母親によるジャッジメント

エホバの証人の子供がゲームを禁止される理由

私はほぼ生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。14歳のときに自分の意思でエホバの証人をやめたのだが、それまではゲーム機などを与えられることも無かった。友達の家でゲームをするというのもほぼ禁止されていた。ゲームというとだいたいが攻撃的な要素を含んでいるからである。ものみの塔協会は聖書にある

“彼らはもはや戦いを学ばない”

という記述をきっちりそのままに信者のエホバの証人に守らせている。エホバの証人は学校での格闘技の授業は禁止され、徴兵も拒否するのである。

テレビゲームの場合ほとんどが敵を倒すという目的を持つものになる。もろに格闘ゲームの場合はエホバの証人的に完全にNGである。ロールプレイングゲームでもほとんどが敵が出てくるので私の家では禁止だった。この辺はものみの塔協会の教義をどれだけ厳格に適用するか家庭によって分かれるところだった。

戦国シュミレーションだったりするとOKの家庭もあるのだが、厳しかった私の家庭ではそもそもが戦(いくさ)を題材としているのでNGだった。歴史という視点で見てくれれば良いものなのだが、そうはいかなかったのである。パズルゲームでもステージの合間に敵を倒すようなあくまでも”おまけ”的なシーンがあっても駄目だと言われる始末である。





母親という裁判官

親戚の家でいとこに誘われゲームをしていても母親の監視の目が光っている。そういった攻撃的な要素が含まれたゲームの場合は自らやめると言わなければ、最悪の場合は帰宅後にこらしめという体罰が待っているのである。

ちょっとしたテレビアニメなどを私が見たいと言い出した場合は、最初は母親と一緒に試しに視聴ということになる。ジャッジメントのときである。判決を下すのは神により是認を受けた母親の独断と偏見である。

ちょっとでも攻撃的な要素があればNG、心霊的な描写のあるアニメでも禁止だった。オバケのQ太郎レベルでも却下されるのである。オバケというワードが題名に入っているからだ。エホバの証人お得意の字義的解釈である。”この世”のものは何でも禁止しておけば間違いないと思っているのである。

深く考えなくて済むのでエホバの証人的思考は楽なのである。こうしてエホバの証人は物事の本質を見極める力を失い、ものみの塔協会の言いなりになる深いマインドコントロール状態に陥っていくのである。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。