楽園で永遠に生きるという屈辱的な生活

王国会館に通っている間は生きていないも同じ

王国会館という、あのパステルカラーの建物の中に捕われている間は死んでいるも同じ、ならばそこから脱出して野垂れ死んだ方がまだ良い。結局、エホバの証人を辞めても何とか生きていけるものである。

身に付いた節約思考や辛抱強さ、人の顔色を伺う癖、人あたりの良さなど、そういったエホバの証人の特性は当面の生活にとりあえず役に立つだろう。その特性を完全に維持する必要もないし、全部を強引に捨て去ろうとする必要もない。今まで培ってきたものとして、自分の中に置いておいて、本来の自分の望むものを探しつつ取捨選択していけば良いのだ。





楽園という人間牧場

未だに王国会館に通わなければならない人には気付いて欲しい。まずはエホバの証人の行くとされる楽園は本当に良いところなのだろうか。無菌室のような場所で永遠に生きていくのはそんなにも魅力的だろうか。

そこには何の楽しさもない。快楽は全く無いのである。人間の生が輝くのは、それが短いからである。永遠の命というのは、もはや煩わしいだけではないだろうか。持て余すに違いない。

こうエホバの証人に話すと、それは現在の我々が不完全だからで、楽園の生活の中で徐々に完全な人間になる。完全な人間になれば、そんな心配は不要だと言われる。しかし、そもそも完全な人間とは何だろうか。それは既に人間ではない。個性が有り、欠点があるのが人間なのだ。完全な人間だらけの世界、それは完全に家畜化されたエホバの証人だらけの社会ということである。ぞっとするような人間牧場である


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