エホバの証人、崩壊が約束された盲信ありき偽りの家族関係

14才、エホバの証人をやめたあと

私はエホバの証人の神権家族で育った。

エホバの証人というのは自称キリスト教系の新興宗教。日本では、ものみの塔聖書冊子協会という名称でも知られている。

神権家族というのは、エホバの証人用語で、両親ともにエホバの証人という家庭のこと。当然のように子どももエホバの証人であることを強制される。いわゆる2世信者。

私は14才のときにエホバの証人をやめた。自分の意思で、両親と決別する道を選択。この時点で、私はバプテスマというエホバの証人版の洗礼を受けていなかった。バプテスマは献身とも呼ばれる。「身も心も、何もかもをものみの塔に捧げます」と誓うこと。

もしも、エホバの証人をやめる前にものみの塔に献身していたら、私は教団の戒律に従い排斥処分になっていた。排斥というのは、ものみの塔的重罪者を破門し、信者の間で村八分にすること。たとえ家族でも、排斥者とは最低限の接触しか許されない。

私が17才から18才頃の話。私は、未成年にして喫煙や飲酒も始めていたし、当時、交際していた彼女とも体の関係があった。これらは、ものみの塔的には重罪。献身済の信者は徹底的に裁かれるのだが、私のような非献身者は排斥にはならない。

私は排斥上等だったのだが、私の望む望まないに関わらず、排斥処分を受けることはなかった。この頃の私は、二度とエホバの証人に戻るつもりはなかった。当然、今でも同じ。だから排斥になろうと何だろうと、私にとっては大きな問題ではなかった。

エホバの証人の家族への限定的愛情

両親を裏切ることに心を痛めるエホバの証人2世

エホバの証人、偽りの家族関係

18才のとき、暴力団の組長の車と事故を起こしたことがあった。私の無謀と不注意、そして、偶然で起きた不運。このとき、自分一人でとても解決できたとは思えない。いまだエホバの証人だった父が、組事務所まで一緒に謝りにきてくれて、解決に至る。

私は、エホバの証人のことだけを優先して育てられた。そのため、世の中を渡っていく感覚というものが全く養われていなかった。中学校を卒業してすぐに家を出ていたら、一般人としても道を踏み外していただろう。

それこそ、ものみの塔の思う壷。「悪魔サタンの道を歩むとああなるのだ」と言われる。

排斥にならないように、最後まで私にバプテスマを受けさせず、親子の関係を守り抜いてくれたのは、両親の愛だったんじゃないかと今は思う。排斥になって家を飛び出していれば、真っ当な道を歩めたとは思えないし、最悪どこかで野垂れ死にしていても不思議ではない。

話のネタのために、冗談でも「バプテスマを受けておけば良かった」などと言ってはいけない。それほどに、バプテスマというカルトの儀式は危険。

しかし、私の両親に限っては、私が排斥処分になったとしても変わらない親子関係を維持してくれた気もする。これは今となっては確かめようがない。その場合は、両親のマインドコントロールが同時に解けて、現在でも良好な家族関係にあった可能性もある。

これは高望みし過ぎの夢物語だろうか。やはり、最初に誰かがエホバの証人に堕ちた段階で、家族の崩壊は避けられなかった。

家族を維持するためには、エホバの証人に全員が留まるしかない。しかし、それだけは絶対にやってはいけない。偽りのカルト組織の繁栄に力を貸し、自分の一度しかない生涯を無駄にする。こんな馬鹿げたことはない。

ものみの塔への妄信ゆえに維持できている家族、そんなものに何の価値もない。吹けば飛ぶような偽りの家族関係。


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