宗教活動参加を強制されるエホバの証人の子ども
「日本のエホバの証人公式ウェブサイト」の専門家の意見書。「宗教虐待Q&Aに関する専門家の意見書」というページに、長崎大学教育学部の池谷という准教授の意見書が掲載。
昨日に続き、お前はエホバの証人か!?っていうくらいのへ理屈の連打。
宗教虐待Q&Aの
問2-3において、「礼拝、教義に関する講義などの宗教活動等へ参加させ長時間にわたり五体投地等の特定の特定の動きや姿勢を強要する等…は、身体的虐待に該当する。」とある。しかし、上述したように、親には信教の自由があり、その一環として、子供に対する宗教教育を行う権利があるとすれば、公共の福祉に反しない限り (他の人々に迷惑を掛けない限り)、虐待と認定するのはおかしな話である
頭大丈夫か?子どもに五体投地を強要しても児童虐待ではないそうで。
さらに、問2-3は、親が 「宗教活動に参加することを子どもに強制すること」は児童虐待であると述べている。もしある母親が小学生の娘を日曜礼拝 (例えば午後 1 時から行われる)に連れて行こうとし、子供が行きたくないと言った場合,母親が (体罰や怒鳴るなどの不適切な行為をせずに)子供に行かせたいと要求するだけで児童虐待になるということを意味するようにさえ理解できる
そうは理解できないだろ。それは強制でなく要求。
銀行の窓口で「同情するなら金をくれ」って言うのは要求だけど、ピストル突き付けて「金を出さないと撃つぞ」と言えば、脅迫による強制。
バカな宗教親が「集会に行こうよ」と行って、子どもに拒否権があるのなら強制ではない。親が集会に行けば、子どもだけを家に取り残すことになるのなら、親は子どもの意志を優先し家に残る。それなら強制ではない。
しかし、エホバの証人の子どもにはこんな恵まれた状況はない。子どもが拒否すれば、宗教親は発狂し怒り狂う。何としてでも子どもを集会に連行する。
さらに、エホバの証人の場合は親自身がハルマゲドンで滅ぼされるという脅迫を受けている。そして、それがそのまま子どもに連鎖。ハルマゲドンという脅迫による強制。そして、エホバの証人の子どもは普通に体罰で宗教活動を強制されている。
エホバの証人擁護者の詭弁は続く
同じような考え方を 「宗教活動以外」にまで広げてみると、その行事が教会の礼拝ではなく、音楽やスポーツの練習であれば,母親が子供にそのように要求することを世間では児童虐待とはとらえないであろう
そら、そうだろ。音楽やスポーツの場合、「ハルマゲドンで滅ぼされる」なんて脅迫のしようがないんだから。
こう言うと、この准教授もエホバの証人も「練習しないと将来苦しむ」とか「家から追い出す」と、脅迫していたら強制なのでは?と言い出しそう。
これまた特殊な事例を持ち出して話を逸らす詭弁。
そして、そもそもこの話がエホバの証人の良くやる詭弁。「他にも悪事があるのだから、自分たちを見逃して」という奴。他の悪事は関係ない。今はお前の悪事の話をしているんだよ。話を逸らして逃げようとか、問題をごまかそうとするな。
だけど、音楽親やスポーツ親が子どもを脅迫して練習させているとしたら、児童虐待だよ。
しかし、それは個別の家庭の個々人の親の問題であり、国が取り組むにしては小さすぎる問題。残念ながら、これこそ一律に取り締まることができない。
だから、一律に取り締まることができ、問題が広範囲に及んでいるエホバの証人にメスが入っているというわけ。
塾に関しても、子供が行きたくないというのに塾に連れて行く行為は、児童虐待だと行政は認識しているのだとすれば、今後、大きな問題となってくることだろう
ならないよ。子どもが行きたくないっていうなら、行かせないだろ。というか子どもが行かなくなるだろ。エホバの証人の子どもは宗教親に連行されて、おバカな宗教活動に従事させられるんだよ。
One Reply to “エホバの証人擁護者の詭弁とへ理屈はまだまだ続く。”