エホバの証人2世が失う貴重でかけがえのないモノ

洗脳人間の行動指針

神戸高専剣道実技拒否事件では剣道実技の受講を拒否したエホバの証人2世の学生が5人いた。1990年度の学年でのことである。5人揃って留年したのだが、そのうちの3人が翌年は諦めて剣道の授業を受講し進級している。初めから留年しそうになったのなら前年の最後の最後で受講すれば良かったものをと今の私は思う。

これがエホバの証人2世の融通の効かなさである。即座に自分で大きな決断をすることが出来ないのだ。エホバの証人組織内の人間の多数決に流されるのである。これはエホバの証人の若者に限ったことではない。大人のエホバの証人でも同様である。組織内での多数決、又は権威者の言いなりなのだ。長いものに巻かれる。自分の頭で考えることを放棄し安易な方向へ流されていく者の行動指針である。この生き方が楽なので簡単には脱却出来ないのだ。

ここから先は完全に私の推測なのだが最初の1人は片親がエホバの証人ではないとかで、その片親が留年に激怒、翌年は剣道実技の授業を受講することになったのではないだろうか。そして1人、また1人と流されるように信条を捨てていったのである。





エホバの証人2世だったために失くしたものの大きさ

ただ信念を曲げて進級した3人には絶望的な悲劇が待っている。後の学生生活の4年間を変なカルトに関わって留年した奴というレッテルを貼られて過ごすことになるのだ。留年しているので一つ年下の下級生からそういった目で見られるのである。

レッテルというかカルトに関わっていたのはまかり間違いのない事実である。しかし本人たちエホバの証人2世にしてみれば物心つくかつかないかの頃から強制され続けている不可抗力なのである。10代半ばで自身の生活基盤の構築すら難しい状態で自分の本来の意思を通すのは難しい。カルトをやめたいという自分の意思に気付くことすら出来ない者がほとんどだ。

しかしそんな辛い現実を周囲の人間は目に留めないものである。16歳から17歳の多感な時期にクラス中の年下の人間から奇異の視線を浴びるという環境は何よりも辛い。そして自らの信仰を一旦は堅持したにも関わらず翌年はそれを放棄したという記憶と、人によってはものみの塔協会に対する罪悪感と自己嫌悪がつきまとう。そしてエホバの証人組織の人間からは信条を守りきれず教義を破った罪人として見られるのである。

しかし10代中盤の若者にとって何より辛いのは馬鹿馬鹿しいカルト組織から離れたにも関わらずクラス内で白い目で見られることである。もうエホバの証人ではないのに変人扱いをされるのである。17歳の若者にとってこれは耐え難いことだ。もう絶対に取り戻せない人生の最も貴重で美しい時間と空間を失ってしまったのである。


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