導けるはずない場所へ導けない材料でこじつけ、ものみの塔の恣意的引用

ものみの塔の十八番、恣意的引用

エホバの証人の信仰は盲信だと知らしめる

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年。

BC607年エルサレム陥落をこじつけるためのものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。

当ブログのこれまでの一連の記事で、BC607年こじつけの「第1部」「第2部」に対する論理武装は確実。

マインドコントロール下のエホバの証人に対しても、聖書の信頼性を事前に失墜させた上で逃げ道をふさいでおけば、BC607年を崩せば自身の信仰が盲信にすぎないことを知らしめることができる。

あやふやなモノに対する確固とした盲信を他人に広めるのは明らかに迷惑行為。自身の伝道行為に疑問を抱かせることができる。

エホバの証人の盲信に干渉するのに、BC607に関してはこれ以上は必要ないのかも知れないが、ダメ押し的にもう少し。

ものみの塔の十八番、恣意的引用

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エホバの証人という名称の大きな矛盾と、その矛盾を支えるお花畑。

エホバの証人の脳内お花畑

お花畑に突撃

香ばしいお花畑なブログを発見というか、存在は知ってたんだけど、トップページからして見てはいけない禁断の世界感がプンプンするので放置していたのだが、ついつい禁断の扉を開けてしまったので、お花畑にツッコミ。

件のお花畑ブログ

現役エホバの証人によるお花畑発言(A)

私たちはエホバのことをほんの少し知っているに過ぎません

と。

まあ、この時点でだいぶ言っていることがおかしいのだが、とりあえずは話を合わせておく。

他にもグダグダといろいろ言っているので、簡単に要約すると次のとおり。

「だから、今までもこれからもエホバの証人組織は、人権無視で罪深くてコロコロ教理が変わっても大丈夫なんです。こんなに罪深いのに、私が臆面なく布教できるのは次の理由です」

という感じ。だいぶ意訳してる感はあるんだけど、

  • エホバの証人という宗教は教えを変える
  • 「エホバの証人」が事件を起こした

という事実をこのエホバの証人は自ら書いている。それを踏まえていても

「エホバの証人」の誰かが問題を起こして、有名になったとしても、私自身は堂々と宣べ伝えることができます

なんて開き直っているので、あながち私の意訳も間違っていない。

エホバの証人から脱出したあとは、視野を広く柔軟に方向転換

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エホバの証人によるVAT4956を用いたBC607年でっち上げ事件を暴く。

13の月が真実を明らかにする

ニサン9日の月

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年。昨日の記事の続き。

BC607年エルサレム陥落をこじつけるためのものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。「VAT4956」という天文学関係の粘土板からエルサレム陥落BC607年をでっち上げている。

昨日までの記事では、以下のものみの塔の主張がいかに信頼できないかを書いた。

VAT4956の

月の位置に関するそれら一連の観測結果は,西暦前568/567年の場合すべてが適合するわけではありませんが,それより20年前の西暦前588/587年の位置として割り出されたものとであれば,13のすべてがぴったり一致します

BC568-567年だとエルサレム陥落はBC587年となり、一般的な結論となる。

逆にBC588-587年だとエルサレム陥落はBC607年となり、ものみの塔仕様。

VAT4956の月の位置の記載は13あるのだが、そのうちのひとつがニサン9日の記載。

塔記事の言い分だと

月の観測結果が西暦前568年よりも西暦前588年のほうに当てはまる

BC607年のほうにあてはまるということ。

この辺から非常にややこしいので、以下はいつものjwstudy様の助けを得ている。こちらの記事

まず、ニサン9日については、微妙なのだがものみの塔の言い分を一旦認める。

ものみの塔仕様BC607年だと一致。一般のBC587年だと不一致で、BC587年パターンは1日後ろ倒ししてニサン8日だったとしたら一致する。

そして、VAT4956の月の記述はまだあと12ある。ものみの塔的には、それらすべてがBC607仕様で完全一致しているのだが、そんなわけない。

こういうことを鵜呑みにしちゃうから、エホバの証人は人生をまるごとものみの塔に搾取されることになる。

12の月

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BC607年エルサレム陥落を潰す。ニサン9日の月の位置って何?

粘土板記載の月の位置との一致とは・・・

「多く」ってなんだよ?ウソをつくな

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年。昨日の記事の続き。

エホバの証人が主張するBC607年エルサレム陥落をこじつけるためのものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。

「VAT4956」という天文学関係の粘土板からエルサレム陥落BC607年をでっち上げようとしている。

VAT 4956の天文学的データの多くは,ネブカドネザル2世の第37年が西暦前588年であることを示しています

多くじゃねぇって。

「VAT4956」には、月、惑星、日の出入りと月の出入りの記載があったのに、ものみの塔は月だけを取り上げている。決して多くじゃない。月、惑星、月と日の出入りのうちのたった一つ「月」だけ。

VAT4956には、

月や惑星が様々な恒星や星座とどんな位置関係にあったかを示す詳細な描写がなされています。また,月食が1回あったことも記されています。学者たちによれば,それらすべての位置関係は西暦前568/567年のものであり,ネブカドネザル2世がエルサレムを滅ぼした,その治世の第18年は,西暦前587年ということになります

まともな学者たちによると、すべてが一致している。

この段階で、ものみの塔の出る幕はないんだけど、唯一BC607年の根拠とした「月」も「とある研究者」のでっち上げだからね。これは昨日の記事にて。

ニサン9日の月の位置って・・・何?

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ものみの塔の存在根拠は、無名の「とある研究者」によるいいかげんなモノ

「月」ででっち上げるものみの塔

ものみの塔のでっち上げ

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年。昨日の記事の続き。

エホバの証人だけが主張するBC607年エルサレム陥落をこじつけるものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。

「VAT4956」という天文学関係の粘土板からBC607年エルサレム陥落をでっち上げようとしている。

でっち上げ方は以下。

  • VAT4956には「ネブカドネザルの第37年」という記載
  • さらに、月や惑星の恒星や星座との位置関係が記載
  • 月食が1回あったことも記載
  • 通常、これらのことから「ネブカドネザルの第37年」はBC568-567年とされる
  • そのため、ネブカドネザルがエルサレムを滅ぼした治世18年目はBC587年となるのが通常

ここから、ものみの塔のこじつけ。

  • しかし、20年前のBC588年にも日食があった
  • BC588年を「ネブカドネザルの第37年」とすると、ネブカドネザルがエルサレムを滅ぼした治世18年目はBC607年となる

ここまでは昨日の内容と重複。ここからでっち上げが始まる。

信用に値しない「とある研究者」

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狡猾な偽予言者ものみの塔、BC607年のでっち上げ方

天文学関係の粘土板「VAT4956」月や惑星、星座まで

ものみの塔の狡猾さ

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年。昨日までの記事の続き。

エホバの証人が主張するエルサレム陥落BC607年をこじつけるためのものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。一般に確定しているエルサレム陥落BC587年を裏付ける3つの根拠に難癖をつけている。

3つ目。「VAT4956」という天文学関係の粘土板からBC607年エルサレム陥落をでっち上げようとしている。

でっち上げ方は以下。この辺からややこしいので、一般人だと容易に対処できない。

  • VAT4956には「ネブカドネザルの第37年」という記載
  • さらに、月や惑星の恒星や星座との位置関係が記載
  • 月食が1回あったことも記載
  • 通常、これらのことから「ネブカドネザルの第37年」はBC568-567年とされる
  • そのため、ネブカドネザルがエルサレムを滅ぼした治世18年目はBC587年となるのが通常

ここから、ものみの塔のこじつけ。

  • しかし、20年前のBC588年にも日食があった
  • BC588年を「ネブカドネザルの第37年」とすると、ネブカドネザルがエルサレムを滅ぼした治世18年目はBC607年となる

ここまでの内容でものみの塔は

もし西暦前588年がネブカドネザル2世の第37年であったとしたら,その治世の第18年は西暦前607年になります。まさに,聖書の年代記述がエルサレムの滅ぼされた年としている年です。

では,VAT 4956には,西暦前607年を裏づける証拠がほかにも含まれているでしょうか

と、さも証拠のひとつ目が出ているように話を展開していく。酷いよね。このずる賢さ。

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「VAT4956」に対するものみの塔のご都合主義。独善的偽予言者の態度

VAT4956を信じたり難癖をつけたりするものみの塔

独善的な偽予言者ものみの塔

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年。

エホバの証人だけが主張するBC607年エルサレム陥落をこじつけるものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。一般に確定しているBC587年エルサレム陥落を裏付ける3つの根拠に難癖をつけている。

3つ目。天文学関係の粘土板。

2011年のものみの塔の記事では、「VAT4956」という天文学関係の粘土板からBC607年エルサレム陥落をでっち上げている。その前提として、「VAT4956」を信用する必要がある。

しかし、以前にはものみの塔は「VAT4956」を信用できないとしていた。この一貫性の無さが独善的な偽予言者。自説に反対する場合には難癖をつけ、自説を補強するモノは無批判で受け入れる。

以前も取り上げた目ざめよ!1972/7/8号『バビロンがエルサレムを荒廃させたのはいつか』。1972年のこの記事では、ものみの塔は、天文学関係の粘土板「VAT4956」に難癖をつけまくっている。

エホバの証人の聖なる力に導かれた勘違い、聖書の記述を封印。

1972年には「VAT4956」に難癖をつけていたのに・・・

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ものみの塔が信頼できない理由を、ものみの塔誌から説明。

ものみの塔が信頼できない理由を塔記事から示す

自説と一致しているモノは信用、そうでないモノには難癖

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年を崩す。

エホバの証人だけが主張するエルサレム陥落BC607年をこじつけるものみの塔誌の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。一般に確定しているエルサレム陥落BC587年の裏付けとなる3つの根拠に難癖をつけている。

3つ目。天文学関係の粘土板。

ここでは、ものみの塔のご都合主義が露骨に表出している。少し頭使って読めば、おバカな論理展開が見え見えなんだけど、盲信者はそういった思考ができない。聖書マンセー、塔マンセーとなるので、そのままおバカな塔記事を受け入れてしまう。

塔記事のこの部分の主旨は以下。

天文学関係の粘土板「VAT4956」から「エルサレム陥落はBC607年だー」とでっち上げ(でっち上げの根拠は後日記載)、「聖書とも一致するー」(これもでっち上げ)という内容。

“for Babylon”バビロニア帝国のための70年。エホバの証人のBC607を崩す

つまり、天文学関係の粘土板「VAT4956」を信頼性のあるモノとしている。

意味不明なのは、その直前で天文学関係の粘土板は信頼できないと難癖をつけているところ。

ものみの塔は、天文学関係の粘土板に言いがかりをつけておきながら、自説を裏付けるでっち上げに利用できそうだと信用する。見事なご都合主義。

自説と一致しているモノは信用し、そうでないモノにはひたすら難癖をつける。こんなインチキ野郎のものみの塔にエホバの証人は見事に騙されている。

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ものみの塔自身が「BC587年エルサレム陥落」を証明している

無数の商取引関係の粘土板がエルサレム陥落BC587を証明する

無数の商取引関係の粘土板がエルサレム陥落はBC587年と示す

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年を崩す。

エホバの証人が主張するBC607年エルサレム陥落をこじつけるものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。一般に確定しているBC587年エルサレム陥落を裏付ける3つの根拠に難癖をつけている。

2つ目。商取引関係の粘土板。

本日もjwstudy様のこちらの記事を参考にしている。

バビロニア年代記に示されている歴史に空白があることからすると,切れ目のない年代記録は残っていないのかもしれません

おいおい、いつからバビロニア年代記の年代記録に切れ目を作ったんだよ。ナボポラッサルは21年間、続いてネブカドネザルは43年間、その治世のあいだ、バビロニア年代記の出来事の記録に空白はあったとしても、年代の記録に空白はない。

バビロニア年代記は、ものみの塔が難癖をつけている1つ目の根拠。これは昨日までの記事にて。

昨日の記事で、商取引関係の粘土板に各王が継投した年に新旧両王の記録が重複する月があることを書いた。継投月以外にも明らかに間違いと思われるモノが、数千から数万の正しい記録に対して、数枚見つかっている。

ものみの塔は、この矛盾に難癖をつけている。

それらの王たちの間に他の王たちが支配した可能性があります。そうであれば,新バビロニア期には幾年か追加されなければならないことになります。

この可能性はない。

各王様の継投時に新旧両王の重複がある1年があるだけで、王様に空白は無い。他の王が支配した可能性はない。さらに他の王様を追加したら余計に重複して、もっと矛盾が拡大する。

あと、幾年か追加って、ものみの塔のBC607年エルサレム陥落が成り立つには20年分追加が必要なんだよ。

そのでっち上げの20年分は、1枚たりとも商取引関係の粘土板が出土していない。他の王の正しい記録には数千~数万単位で根拠となる商取引関係の粘土板が出ている。

エホバの証人の主張する20年間だけ、ただの一つも粘土板が出ていない。それはその可能性が無いってこと。

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ものみの塔協会の正当性は「完全に覆された」。というか、もとから無いけど

ものみの塔の詭弁

問題の本質から目をそらすために小さな矛盾をつつく詭弁

エホバの証人の論理的アキレス腱、エルサレム陥落BC607年を崩す。

ものみの塔の記事。2011年『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか-第2部』。エホバの証人が主張するBC607年エルサレム陥落をこじつける記事。

一般に確定しているBC587年エルサレム陥落を裏付ける3つの根拠に難癖をつけている。

2つ目。商取引関係の粘土板。この根拠にどうでも良い矛盾を見つけて、自論を正当化しようとする詭弁。昨日までの記事の続き。

ネブカドネザル2世からその息子アメル・マルドゥク(エビル・メロダクとしても知られる)へと支配が移行した時期に関する以前の結論が「完全に覆された」

「完全に覆された」って煽情的な部分だけを局所引用して、商取引関係の粘土板全体の信頼性に傷がつくように、おバカな読者を誘導している。

落ち着けって。ネブカドネザルからマルドゥクへの支配が移行した「月」に関する結論が覆っただけ。年単位では確定している。たいしたことじゃない。

なぜ覆されたのでしょうか。サックは,それまで幾つもの粘土板に基づいて,ネブカドネザル2世が最後の統治年(第43年)の第6の月にもまだ支配していた,と思っていました。ところが,新たに解読された,次期の王アメル・マルドゥクの即位年のものである数々の粘土板は,その同じ年とされていた年の第4の月と第5の月のものだったのです

矛盾があったことは明らか

その小さな矛盾がどうしたっての?新王の即位が4月だろうが6月だろうがネブカドネザルの引退年は変わらない。バビロンの王様の統治した年代を計上するにあたって何の問題もない。

ネブカドネザル2世は,後継者が統治し始めたとされている時から6か月後の,第10の月にもまだ支配していました

これも年代は変わらない。エルサレム陥落の年代を特定するにあたって、大きな問題ではない。

問題の本質から目をそらすために、小さな矛盾をさも大きなモノのように語る詭弁。

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