カミングアウト出来ない、エホバの証人2世という出自

エホバの証人の王国会館での事故

小学生の頃、流行った遊びがあった。息を止めて顔面に力を入れるというもの。危険なので絶対に真似をしないで欲しい。私は小学生の頃、これを繰り返しやっていた。顔が尋常でなく紅潮するので、それで周囲を驚かせるという遊び。

子供の頃の私はエホバの証人の集会へ連行されていた。週3回。エホバの証人の集会は王国会館という建物で行われる。

私は集会が終わっても、なかなか帰宅することが出来なかった。”交わり”と称して、両親は他の信者と長く話をする。帰るのは最後の方に近かった。

その間、顔面を紅潮させる遊びをしていたことがあった。顔を赤くして、他の子供を驚かして遊んでいた。

ある時、鏡の前で自分の真っ赤になった顔を見て、その後の記憶がしばらく無くなった。どうやら脳が貧血状態になって倒れたようだ。私は地面に倒れていて、王国会館の壁には大きな穴があいている。

倒れた私がぶつかって壁が壊れてしまった。建て替えたばかりの新築の王国会館の壁に大きな穴を開けてしまったのだった。

エホバの証人の王国会館とは?

この時に思ったのは、何と恥ずかしいことをしてしまったのだろうということ。変な遊びをしていて壁に大きな穴を開けてしまった。もうすぐ中学生という年齢でそんなことをしでかしてしまうとは、何と恥ずかしいことか。

しかし、しばらくするとまあ問題はないかという結論に至る。どうせこの王国会館に来ている連中との付き合いもあと何年かの間。私はいつかはエホバの証人をやめたいと願っている。

それだけの付き合いの人間に対して恥をかいたって別に良い。そもそも、いつか全くの赤の他人になる人間たちなのだ。

本音で語れないというエホバの証人2世の苦悩

周囲の人々の誰もが通り過ぎていくだけ、という私に染み付いた考え方。これでは深い人間関係を築くことは出来なかった。

エホバの証人をやめた後、誰かに本音を打ち明けることも、私の過去について話すことも出来なかった。ただ進学し、就職し、転職しという時間を浪費するだけ。

酔っ払って赤裸々に語っているようなときでも、何処かで覚めて自分を見ている。今付き合っている相手が永遠に一緒にいる人間ではない、という意識が常にある。何もかもを腹を割って話すことが出来ない。

エホバの証人2世だった私は、人間関係を軽視しがちなまま大人になっていった。

しかし、そんな私に何人かの貴重な友人が運良くできたのは僥倖と言うしかない。ただその友人たちに対しても、どうしても打ち明けることが出来なかったことがある。それは、エホバの証人2世だったという黒歴史。

かつてエホバの証人だった、という私のトップシークレット。この秘密を自ら打ち明ける気になったのは、現在の妻だけだった。結婚生活を始める前に話しておかなければならないと思ったのと、妻なら大丈夫だと思ったため。

大丈夫というのは、「かつてエホバの証人だった」という秘密を打ち明けても「捨てられないと思った」ということ。現在の友人たちに「秘密を話すと捨てられる」と、思っているわけではないのだが、20年来の友人たちに今さら話す気にもなれず。

家族と友人は違うのだろうか。何が何でも隠し通さないといけない秘密では無いのだが、かつてカルトの子供だったなんて自慢できることではないので、吹聴して回る必要もないかと、今では思っている。


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