エホバの証人は、「エホバの証人」のwikipediaを編集してはいけない

仮想エホバの証人の暴走

エホバの証人のwikipedia

wikipediaの「エホバの証人」のページに、エホバの証人に都合の良いように編集されている項目があり、修正した。エホバの証人のwikipedia

すると、おそらくエホバの証人だと思うのだが、wikipediaの会話機能で警告が送付されてきて、私の修正が差し戻される。

こちらも元に戻して、とイタチごっこに発展。しかし、先方の仮想カルト信者は、勢い余って一般書籍からの適切な引用部分もガンガン消し始めた。一方的見解・非中立的記載であるという理由で。

エホバの証人の操作するwikipedia

エホバの証人にとっては背教本なので、信者にとっては一方的だと感じられるのだろうが、外部の我々から見ると至って普通の本。一般書籍にエホバの証人に対する批判的記述があったという事実まで歪めようとする。マインドコントロール下のカルト信者にも困ったものだ。

先方の仮想エホバの証人は、けっこう執念深くて、私が修正するとすぐに訂正を入れる。ふとwikipediaを見に行くと元に戻されているという状態。

双方向で(こちらからメッセージを送るなどして)やりとりすべきなのかとも思い始めているのだが・・・。だいぶマインドコントロールが深そうなのでどうしたものか?

私としては、

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エホバの証人が操作するwikipedia、論理飛躍からの退場

エホバの証人が操作するwikipedia

エホバの証人的な論理飛躍がwikipediaに

エホバの証人のwikipediaに「マインドコントロールしていない」とか、「現在は性的児童虐待があった場合は当局に協力している」とか一方的な記述があったので削除した。

詳しくはエホバの証人が書き換えているwikipedia

すると、とある人物からメッセージで警告みたいなモノが送られてきて、私が削除した部分を復元された。

私がその部分を再度削除すると、さらに記述の復元+追記がされる。繰り返しの警告で「非中立的、一方的な意見の記載を避けろ」と送付されてくる。

当然また削除したのだが、追記された記述が面白かったのでここに掲載しておく。「エホバの証人のマインドコントロール問題」の項目で以下の追加がされた。

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勘違いエホバの証人から謎の警告、「三位一体」のwikipedia

エホバの証人と三位一体

エホバの証人から受けた警告

エホバの証人のwikipediaのページで、児童への性的虐待やマインドコントロールの記述を正しく訂正していたら、警告を受けた。

警告の内容は

「あなたは自分の信念あるいは立場に基づいて偏見的見方を広めようとしています・・・非中立的、一方的な意見の記載を避けてください」とのこと。

wikipediaを、都合よく書き換えることに必死なエホバの証人からの警告

警告と言われると何だが恐いのだが、私の信念に基づいて、再度wikipediaの記事を正しい状態に戻しておいた。

というか、「警告」とか偉そうに言ってくるの、どれだけ盛大な勘違い野郎なんだよ。いいかげんに「目ざめよ!」と言ってやりたい。

訂正した内容はこの記事⇒エホバの証人が書き換えているwikipedia

マインドコントロールの記述で、「ものみの塔協会はマインドコントロールしていないという意見がある」という個人的意見を、消しても消しても追記してくるので、今回も消しておく。

エホバの証人と「三位一体」のwikipedia

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エホバの証人が、wikipediaをものみの塔に都合良く書き換えている

エホバの証人によるwikipedia書き換え

エホバの証人によるウィキペディアの書き換え

エホバの証人のwikipedia。昨日の記事で、バビロン捕囚について調べたのをきっかけに、他にも調べてみる。

wikipediaは、エホバの証人によって、ものみの塔に都合の良いように変更されている箇所がありそうだ、と睨んだため。

wikipediaは誰でも変更できるので、エホバの証人によって書き換えられた部分を正しく直して周る。

まず、「エホバの証人」のページ。
エホバの証人のwikipedia

とりあえず最初の方で、エホバの証人は「ボランティア団体」となっていたので、「宗教法人」に訂正。本当は「カルト教団」にしたいところなのだが・・・。

wikipedia「エホバの証人」の項目は、至るところでものみの塔に都合良く変更されている。

エホバの証人の性的児童虐待

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エホバの証人の1914年の教理が間違っている理由

バビロン捕囚607年の嘘

ものみの塔が主張する、バビロン捕囚607年がそもそもの間違い

エホバの証人の教理では、1914年にこの世の「終わりの時」が始まったとされている。1914年にキリストが天で即位し、悪魔サタン一派が地上に追放された。そして、間もなくハルマゲドンというこの世の事物の体制の終わりが到来する、とされている。

ものみの塔の教理では、元々1914年にハルマゲドンが起こることになっていたのだが、当然そんなことは起こらなかった。そこで、ものみの塔は予言解釈を変更。1914年「ハルマゲドン」から「キリスト即位+終わりの時の始まり」へとこじつけ変更。

1914年という年は、エホバの証人にとって重要な年代。1914年に終わりの時が始まり、1919年にエホバの証人が正しいクリスチャンだと神により選別された設定にされているから。

1914年の教理の大筋は以下。

エルサレム崩壊(西暦前六〇七年)⇒

異邦人の時(七つの時)(二五二〇年)⇒

終わりの時(西暦一九一四年)

『ドアの向こうのカルト』より

この本の著者も指摘しているのだが、2520年の計算そのものがアクロバティック。聖書のそこら中から引っ張ってきた飛躍とこじつけ。それでも、聖書を次から次へと開いて説明されると納得してしまう向きもある、と著者は書いている。

しかし、そもそものエルサレム崩壊が西暦前607年ではない。エルサレム崩壊のバビロン捕囚が始まったのが607年だと主張しているのは、エホバの証人だけ。考古学的には西暦前597年とか587年が正。

このため、2520年とかどうでも良くて、出だしの607年が間違っているので、1914年が終わりの日の始まりという、ものみの塔の教理そのものがデタラメ

1914年の嘘と1995年の冗談

バビロン捕囚のwikipedia

wikipediaでバビロン捕囚について調べてみると、面白いことを発見した。以下の記事。

wikipediaのバビロン捕囚

私がここを見た時、バビロン捕囚の始まりは607年と書かれていた。変更の履歴には、

587年の表記をあえて607年に書きなおした履歴があった。エホバの証人の誰かが書きなおしている

ものみの塔の新世界訳聖書と同じ。都合の悪いことは捏造して書き換えてしまう。

このwikipediaのバビロン捕囚の記事は、私がきっちり607年から587年に戻しておいた。

ものみの塔の起死回生の打開策はエルサレム陥落BC607年をBC587年だと認めること