ものみの塔が「エギビ家の記録」を隠すのはなぜか?
エホバの証人の論理的アキレス腱、BC607年エルサレム陥落。本日もjwstudyのこの記事を参考にしている。
一般的に確定しているエルサレム陥落の年はBC587年。逆にものみの塔だけが主張するBC607年、その20年の隔たりがものみの塔のウソであることを暴く。
ものみの塔が商業関連の粘土板「エギビ家の記録」を隠すのはなぜか?1988年の「洞察」へ聖書用語辞典が切り替わる際に、ものみの塔は「エギビ家の記録」の記録を削除。以降、ひた隠しするようになった。
ここまでは、昨日の記事にて。
ものみの塔が「エギビ家の記録」を隠す理由。それは「エギビ家の記録」が、ものみの塔にとって都合が悪いから。「エギビ家の記録」がBC607年エルサレム陥落を崩すモノだから。
BC607年エルサレム陥落が崩れると、ものみの塔の存在そのモノが揺らぐ。1914年以来が終わりの時代なんてのが、寝言にすぎないとバレるし、1919年に神に選ばれたなんていうトンチンカン設定のエホバの証人やその教祖集団統治体が偽物だと明らかになる。
ホンモノの歴史、「エギビ家の記録」
「エギビ家の記録」は、途切れることなくバビロンの王ネブカドネザルの時代からからペルシャの王キュロスの時代までをつなぐ記録。単純に王の系図をつなぐだけでなく、その期間に銀行家だったエギビ家の3代の頭取や、エギビ家の親族の家系までが記載されている。
当然、「エギビ家の記録」にものみの塔の主張する20年を挿入する余地はない。
20年を挿入すると、バビロンの王様だけでなくエギビ家一族の歴史や登場人物までを増やさなければならなくなる。これは無理筋。
そして、ものみの塔が「エギビ家の記録」を隠蔽する以前に述べているように、「エギビ家の記録」は偽造されないように管理されてきた。ものみの塔とは違うホンモノの歴史。
「エギビ家の記録」でネブカドネザルとつながるキュロスに関しては、エホバの証人ですら認める絶対年がある。そこからエギビ家の記録どおりにさかのぼれば、BC587年のエルサレム陥落がネブカドネザルの第17年目と、他の考古学的証拠と一致する。
3つの絶対年がエルサレム陥落の年を示す、ものみの塔の20年が割り込む隙は皆無。
「エギビ家の記録」があれば、エホバの証人の絶対年からだけでもエルサレム陥落の年がBC587年だと逆算できる。
「エギビ家の記録」が暴くものみの塔の正体
現在、エホバの証人の公式サイトには、「エギビ家」の記述が一切出てこない。「洞察」以降、完全に封印されている。ものみの塔が「エギビ家の記録」を封印するのはBC607年のウソが信者にバレないようにするため。
信者を欺く確信犯。「エギビ家の記録」はものみの塔にとって、何としてでも隠蔽したい非常に都合の悪いモノ。信者には絶対にバレたくないモノ。
ここまでして事実を隠蔽する不実な態度こそが、BC607年がものみの塔のウソである根拠だと言える。さらに、真実を隠す態度は間違った宗教、偽予言者の行いであることも明らか。
ものみの塔の論理ハイジャンプ、エルサレム陥落BC607年の嘘