” への1件の返信