エホバの証人2世が剣道事件で失った貴重でかけがえのないモノ

エホバの証人の神戸高専剣道実技拒否事件とは

エホバの証人には武道禁止の戒律がある。これは聖書内の

彼らはもはや戦いを学ばない

という聖句をそのままに受け取っているため。武道の授業すら一切受けないという解釈に至っている。それ以外にも、エホバの証人は兵役を拒否するし、攻撃的な漫画・ゲーム・テレビ番組・映画を避ける。

この教理を原因として起こった事件が、エホバの証人の神戸高専剣道実技拒否事件。1990年度にエホバの証人2世の学生が5人、神戸高専へ入学した。その5人が剣道実技の授業への参加を拒否、5人揃って体育の単位が得られず留年。

5人のうち、3人は翌年は諦めて剣道の授業を受講し進級。あとの2人はまたも剣道授業の実技拒否。結果、退学。その内1名は、退学処分を不服として訴訟。最高裁まで争い勝訴し復学する。

マインドコントロールエホバの証人の決断力の乏しさ

3人の16才の少年は、2年目に心折れて剣道授業を受講している。それならば、初めから留年が見えてきたときに受講すれば良かったものを。

これがエホバの証人2世の融通の効かなさ。即座に自分で決断することができない。エホバの証人組織内の多数決に流される。5人中3人が信仰を妥協したというのがそれを示している。2年目は多数決に流され、信仰を捨てた。

決断力の乏しさは、エホバの証人の若者に限ったことではない。大人のエホバの証人でも同様。

教団内での多数派、権威者の言いなり。長いものに巻かれる。自分の頭で考えることを放棄し、安易な方向へ流されていく。この生き方が楽なので、エホバの証人はマインドコントロールの思考放棄状態から簡単には脱却出来ない。

ここからは完全に私の推測なのだが、5人の内、最初の1人は片親がエホバの証人ではなく、その片親が留年に激怒、翌年は剣道実技の授業を受講することになった。そして1人、また1人と流されるように信条を捨てていったのではないか。

剣道事件でエホバの証人2世が失くしたモノの大きさ

ただ、信念を曲げて進級した3人には絶望的な悲劇が待っている。高専は5年制の学校。後の学生生活の4年間は、「変なカルトに関わって留年した奴」というレッテルを貼られて過ごすことになる。留年しているので、一つ年下の同級生からそういう目で見られる。

レッテルというか、カルトに関わっていたのは間違いのない事実。しかし本人たち、エホバの証人2世にしてみれば、物心つくかつかないかの頃から毒親に強制され続けている不可抗力。

10代半ばでは、自身の生活基盤の構築すら難しい。自分の本来の意思を通すのは困難。カルトをやめたいという自分の本音に気付けない人も多い。

しかし、そんな辛い現実を周囲の人間は気にも留めない。10代半ばの多感な時期に、年下のクラスメイトから奇異の視線を浴びるのは辛い。

そして、自らの信仰を一旦は堅持したにも関わらず、翌年はそれを放棄したという中途半端さによる自己嫌悪、洗脳状態にあれば神に対する罪悪感がつきまとう。

さらに、教団内の信者からは、信条を守りきれず教理を破った罪人として見なされる。死者に鞭打つかのように。

10代中盤の若者にとって何より辛いのは、馬鹿馬鹿しいカルトをやめたのにも関わらず、クラス内で白い目で見られること。もうエホバの証人ではないのに変人扱いをされる。

16~17才の若者にとってこれは耐え難い。絶対に取り戻せない、人生の最も貴重で美しい時間と空間を損ねてしまった。

神戸高専剣道実技拒否に見るエホバの証人の戦い好きな性質


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