エホバの証人日本支部へ電話、「体罰推奨」から「非推奨」に方針転換

現在、体罰非推奨でもかつて推奨した罪は消えない

エホバの証人は、かつて組織として体罰を推奨していた

エホバの証人が子供を叩く鞭、体罰という児童虐待をやっているのか?いないのか?組織として推奨しているのか?推奨していないのか?Twitterで議論になっているのを見かけた。

通算打撃500回ほど、親に鞭打たれた私としては黙っているわけにいかない。エホバの証人が組織として体罰を推奨してきた過去も知っているし、日常的に集会所で虐待の鞭が振るわれていたのも事実。

この件で、何度かエホバの証人日本支部に電話したこともある。

エホバの証人日本支部へ電話。「体罰やってる」って認めたよ

ものみの塔聖書冊子協会に電凸した話の続き、体罰推奨協会

以前に電話したときは、「エホバの証人は組織として体罰を推奨している」という結論に達した。本日も、念のため電話してみることに。以前に電話したときと同じで、

体罰の件を聞きたいと問うと、「公式サイトを見てくれ」と言う返答になる。エホバの証人公式サイトにはバッチリ「体罰が必要」と書いてある。ということはエホバの証人は組織として体罰を推奨している。現在進行形で。

という仮想問答をしながら、エホバの証人日本支部へコール。

エホバの証人の方針変更、体罰推奨から非推奨へ

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鞭をふるった覚えのあるエホバの証人は、悔い改めないと・・・

エホバの証人は時代の空気感などに流されないはずだが・・・

「この世」の空気に流されない確固としたエホバの証人が・・・

「昔は学校の先生も体罰を行っていたから、誤った選択の結果、子どもに鞭をしてしまったエホバの証人もいた」

エホバの証人の言いわけ。この言いわけの要点は2つ。

  • 学校の先生や時代という空気感に流された
  • 鞭は過ち、罪

まず学校の先生や時代の空気で体罰が横行していたのは「躾」。信仰を押し付けての体罰は「宗教虐待」。

例:

  • 友達を殴ったら先生に殴られた→「躾」
  • エホバの証人の王国会館で居眠りしたら、目覚まし代わりの鞭→「宗教虐待」

学校の先生を貶めるな。宗教虐待者よ。「躾」と「虐待」は違う。そして、その「躾」ですら、現在では体罰が一切禁止されている。

そして、都合のいいときだけ、学校の先生に影響されたとか言うな。エホバの証人は「この世」の者ではないんだろ。エホバの証人様は、「この世」の雰囲気に安直に流されたりしない、確固とした信仰を持っている設定。

エホバの証人は、学校の先生や「この世」の空気や時代感ではなく、ものみの塔の悪影響を受けて、子どものお尻を叩くという残虐な宗教虐待をやっていたんだよ。

学校の先生とか時代という欺瞞は成り立たない。ものみの塔が間違っていたということ。今でも、神聖なるエホバの証人の公式サイトには「体罰は必要」と書いてある。

エホバの証人日本支部へ電話。「体罰やってる」って認めたよ

鞭の覚えのある人は悔い改めないと・・・

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信仰を抱くということは、個人だけの問題ではないから・・・

何らかの信仰を抱くということは・・・

暴君、エホバの証人

『宗教消滅 資本主義は宗教と心中する』、5章『宗教と「資本主義経済」の密接な関係』の末尾。

信仰は個人のものであるかもしれないが、宗教というものは必ず共同性を伴っている。個人だけで信仰活動を続けていくということはほとんどない

わけで、

宗教の単位は家族である

という副題がこの章にはついている。

宗教をやっていれば、家族は巻き込まれる。私も宗教2世だから巻き込まれた側。

親は当然のように巻き込んできたのだが、その親自身はどうなっていたかというと、実家の先祖代々の仏壇とか神棚を放棄して、新しく宗教を始めている。

家族単位の宗教を放棄。その立場で、自分の子どもには自分で選んだ宗教を押し付ける。これは暴君すぎやしないか。その横暴を体罰を主とする「懲らしめ」という暴力で強要するのがエホバの証人。

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実状は何も変わらないエホバの証人、それを世間に知らしめる

信仰を抱くということは・・・

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エホバの証人の極悪部分しか報道されない正当な理由

エホバの証人報道が偏る理由

エホバの証人の激しい鞭と最悪な忌避事例しか報道されない理由

エホバの証人が各報道で糾弾されている件。鞭問題、忌避問題、輸血拒否問題、その中でも大小様々な事例がある。ところが、その中でも最も大きな問題しか報道されてない。(さらに重大な児童性虐待問題は触れられていないが。)

既に取り上げられている鞭問題であれば「電気コードで100発」とか、「集会所に鞭が常備されていた」とか、「鞭の作り方、叩き方を信者内でレクチャーしていた」という極悪事例。

忌避問題であれば、「家族内で村八分にされた」「信者にこれ見よがしに陰口を叩かれる集団ストーカーに遭った」など。戦前か!という時代錯誤な事案。

エホバの証人問題の中でも、過激で陰惨な部分しか報道されない。ここで出て来るのが、「鞭無しで忌避はユルくの平和な現役家庭がある」という擁護意見。

かつての我が家でも、鞭は最大でも20~30発くらい。100発も電気コードで叩かれたらお尻の皮膚がもたない。昔の死刑レベルだよ。百叩きの刑は。我が家はよっぽどヤバい器具でも革ベルトか孫の手止まり。

私の知っているエホバの証人会衆でも、忌避対象者に集団ストーカーみたいのはしていなかった。それやっちゃうとクリスチャンどころか、まんまカルト信者だからね(カルト信者なんだけど)。私の周囲の情弱信者どもにも、それくらいの良識はあった。

だから何だというの?まさか「エホバの証人内でお下劣な忌避や凶悪な鞭が無かった」とか言い出すつもり?「平和な忌避や程度の緩いムチがあったこと、全く叩かれてもいない家庭があったこと」も報道しろとでも言うの?

そんなバカな話はない。

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自身の利害を守るため、過去を変えたいエホバの証人組織

自身の過去をコントロールしたいエホバの証人組織

エホバの証人という宗教団体は世間の常識とかけ離れている。これに教団内部の人間も気付き始めたのが、子どもに対する虐待の件。

私の実体験としてエホバの証人2世信者だった子どもの頃、しこたま屈辱的な体罰を受けた。エホバの証人は組織として児童虐待を推奨している。懲らしめと称して「物理的に体罰を与えることが必要」と、クッキリハッキリ公式サイトに書いてある。

この公式サイトはエホバの証人組織そのものと同様に、信者の崇拝対象になっている。そのため、一信者が公式サイトを否定したりないがしろにすることはない。背教者扱いされるから。

以前に、エホバの証人の日本支部に「体罰を推奨しているか」と質問したことがある。その際、エホバの証人の電話番は明確に答えはしない。「公式サイトを見てくれ」としか言わない。

その公式サイトに体罰が必要だと書いてあるのだから、ものみの塔聖書冊子協会は体罰推奨協会であることは間違いない。しかも、現在進行形で。

しかし、体罰推奨協会と世間の常識との乖離が明らかになり、「体罰をしていた親がいたとすれば残念なことだ」とする発言が、教団広報から出てきた。

基本的にエホバの証人は組織のマインドコントロール下にあり、一般常識とかけ離れた思想を抱いている。しかし、世間との軋轢が大きくなり過ぎると、組織そのものの維持存続にも関わる。

そのため、子どもには体罰上等のエホバの証人教理をなかったことにしたいという意思が垣間見られる。

組織の利害に明るいエホバの証人もいる

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エホバの証人2世が、抑えきれない破壊衝動で蛍光灯を割りまくる

エホバの証人2世の破壊衝動

エホバの証人の懲らしめという虐待による悪循環 

エホバの証人の子どもには、大きなストレスがかかる。一般の人、信者、親戚家族、誰に対しても模範的であれと言われる。子どもらしく大暴れすることは許されない。

ストレスはどこかで発散される必要がある。子どもの私は、密かに悪事を行うことで、ストレスを逃がしていた。

悪事が両親に露見しなければ、とりあえず懲らしめのムチという体罰を受けることはない。

エホバの証人の子どもが一見お利口に見えるのは、体罰による暴力の効果。エホバの証人的模範行動から逸れると、待っているのは懲らしめのムチ。暴力による制裁を受ける。

痛みは効くので、子どもは反射的にエホバの証人的行動を取るようになる。サーカスの動物と同じ調教方法。ところが、サーカスの動物ほど人間の子どもは単純ではない。

私のように、親がいない所で悪事を働くようになるのはマシな方。気を休め、息抜きの時間を持てている。問題がもっと重篤化するのは、

エホバの証人の子どもたちが、懲らしめという暴力によって、精神を病むこと。暴力や恐怖に対する対処療法として、体が痛みを感じなくなる。大ケガをしても死にかけても、笑っていられるエホバの証人2世ロボットの誕生。

エホバの証人には鬱病が多いとも言われている。これは子どもの頃から暴力を受けて、精神を病んだ結果。

また、暴力は連鎖する。体罰を受けて育ったエホバの証人の子どもは、暴力的になる。親が、問題の解決策として暴力という手段を示し続けた結果。

暴力は決して有効な解決策でなく、表面的な解決にすぎない。問題を余計にややこしくするのだが、子どもにはそんなことは関係ない。自らが受けた暴力を周囲にまき散らすようになる。

エホバの証人の2世信者に、DV加害者や子どもに対する虐待者が多いのは当然の結末。

私は、エホバの証人の子どもでありながら、親にバレないように悪事を行うことでストレスを発散していた。しかし、洗脳状態にはあるので、天にいるエホバという神に見られているという罪悪感があった。やがて罰が下されると考えていた。

いつか罪の報いを受けるという、強い罪悪感もエホバの証人2世の精神に暗い影を落とす。自分の命はハルマゲドンまでの限定的なモノで、寿命を全うすることができない。このため、刹那的な生き方へ誘導される。

エホバの証人の懲らしめという名の体罰と児童虐待

蛍光灯を割りまくるエホバの証人2世の子ども

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エホバの証人2世の子ども、親による体罰からの卒業

エホバの証人2世の初恋

エホバの証人2世の受ける体罰

私の両親は異常に熱心なエホバの証人だった。私も当然のように生まれながらのエホバの証人2世信者として育てられた。

エホバの証人はものみの塔協会の厳格な戒律に従って生活する。親がエホバの証人だった場合は、子どもに対しても厳格な戒律が適用される。このため、私は非常に制限の多い子ども時代を送ることになった。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

ものみの塔の戒律を破ったときに待っているのは、懲らしめの鞭と呼ばれる体罰。親にお尻を素手もしくはベルトなどで何度も叩かれる。叩かれる回数は裁判官さながらに、親が宣言する。

エホバの証人2世の初恋

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エホバの証人の子どもは、エホバの証人の親に殺される

子どもを殺すエホバの証人の親

エホバの証人の懲らしめの鞭とは

母は、私を物心がついた頃から、エホバの証人の王国会館へ連れて行き始めた。当初、幼い私は王国会館で行われるエホバの証人の集会を拒否してぐずっていた。

しかし、父まで一緒にエホバの証人の王国会館へ行くようになる。そのため、私も集会の間は大人しくせざるを得なくなる。ちょっとでも静かにしていないと、懲らしめの行われる部屋へ連れて行かれ、しこたま痛い目に会う。

懲らしめとは主に体罰で、パンツを脱がされ、声を上げて泣くまでお尻を叩かれる。その後で集会場に戻り、周囲の痛い視線を浴びるのは、子どもながらに自尊心が傷つけられた。

逆に両親は聖書の教えに従い、懲らしめのムチを振るっているということで、周囲から絶賛される。そうして微かな自尊心をくすぐられる。このようにしてエホバの証人の親たちは、体罰という暴力にやみつきになっていく。

エホバの証人2世にとって、この世での生は無意味

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子育てを間違った、エホバの証人のダメ親のやり直し方

エホバの証人親のやり直し方

エホバの証人親の間違った教育方針

私の両親は、ものみの塔協会の言うとおりに私を育てていた。そして、その子育てが、完全に絶対に間違いのない方法だと信じ切っていた。理由は、ものみの塔のマインドコントロール下にあったから。

両親は、エホバの証人でない親戚やクラスメイトの親について、あからさまに批判することがあった。判断基準は、ものみの塔の指導する方針にのっとっているかいないか。たったそれだけ。

現在の私が、実際に育児をしていて考えるのは、子育てに正解などないということ。子どもにとってそれぞれ適切な手段があるし、親の経済・精神状態にもよる。逆に、

何も考えず、ものみの塔の言うとおりに子育てしていれば大丈夫、というのは軽率。安易に安心できて楽なので、マインドコントロールされている信者はこの状態を心地よく感じる

エホバの証人の鞭という体罰は、有害でしかない

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エホバの証人の親は、思考停止状態の「親のような者」

エホバの証人2世、14才の葛藤

エホバの証人をやめたい14才

私は生まれながらのエホバの証人信者だった。通称エホバの証人2世。しかも、両親ともにエホバの証人という、いわゆる神権家族。そのため、私はものみの塔協会の戒律に従って厳しく育てられた。

そんな私が14才になったときの話。14年間もの過酷なエホバの証人生活で、私の精神状態はズタズタだった。私は今すぐにでもエホバの証人をやめ、親元を離れ、一人で自由な生活をしたいと願っていた。

私には残された時間は短かったそれはまもなく、この世界の終わりが訪れると信じていたから。その終わりの日(今となっては、お笑いの日)に、ものみの塔に心から帰依していない私は、「天から降り注ぐ業火で焼かれて死ぬ」と信じていた。

私は、ものみの塔による深い洗脳状態にあった。ハルマゲドンというこの世の終わりや、天にエホバという全能神が存在するという、ものみの塔のトンデモ教理を心から信じ込まされていた。

14年間の洗脳教育の反復による蓄積。そして、体罰による痛みによるすり込み。エホバの証人は、組織的に体罰を推奨していた。小さな子どもの脳みそでは、暴力を伴って一方的に放り込まれる情報を、取捨選択することはできない。

14才の私は、ハルマゲドンまでの残された時間を自由に謳歌するため、今すぐにでもエホバの証人をやめたいと願っていた。

エホバの証人をやめると言い出せない理由

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