行動を大きく制限されるエホバの証人2世の子ども
私は、ほぼ生まれながらのエホバの証人の2世信者で、苦痛に満ちた少年時代を送った。
エホバの証人の王国会館で開かれる集会には、週に3日も通わなければならなかった。
集会というのは、教団出版物の討議や祈り、讃美の歌の合唱などが行われるエホバの証人のミサのようなもの。集会の日には、その予習をしないといけないため、友達と遊ぶことはできない。
この頃、1980年代には土曜日の午前中は学校の授業があった。土曜の午後はエホバの証人の伝道奉仕活動に連れて行かれるので、友達とは遊べなかった。伝道奉仕というのは、エホバの証人の布教勧誘活動のこと。
日曜日も午前中は、エホバの証人の集会で王国会館へ連れて行かれるし、午後はまたまたエホバの証人の布教活動。
両親は、エホバの証人でない友達と遊ぶと良い顔をしなかった。ちょっとやんちゃな友達だと、あの子と遊んではダメだ、と制限される。
何の楽しみもない子ども時代だった。それだけならまだ良いのだが、エホバの証人2世の子どもは、学校に行けば他人との違いをまざまざと感じさせられる。これが一番辛かった。
エホバの証人2世の子ども、苦痛に満ちた少年時代
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