日本のエホバの証人、停滞の理由
『近現代日本とエホバの証人』。第五章「忍従の時代」末尾部分。
日本のエホバの証人の歴史を世界本部の思惑、世界本部と日本支部・日本人信者との関係から追ってきた本書。そして、5章末尾で現在に追いつく。この後の歴史は、今を生きる我々が切り開くもの。
未来をどう描くか、本書による現状の分析がその材料となる。
日本のエホバの証人は明らかな停滞期にあり、ライフサイクルの最期。日本のエホバの証人の
教勢の停滞要因は、それまで集合的に成立していた個人レベルにおける<本部志向>が成立しなくなっている点にあった
エホバの証人の米国世界本部を絶対崇拝するという図式が、信者個人の我慢や好意的解釈だけでは守り切れなくなった。
私の意見では、喰い散らかすだけ喰い散らかされて、日本という漁場が獲り尽くされたと考えている。カルト予備軍の人々、端的に言うと騙されやすい人、心に隙間を抱えている人、孤独を抱えている人。こういった人々がむさぼり尽くされた。
獲り尽くされた後は、あらたにそのカルト予備軍に加わる不幸な人々が漁場となる。しかし、その新規加入群を漏れなく獲ったところで、以前のような大漁は期待できない。既に取り尽くした後であるし、そして、そんなふざけたカルトに騙されない程に日本人が賢くなったから。
賢くなった。民度が上がった。そう表現すればいいのだろうか。インターネットという神の与えた賜物のおかげで、「エホバの証人」と検索すればトップページにカルトの文字が躍る。
アダムとイブが知識の実を食べて刮目できるようになったように、現代日本人の目は見開かれ、エホバの証人がカルトであると認識できる程には賢くなった。
エホバの証人の存在しない未来は日本から
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