宮台真司さん襲撃犯、「エホバの証人」集会所で・・・

宮台真司さん襲撃犯の続報が・・・

今朝のYAHOO!ニュースから。

宮台真司さん襲撃犯、死亡したのは「エホバの証人」集会所だった!近隣住民が見ていた“事件直後の異変”

数日前から

  • 容疑者自殺
  • 容疑者の母親が熱心なキリスト教系信者で勧誘しがち、統一教会ではない
  • 住宅地図に自宅が宗教施設として掲載

といった情報がでていて、もしやと思っていたら案の定、本日の続報でこの宗教は「エホバの証人」と。

統一教会でないキリスト教系で、勧誘大好き。ご近所さんからの耳目を集めているとなれば、エホバの証人だろうと期待していたところ。

期待というと不謹慎だが、私が期待しようが祈ろうが現実が変わるわけではない。被害者、加害者、及びそれぞれの家族の現実が変わるわけでもない。

なので、あえて正直に書くと、期待していた。容疑者の人生に複雑に絡まったのか、単にすれ違っただけなのかの、キリスト教系の宗教が「エホバの証人」であることを。

ご近所様に注目されるようなキリスト教系宗教で、統一教会でなければ、信者の数からいっても「エホバの証人」である確率も高いだろうと思っていたところで、本日の報道。

エホバの証人になると不幸になるのは、ものみの塔公認の事実

「暴力と死」と「エホバの証人」

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エホバの証人2世のバランスが崩れるとき、壊れるとき

いかにしてエホバの証人と縁を切ったか

AmazonのKindleで読める『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』

お題「みんなはどうやって、教会と距離を置きましたか?」

勝手に対談に加わっているつもりで回答する。

私は、ほぼ生まれながらにして親にエホバの証人であることを強要された。エホバの証人を辞めたのが14才のとき。「(エホバの証人の)集会にもう行かない」と親に対して宣言。それ以降、99%エホバの証人活動をしていない。

小学校高学年の頃から悩み続けて、やっと辞めることができた。

14才になり、親と殴り合いになっても刺し違えるくらいまで身体も大きくなった。宗教の強要に対して肉体的には断固闘える状態。あとは親を裏切るという罪悪感さえ抑え切れば良かった。

親を裏切ること、もっか洗脳下だったので神を裏切り神に殺される覚悟を決めること。この辺りが悩みだった。そして、圧倒的制限をかけてくるエホバの証人に屈し続けることで、自由を求める本来の自分を抑え込む必要があった。

この抑え込みが限界に達し、むしろここを抑え込むくらいなら、親も捨てるし神にも逆らってやると決めたときに、エホバの証人と完全に縁を切ると決めた。

誰にも分って貰えない、カルト宗教2世だからこそ・・・

カルト宗教2世信者の経由地と現在地、十人十色の問題

エホバの証人との縁切り、何とか間に合った

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小学生以下の低レベル、エホバの証人の「排斥」者いじめ

家族を人質に取るものみの塔

昨日の記事の続き。東洋経済ONLINEから『宗教虐待で心を病んだ兄が親から絶縁される残酷

エホバの証人の2世信者が人間として真っすぐに生きるとエホバの証人的には「排斥」となる。排斥になるとエホバの証人から忌避される。それは親子でも同じ。親子を引き裂く「排斥」は苦しみであり不幸であるとものみの塔も認めている。

なので、エホバの証人が不幸になるのはものみの塔公認の事実。ここまでが昨日の内容。

東洋経済のものみの塔日本支部への取材はさらに続く。

日本支部は、「排斥された人が不適切な行いをやめ、聖書の規準に従って生活したいという誠実な願いを示すなら、その人はいつでも再びエホバの証人になれます」という見解も示した

エホバの証人の言いなりになるなら、戻してやっても良いという珍回答。

エホバの証人が排斥になるのは、異性と関係を持ったり、喫煙したり、輸血したりという些細なこと。そんな下らない戒律に縛られる生き方をしていては、現代日本人として相対的な幸福はあり得ない。

だから、「排斥」になってエホバの証人を辞めたのに誰がいったい戻るというのだろうか。

とはいえ、ものみの塔側は信者として残っている家族を人質に取っている。「排斥」者は家族であっても忌避されるので、家族を取り戻したいばかりにエホバの証人への復帰を願う者もいる。

私の持論だが、家族より、まずは自分の人生を取り戻すことを優先させるべき。自分のことすらままならない者が家族のことを良く出来るわけがない。

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エホバの証人になると不幸になるのは、ものみの塔公認の事実

個人の選択と行動の結果、信者が苦しんでも構わないという教団

昨日の記事に続いて東洋経済ONLINEから『宗教虐待で心を病んだ兄が親から絶縁される残酷』。

基本的にエホバの証人2世は不幸になる。このご時世に、自由を過度に制限された人間が楽しく生きられるわけがない。

エホバの証人2世の不幸について、本誌が取り上げているのは同教団の「排斥」という仲間ハズレにするシステム。戒律破りの信者をのけ者にする仕組み。

「排斥」は、家族であっても関係なしに適用される。エホバの証人にマインドコントロールされた親を持つ2世信者にとって、親に縁を切られるのは辛い。

そのことを本誌の記者がエホバの証人日本支部に取材している。お宅の宗教は「排斥」システムで2世信者を不幸にしてますが、その点どうなの?と。

教団広報部の回答は

エホバの証人は皆、聖書の考えを学び、受け入れ、実践することを個人的に決定します。

・・・中略・・・

聖書的な意味での悔い改めを示さない人だけがエホバの証人の会衆から除かれます。したがって、排斥は個人の選択と行動の結果です

個人の選択と行動の結果、信者が「排斥」になって苦しんでも構わないというのがエホバの証人組織の見解。さすが、溢れんばかりの愛に満ちたカルト組織「エホバの証人」。

エホバの証人になると苦しみ、不幸になる

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神の名の元に子供に暴力を振るう、エホバの証人の親

壮絶なエホバの証人2世の日常

東洋経済ONLINEから『宗教虐待で心を病んだ兄が親から絶縁される残酷』。今回は後編。前編については東洋経済ONLINEに「エホバの証人」が名指しで掲載の記事で触れた。

取材されているのは、エホバの証人の

組織に不信感を抱く

現役エホバの証人2世。その兄が宗教虐待で心を病んでいるという話。

父親からテレビのコードを三つ編みにしたムチで何十回もたたかれ、体がみみず腫れしたこともあった。特に男性である兄への体罰は激しく、その苦しみから吐いてしまうことも

壮絶だが、これがエホバの証人2世の日常。

たたかれたことに対して『ありがとう』と言わなければ、さらにたたかれる。泣きながら『ありがとう』と繰り返していました

はいー。変態ー。何かのプレイのようだが、これもエホバの証人2世の日常。叩かれる前後に神に祈ったりするからね。異常。

神の名の元にエホバの証人の親は子供に暴力を振るっている。

親が子供よりエホバの証人組織を優先しだすと・・・

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エホバの証人がくれる不要な中学の制服、一銭も損をしない保証人

エホバの証人がくれる中学の制服、家を借りるときの保証人になってくれたエホバの証人

昨日の記事の続き。東洋経済ONLINEから『脱会した宗教2世が「母に会えない」過酷な現実』前編。

取材されている元エホバの証人2世、排斥者の女性が、周囲のエホバの証人信者には感謝していると述べている。

  • 中学の制服を貰った
  • 家を借りるときに保証人になって貰った

この2点を挙げ「エホバの証人がいなかったらとても暮らしていけなかった」と。

ここは冷静に考えてみよう。中学の制服、必要としていて貰えたのなら、貰えた側はありがたいが、あげた方は単なる不要品の処分。そこまでありがたがる必要はない。

月に何十時間も布教活動するエホバの証人。その時間働いて新品の制服買ってやれよと私は思う。

家の保証人だってそう。一筆書くだけ。保証人になっているエホバの証人の方には一銭たりとも金を払う気はない。

「エホバの証人がいなかったらとても暮らしていけない」と思っている親子の保証人になっている。つまり、エホバの証人である限り、この親子は絶対に家賃を滞納して蒸発したりしないという前提。

もしくはマインドコントロールの妄信で「エホバの証人は良い人だから家賃滞納して逃げるわけがない」と信じ切った上で保証人になっている。

むしろ、エホバの証人は借金まみれになったってハルマゲドンでチャラになると信じている。だから保証人にでも何でもなる。そこに深い愛はない。

保証人がいなくて家が借りられないときに、保証人の欄にサインしてくれるのはありがたいけれど、実際に家賃を払って貰っているわけではない。そこまでありがたがる必要はない。

エホバの証人がいなければ・・・

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東洋経済ONLINEに「エホバの証人」が名指しで掲載

存在意義の無い宗教、エホバの証人

東洋経済ONLINEより。昨日の記事『脱会した宗教2世が「母に会えない」過酷な現実』前編。統一教会の話に続いてカルト宗教「エホバの証人」が名指しされている。エホバの証人よ、刮目して読め。じゃなかった。ここは「目ざめよ!!」か。

前編を読んだのだが、元エホバの証人としては普通の話。あるあるな悲劇。だが、一般人の感覚で読むと「異常」そのもの。

取材されている久美子さんという女性はエホバの証人2世の排斥者。排斥とはエホバの証人の戒律を破ったことによる破門。残存信者からは村八分にされる。

「長老」と呼ばれる世話人役が、母親に対し、久美子さんとの交流を慎むよう告げたことで、母親は久美子さんの帰省をも拒むようになる。現在に至るまで会うことが叶わず、連絡もできない。親族の集まりがある時は、久美子さんだけ招かれなくなった

娘よりも、エホバの証人の「長老」の言いなりになる母。異常すぎる。「実の娘と交流するな」なんてことを言うシチュエーションってあり得ない。親子の縁を切らせる宗教なんて存在意義がない。

そもそもエホバの証人の決まりである排斥などに従う必要がない。好き勝手に実家に帰ればいいのだが、それでもマインドコントロール下の母親には忌避されると。辛すぎる。

しょうもないエホバの証人の排斥という取り決めに従う必要はない。現実はあまり変わらないが、こう考えるだけでも、少し気は楽になりはしないか。エホバの証人の戒律に縛られる必要なんかない。

排斥処分から見るものみの塔、構造的に悔い改め不可能

エホバの証人の行動は何一つ評価すべきではない

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日本円大好きな神様、駅前カート罰ゲームが大好きな神様

カルトの搾取システム

『元宗教二世たち山上容疑者を語る: ありそうでなかった!多宗教二世たちの対談』、AmazonのKindleにて。「宗教に対して1番許せない事は?」。

対談なので話が展開する。カルト信者が抱く妄想、

これだけ献金してるんだから、全部神様が助けてくれる

というもの。対談している元2世信者はそんな妄想を抱いてはいないのだが、親の世代の1世信者が抱いく強い妄想。

神様シールド

と表現されている。

エホバの証人も同じ。エホバの証人の場合は貧乏なので、金でなく時間を貪り喰われる。

「こんなに奉仕したんだから、全部エホバが助けてくれる」

そんな訳ないっての。金の切れ目が縁の切れ目。献金辞めりゃ縁も切れるし、活動辞めりゃそっぽを向かれる。

まず、そんなに日本円が欲しい神なんていないだろ。セコ過ぎ。そんな神なんて役に立たないよ。助けてくれない。

あとは無限に奉仕時間を要求する神、無能ですか?自分で何とかしろよ。一軒一軒、呼び鈴鳴らしたり、駅前で「聖書を無料で学べます」って立って不審者だと思われたり。そんなことしなくても、全知全能の神様なんだからテメーで何とかしろっての。

この一連の流れは、金や時間、つまり信者の人生を貪り喰うためのシステム。そこに神は存在しない。カルトの神は役に立たないというか、存在すらしない。日本円大好き、街頭カート布教という罰ゲーム大好きなんて神様がいるわけない。

エホバの証人という盲信者、あなたは山上容疑者をどう思うか?

組織に捨てられるのが怖くて搾取システムから抜けられない
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※街頭で布教中のエホバの証人の顔写真をSNSで晒す件

街頭布教中のエホバの証人の顔写真を晒すのはあり?

街頭でカート布教中のエホバの証人の顔出し写真がSNSなどに投稿される件。

肖像権だとか個人情報保護だとか、晒されて可哀想という感情論、晒されているのが身内だと目も当てられない、不愉快なので見たくないと言った諸々の理由で顔出しはNGかと思っていたのだが・・・。

ふと、別に良いのかもと思ったり。というわけで考えてみた。

顔を晒されるのが嫌だと言うのなら、公共の場に立つのを止めれば良い。それでも立ちたいのならお面でも被ればいい。自ら顔面オープンにしてるんだし、それを晒されたところでという話。法律的にはクリアなのかも。

逆に言うと駅前の写真を撮って、アップしたい人とかもいるわけで、勝手に堂々と写り込んでいる方が悪い。というか邪魔。演説中の政治家の顔写真にモザイクかけたりしないよね。

そもそも、そのエホバの証人活動が有害なんだっての。糾弾されてしかるべき。

エホバの証人という宗教に対して1番許せないことは?

街頭布教中のエホバの証人の顔写真を晒すのはNG?

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カルト宗教2世信者の経由地と現在地、十人十色の問題

「親棄て」という荒療治

昨日の記事で、カルト宗教2世が抱える共通的な地盤に

  • 親を裏切る感覚
  • 親に対する情
  • 罪の感覚

があると書いた。根っこは似ていても、その後のルートが異なるため、カルト宗教2世の経由地、現在地が大きく異なる。その都度、その都度の選択が異なった結果、たどる道と現在地が異なる。

どれが正解というものでもなく、全ては本人が決めたこと。もしくは決めなかったこと。

例えば、親を裏切るという感覚を容赦しきれずにいる人。この人は未だにカルト宗教信者のままでいるかも知れない。

私は親を裏切るという思いに苦しみながらも親を捨てる決断をした。親に対する情を捨てようとした。これが出来ない人は、親ゆえに仮面カルト宗教信者であることを余儀なくされ、現在進行形で苦しみ続けている。

親であっても別の人間、他人。であれば、行動や思想に制限をかけてくる親は捨てても構わないと私は思う。

カルト親に粘り強く接して変心に誘導するという姿勢も賞賛されるべきなのだろうが、我が家の場合は「親棄て」が一種のカルト治療となった。

私は親を捨てるつもりで、エホバの証人をやめた。すると、親の方が「捨ててないでー」と妥協する形になり、両親もエホバの証人をやめた。

こう上手くいかなくとも、親を捨てる決断をしているので、親が歩み寄らなければ、そのまま親を切れば良いと思う。親の人生でなく自分の人生なのだから。ここまで、情を捨てきれない人はまた違った現在地にいるのだろう。

カルト宗教2世問題は、十人十色なので

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